第36話 NY春秋 ヴァレリアン対ロートリックスの百年戦争

文字数 10,544文字

二〇二五年五月四日 日曜日 午前四時

 エレクトラタワーのエレベーターは地下直通であり、その電源を落とした後で、メンバーらは懐中電灯を手に地下道を進んだ。たどり着いたのは、グランド・セントラル駅――NYのターミナル駅だ。天井に星座が描かれていることでも有名である。
「地下鉄へ? でどこへ?」
「電車には乗らない。このまま徒歩で行く」
 この駅には、六十七本の線が入っていて、大統領専用のプライベート専用線、六十一番線も存在する。秘密路線専用の入り口とエレベーターがあり、エレクトラタワーの社長専用エレベーター同様に、非常時に稼働する。そしてエレクトラ社の歴史はNYと共に在ったと言えるほど、その歴史は古い。ここの整備に、エレクトラ社は深く関わっていた。
 駅の地下鉄網の秘密通路へと進むと、秘密地下基地へのアクセスがあるとハウエルは言った。そこかしこから、キィキィという甲高い鳴き声が響き、ドブネズミがうろついているのが見えた。顔をひきつらせたエスメラルダとかをるは、終始辺りを警戒しながら歩いている。シェードは慣れてるのか、案外平気そうだ。
「この廃線は閉鎖されて、普段は立ち入ることはできん」
「とりあえずネズミを何とかしてッ!!」
 エスメラルダが悲鳴に近い声を上げた。
「気をつけろ……ここにはワニがいるぞ」
 ハウエルは妙なことを口走った。
「それってNYの地下でワニを観たってヤツ? ――都市伝説だよな?」
 アイスターは皮肉めいた微笑を浮かべた。
「そう」
 ハウエルはこともなげに言った。アイスターの顔が引きつる。
「……でも噂を確かめるために、下水道検査員がワニを見たと報告したってのが、確か一九三五年のハナシだろ?」
 当時、目撃されたワニの体長は、およそ1.5メートル。毒入りのエサを撒き、ハンターが銃を持って地下網を追い掛け回した挙句、二年後の一九三七年には全頭の駆除に成功したと言われている。
「いや、不思議なことによく見かけるんだよ。近頃、ここを歩いてるとな」
 バシャァッッ。
 アラン知事がそう言った途端、水しぶきが吹き上がり、細長く白い身体が跳ね上がった。二メートルはある。懐中電灯の光に、鱗模様が照らし出される。
「キャアアア!!」
 ワニの鋭い牙が見えて、水の中から、大きな口がかをるの足元を狙って襲い掛かった。マックとエイジャックスが同時に銃を抜き、銃撃すると、ワニは尾を回転させて、すぐ水の中に隠れた。
「――待って!」
 ハリエットは二人を制し、ワニが消えた水面に向かって、光十字ペンダントを掲げた。乙女はPMFの光を発光させ、水の中のワニに照射する。襲ってさえ来なければ、何も殺さなくてもいいのだ……ハリエットはそう感じていた。
「もう出てこないと思う」
「ワニくらい居たって、当然だろうな。NYの地下構造なんて、誰も把握してない」
 エイジャックスは冷や汗をぬぐった。
「我々もな」
 アイスター・ニューブライトが、NY地下の、知られざる大動脈の噂を放し始めると、ハウエル社長は灰色の扉の前で立ち止まった。

