第64話 スカイスクレイパー マンハッタンホーン北壁

文字数 2,258文字



二〇二五年六月十六日 月曜日 夜十一時

 マンハッタンホーンのモデルとなった山、「マッターホルンmatterhorn」の「matt」は、ドイツ語で「牧草地」を意味する。「horn」は「角」。すなわち牧草地の角。つまりマンハッタンホーンとは、「マンハッタンの角」なのである。
 エイジャックスたちは窓を開けて、ガラス伝いに縁をソロソロと歩いていく。眼前に広がる摩天楼街の百万ドルの夜景の光、光、光……。それらがいやおうなしに目に飛び込んでくる。そして上空には依然オーロラが展開し、大パノラマでゆっくりとエロティックに動いていた。
 可能なら、城の外からよじ登りたくはなかった。だが、仕方がないのだ。エイジャックスが前回経験済みだというので、隊員たちも半信半疑で従う他にない。
 マンハッタンホーンを人工のマッターホルンになぞらえ、夜陰に乗じて、十数人は、外壁から上層階へと侵入するために登る。とはいえここも、レーザー銃の警備システムと無縁ではなかった。その数は多くはないが、今度は群がる警備ロボットとの戦いが待ち受けていた。それらを撃ち落とし、カメラを避けながらのMHアタックだった。
「落ちるなよ。俺は本物のマッターホルンに登頂した経験もあるが、お前は?」
 真横に立ったマックに、エイジャックスは訊いた。
「山登りとは違う。俺は建設現場に居たことがある」
 エイジャックスは登山家で、マックは軍人の前、建設作業員をしていたらしい。
「現場に?」
「派遣労働者だ。これは山じゃない、ただのビルだ」
「――ビルだと? こんなビルがほかに何処にある、こいつは立派なアルパインだ!」
 アルパインとは「山岳」を意味する。ビルクライマーは素手で登るが、さすがにそんなスキルは誰にもない。
「山登りの技術はこんなトコじゃ役に立たん。慢心してると命取りになるぞ」
「お前こそビルっていう固定概念に囚われてるんじゃないのか? エェ?」
 エイジャックスは風で長髪をなびかせながら、ムキになって反論した。「山だ」「ビルだ」の不毛な言い争いに、同行する隊員たちは無言で指示を待っていた。ビルのヘリにへばりつきながら……。
「そうかい、じゃあお先にどうぞ」
 マックは言葉少なく切り上げた。
 山登りにはロープ、ハーネスが必須だ。ビル建築などの高所作業も同様である。それらの代わりに、隊はアイスターから「秘密道具」を渡されていた。それは一見、銃型の飛び出すワイヤーで、先端が銛になっている。銃はグローブと一体化していて、抜けない仕組みになっている。外壁には清掃ロボットが移動する梁が存在し、そこに銛をひっかけるのだ。
「まるでミラージュだな。スクランブラーならできるだろうが、俺たちは白服じゃないんだぜ」
 マックが不満を漏らした。他の隊員も不安に駆られている。
「奴らにできるなら俺たちだって!」
「無茶言いやがる……」
「…………行くぞ」
 先行を任されたエイジャックスは初めて使う道具に一瞬ためらったが、隊員の手前、躊躇している暇はない。上空に向けて銛を撃った。銛は五十メートルワイヤーを引いて、上の梁に引っかかった。三度引いて強度を確認してから、もう一度スイッチを押すと、今度はリールが猛烈な勢いで巻き上げ始めた。
「こ、こいつああああああ――いいい――……ッッ!!」
 エイジャックスの身体は、ワイヤー銃で上へ上へとひっぱりあげられていった。ワイヤーには十分な強度がある。結局、マンハッタンホーン外壁の上り下りは、アイスターから支給されたワイヤー銃のサーカスの大勝利である。こんな便利な道具は、建設現場にも山登りにもない。
 最新の建築設備や情報通信機能、セキュリティシステムを備えたインテリジェントビルであるが、結局、不定形の山の形のビルを外壁から登るためには、スポーツクライミングの技術が必要になる。
「なぁに、ハリエットの苦労に比べればこれくらい何てことない」
 エイジャックスはすべての隊員をロープで連結させると、銛をアンカー代わりに複数固定しながら、重みを分散させて登っていった。高層ビル用ガラス窓清掃ゴンドラがあればいいのだが、もしあったとしてもハッキングできないから使えないだろう。
「お互い、まさかこんなところで役立つとはな――」
 そう言って、エイジャックスはマックと顔を合わせた。
「…………」
 突然、エイジャックスは警備ロボットの急襲を受けて身をひるがえした。マックはロボットを射撃して破壊する。その直後、エイジャックスのハーネスが外れて、ズルリと百数十メートル滑り落ちていった。マックはワイヤー銃を撃ち、エイジャックスのベルトに引っ掛けた。さすがはアウローラ一のスナイパーだ。
「今のは貸しにしとく」
 マックは巻き上げながら、ボソッと呟いた。
「……オマエ、オレにかなり借金を抱え込んでんだぞ! いつかキッチリ返してもらうからな! OK?」
 エイジャックスは、バツが悪そうに言い返した。
「なら、これで俺の貸しは全部返しだ」
「チッ、アリガトよ!」
 上階に上がるにつれ、風が強まった。サーチライトが回ってくるたび、隊員は陰に潜んだ。ドローンが上がってきて銃撃戦になったが、スナイパーのマックがことごとく撃ち落とし、エイジャックスはひたすらアタックルートを探った。しかしこうも戦闘が派手になると、今度はブラックヘリに発見されるのは時間の問題だったらしい。音もなく黒い機体が近づいてきた。中だろうが外だろうが、畳みかけるようなピンチの連続だ。史上最大の攻城戦は休まることがない。
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