「マサカ、こんなところが?」
 マックは、あきれて扉の向こうのシェルターの天井を見上げた。たどり着いたのは、グランド・セントラル駅からほど近い、ほぼ直下に広がる地下空間だ。埃をかぶった機械や武器が多数置かれている。かなり昔から存在するらしいことがうかがえる。
「オイオイまるでバットマンの地下要塞だな、こりゃ!」
 アイスターは、古めかしい設備の一つ一つを眺め回している。確かにゴッサム市のモデルはNYである。
「こんな目立つNYのランドマークの一番地の地下に、テロリストのアジトがあったのか? NYが長い俺でも知らなかった」
 元刑事のエイジャックスはあきれた。
「冷戦時代の、六十年代に作られたシェルターだ。ここはその中の一つでね。放置され、当局もすでに把握していない」
 ハウエルによると、NYには、現在は使われていない冷戦時代の核シェルターが、大小千か所あるという。
「そして! スクランブラーといえどここまでは容易に到達できん」
「大した自信だねェ」
 スーは半信半疑でつぶやいた。
「わが社専用の非常事態用の極秘核シェルターだ。核戦争に備えて、一九五九年に作られた。ギャラガーだって知らない」
 NYPDが把握している地下は、公式の地図の範囲内にとどまっている。マンハッタンの地下鉄は、廃線となって放置されたままのトンネルも多く、その地下空間の正確な地図は存在しない。市も把握しておらず――ということは、ロートリックス側も知らないということだろう。エスメラルダによれば、かつてこの地下に、独特の集落が存在し、何千人もの人々が暮らしていた時期があるというのだ。
「アーつまり、他にもあるってコト? あんた方の地下宮殿が」
 アイスターは笑顔で訊いた。
「その通り。別に、宮殿ではないが」
 文字通りの地下レジスタンス、ディスクロージャーチーム「アウローラ」のネットワークの広さをうかがわせる設備だった。違法な武装をし、マンハッタンホーンの破壊をもくろんできたNYレジスタンスたち。帝国は、NYPDに加え、スクランブラーというレジスタンス討伐部隊を操り、徹底的に叩きのめそうとしているが、そう簡単ではないのかもしれない。
 暗黒の世界線のマンハッタンでは、ずっとレジスタンスと影の帝国の戦いが繰り広げられてきたのだ。そしてそれが世間には、「連続テロ事件」と観えていた。
「誰も知らんよ。この大都市の地下がどこまで我々のモノであるかはね。そして地下の地図を持っているレジスタンスは、神出鬼没に地上に出てこれるというコトだ」
「マディソンスクエアガーデンの事件も――?」
「そう」
 エレクトラは地下道を整備した。それを使って神出鬼没に地上へ出没することもできる。地下道を使えば、あたかもワープしたように見せることもできる。近くに地下基地があるのだろう。
「……面白くなってきたな」
 マックはボソッと呟いた。

 アウローラはライト・クルセイダーズの七人を加えたが、総勢百八人の勢力にまで減少した。このシェルターで、ハウエル社長の呼びかけに応じ、一堂に会した元父の仲間たち。バラバラだった彼らを再び集めたのは、タブーを打ち破るハリエットの行動だった。
 アウローラに足りないものは力と柔軟さ、つまり、しなやかな強靭さだった。それをハリエットは、アウローラに取り戻したのである。強大な帝国財団は、簡単には倒せない。けれどハリエットの眼には、彼らには十分、その“力”があると見えていた。
 これらの秘密地下トンネルを使って、アランたちはマンハッタンからNY州都オールバニまで脱出することもできた。アラン・ダンティカ州知事は公務を留守にして、なぜまだバレていないのか? 実はアランは現在公休中で、カリブ海でクルージングしていることになっていた。
 公休は五月十八日までである。つまりそこがタイムリミットだった。このままこっそり、何事もなく戻ることも可能といえば可能だ。しかし、光十字の奇蹟を目の当たりにしたアランは、NYに踏みとどまって戦う決意を固めたのだった。
 エレクトラ社は経営陣が地下へと立ち去り、二万人の何も知らされていない社員たちは、その身分を敵に人質に取られているも同然だった。アランは、一緒についてきた整備局を加えた総勢百八人のメンバーを前に語り始めた。
「ハティ、君はさっきタワーの屋上で、このままではNYの真の歴史も伝統もすべて無に帰してしまう、と言った。だが私はここでアウローラのレガシーを守って、戦うことを誓うよ」
「ありがとう。さっきは私も命懸けだった。危機を招いてしまったことは謝るわ」
「失敗は成功のもとだ」
 埃の積もった、古いシェルター施設の中で、アラン・ダンティカ知事は語り始めた。それは、合衆国の百年間のディスクロージャーの内戦の歴史だった。

「この国のUFO問題、コトの始まりは、大戦中のフーファイターの目撃だ。謎の戦闘機が目撃され、それはフーファイターと呼ばれた。その後、マッキンダー大統領は、宇宙人との協定は不平等だと知りながらも、締結は不可避と考えたんだ」
 周囲二十四キロ四方のエリア51に、地下都市を建設して、宇宙人との共同実験を開始。エイリアン・リバースエンジニアリングの研究によって、光ファイバーや電子レンジ、集積回路の開発、およびステルス戦闘機を開発した。それだけでなく、地球製UFOも造られたのである。
「宇宙人との不平等条約強硬派は、宇宙人の市民誘拐を支持し、反対派を次々と粛清してきた。それに対して四十年前、NYを地盤としたラリー・E・ヴァレリアン大統領のもと、最初の叛乱グループが結成された。それまで散発的だった反乱は一気に組織化され、現在のアウローラの源流となった」
 アウローラより以前の人たちも、宇宙人との不平等条約を批判していたが、暗殺や逮捕や告発によって、公職を失った。
「彼はすべてを暴露しようとしていた。ラリーは、公表に向けて動き出した。その裏で、影の戦争がはじまった。大統領は、できたばかりのスクランブラーに暗殺された。彼の暗殺の前後で、おそらく百人くらいの人物が死んでいる」
「みんな、スクランブラーが?」
「そう。粛清の嵐だ」
 レジスタンスは一度、大粛清によってつぶされていた。
「長い間、この国ではディスクロージャーが試みられてきた。そしてその都度、抹殺されてきた。それをロックが復活させたんだ。だが組織内で武闘派と穏健派が対立し、武闘派はテロ活動を行った。彼らはマディソンスクエアガーデンで粛清された。結果、アウローラは負け続けている」
「そうしてアメリカ政府はずっと、UFO、宇宙人を隠している……」
 マックは言った。
「あぁ……」
「ロック市長は演説で、それを暴露しようとしてたのね?」
 エスメラルダの問いに、アランはうなずいた。

「さて、ここからはお父上と我々の話をしよう――。発端は五年前にさかのぼる……NY大災害だ」
 市議会議員として有名だったロック・ヴァレリアンは大災害後、NY市長として立候補し、当選した。元NY州会計監査官(コントローラー)だったロックは、会計から市政の問題を浮き彫りにした。そこで、数々の疑惑が明らかになった。新市長は市経済の立て直しを図り、NY大天災で無秩序化した治安回復のために、犯罪発生率を減らすべく、ギャング団の取り締まりを強化する。復興に際しては、NYはもとより、アメリカ中からロックのもとに有志たちが集まり、そこで先の天災に関する疑惑が判明していった。
「我々は、ロック市長の下でNYの復興チームを結成した。もう一度、NYを栄光に光輝く都市へと立て直すと同時に、大災害に隠された謎……疑惑の調査に本格的に乗り出したんだ。復興の柱として、まるで、降ってわいたようにマンハッタンホーン計画が現れた。天災を予想して、誰かが入念にダウンタウンの災害復興を画策したようだった。あらかじめ知っていなければ、あそこまで素早い復興計画は立ち上がらない。そう、あの天災は仕組まれていた」
 二年後の二〇二二年、災害跡地グラウンドゼロに、マンハッタンホーンが建った。マンハッタンホーンはロウワーマンハッタンの貿易センター街の一角に聳え立つ人工山といえる巨大ビルだ。ハリケーン対策で都市工学に基づいて設計され、波や風に強い構造を持ち、マ島の最南端に建って、雨風からマンハッタンを防いでいる。
 さらに二年が経過した二〇二四年、破壊された元ガバナーズ島に、全長一キロメートルの「NYユグドラシル」が建設された。世界最高の電波塔として。NYの復興は、順調に進んでいった。
「事の発端は、ここから数千キロ離れたアラスカに建つ、同じく高さ一キロメートルの電波塔だった」
「テルミン・タワーね」
 エスメラルダが訊いた。
「そうだ。この国の政府を裏で操る軍産複合体は、二〇〇五年から長年にわたり、アラスカから気象コントールを行ってきた。これまで、カリフォルニアで起こる地震や火災、トルネード……、それらは自然災害でも天災でもなく、タワーが引き起こした不可解な電磁波現象の結果だった」
「で、五年前のNYも?」
 全長一キロのアラスカの塔が、NYを攻撃したという衝撃の事実だった。
「そう、その恐るべき計画は、現在ダウンタウンに建つNYユグドラシルに引き継がれている」
 奇蹟的に災害の破壊を免れた女神は、NYの復興の象徴として寄付金によって、トーチのランプを取り付けなおし、以前と変わらずマンハッタンを照らし続けている。いや、以前にもまして、災害復興の象徴としてNY市民の希望となったのだ。
「あれ以来、自由の女神は奇蹟の女神とも称されているな」
 突如、ハリエットの光十字ペンダントが輝き始めた。それと同時に、ハリエットの脳裏に、ダウンタウンを襲う津波の記憶が襲ってきた。経験したことなんてないはずなのに――。だがそれは、リアルな〝体験〟となって頭の中に押し寄せてきた。ハリエットはうずくまった。
 どうやら、「こっち」の世界線の過去の出来事の記憶が流れ込んできて、ハリエットの中で二つのタイムトラックが一つになったらしい。ハリエットの記憶が、次第に混濁し始めた――。

     *

 二〇二〇年三月二十五日の夜明け前。
 NY上空にオーロラが出現。それをきっかけにして、ハリケーン・シャルロッテと地震が襲い掛かった。M9の大地震の直後、ダウンタウンに津波が押し寄せてきた。地震津波に、嵐による津波が重なったのだった。二〇一二年のハリケーンサンディの襲来以来のことだった。それ以前は一九三八年で、長い間、NYにハリケーンは襲来していなかった。
 母リオの車に、十一歳のハリエットは乗せられ、二人でウォール街にある会計監査局ビルにロックを迎えに行った。
 車はレッドキューブまで流され、津波に翻弄された。水が制止し、今度は引き潮に流された。津波から上半身を出して、建物の縁に掴まる父に、リオはハリエットを窓から渡そうと腕を伸ばした。
「ロック、ハティを……お願いっ!!」
「分かった、こっちへ――」
 ロックも右手を伸ばした。
「ママ……!! ママ――……!!」
 ハリエットはリオの手を放すまいと、必死に母にすがった。
「ダメだハリエット、順番に行くぞ、ママはすぐあとだ。こちらに……しっかり掴まってろッ!!」
 ロックがハティを引っ張った直後、運転席のリオを乗せた車はそのまま引き潮で沖へ流されていった。
「ママーッ」
 ゴゴゴゴゴゴ……ゴゴゴゴォォォ――……ッ。
 海水が渦巻き、まるで地獄の底が見えるような大きな穴への水流が発生した。
「リオ!! リオ――――ッ。ク―…、クソ――ッ」
 ロックはハティを捕まえたまま、渦から逃げた。
「ママァー!!」
 ハリエットを守って、母リオを乗せたマツダ車はNY沖へと流されていった。日が落ち始め、NYは大停電に沈んだ。
 空が急に明るくなって、ハリエットは見上げた。まばゆい閃光が走った。雲間に光る物体が出現した。
 ボワァァァァ…………ン。
 雲間から、巨大な漆黒の物体が出現した。全長一キロ以上はある、葉巻型UFOだった。現実と非現実の境の光景を、ロックとハリエットはただただ眺めるしかなかった。
 NY大災害で、およそ五千人が死亡。リオの遺体は未だに、上がっていない。行方不明者三千人の一人だ。
 NY証券取引所は一か月の休場を余儀なくされ、五十キロ北にあるインディアンポイント原発は停止。八百万世帯が停電した。高層ビル居住者は遭難者となり、市は水、電気、セントラルヒーティングの復旧を優先。ホームレス生活を強いられた人々が路上にあふれ、アメリカ中、世界中から数百食分の食糧や毛布、生活必需品が届けられた。陸軍は、押し寄せてきた津波によって破壊され、水没した町や地下トンネルから連日排水作業を行い、地下鉄を二週間で復旧し、再開させた。NYだけで一千億ドルの経済的損失が計算された。だが、この大災害でも銀行は儲けている。

     *

「ウウウ……。ママ……パパ……」
 ハリエットの肩が小刻みに震え、かをるは肩をそっと抱いた。
 元の世界線でリオはコロナで亡くなっている。こっちの世界線で、もしかして母は生きてるのではないか、と、と希望を抱いたこともあった。だが今、五年前の災害で行方不明という記憶がよみがえって、ハリエットはがっくりとうなだれた。
「この世界でも――ママに会えない、なんて……ウウ……」

世界線の変化

「この戦いの歴史は、NY春秋(セゾン)と、そう呼んでいるが――この国で続いたNYの百年戦争のことだ。影の世界帝国ロートリックスと、ヴァレリアン家の百年戦争だ……仮に、フーファイターが出現し始めた一九四五から数えると、百年戦争は二〇四五年に終わる。そのちょうど八〇年目の二〇二五年に、現れたのが君だよ。百年戦争の八〇年目に現れた、ジャンヌ・ダルクと同じくね」
 アランはハティの様子をじっと見て、締めくくる。
 百年戦争は、現代教会権力たる勢力の異端審問と処刑によって、宇宙人ディスクロージャー&フリーエネルギーが、滅ぼされた抵抗者の歴史である。現代科学の何が正しく何が異端かを決める「学会」という名の科学バチカンは、出資者の世界企業と手を組んで、異端者を弾圧し、時に暗殺する。アイスターの言った通り、現代は恐ろしく中世暗黒社会に酷似していた。
 グレイの真相、不平等条約の存在――ラリーと同じく、ロックは、二〇四五年に開示されるラリー・E・ヴァレリアン暗殺の真実……UFO問題を公表しようとした。
「我々の得た情報をまとめると、元の世界線では、おそらくだが……この先、ロックは大統領となって、世界へ向けてUFOディスクロージャーを行った。それからアメリカ合衆国は二つに分断し、内戦となったらしい。アウローラは勝利の一歩手前まで敵を追い詰めた。そこで遠い未来に、敵は窮地を挽回するためにマンハッタンホーンを建設し、スターゲート装置を開発。過去への歴史干渉で、NY市長だったころのロック・ヴァレリアンを暗殺した……」
 二〇年周期の地球のバイオリズムのピークとピークに、タイムトンネルが形成される。しかし、それ以上の過去へ飛ぶのには技術上の限界があった。そこで未来の影の政府は、この時代のエリア51に、タイムマシン技術を提供すると、さらに前倒しでタイムマシン技術を完成させたのである。
「それを使って、五年前完成途上だったアラスカの塔に指令を出し、NYに災害を起させた。ロウワーマンハッタンに地震で地盤沈下を起こし、ハリケーンで水没させたんだ。そしてこの時代に、未来に存在したマンハッタンホーンを建設した。グレイと取引し、マンハッタンホーンに人体実験の基地を提供する。前倒しで、超時空テクノロジーを提供させる。内部は、完全に未来テクノロジーだ。NYに新塔を完成させ、スターゲート装置も完成させる。こうして以前と現在、二つのNYの時空が出来上がった。これが、『世界線』と呼ばれるものだ」
 世界線の正式名は、「時間線収斂パラドックスの教理」という。
「未来は無数に存在し、もしも歴史を改変すると、そこから時間線が分岐し、世界は改変されなかった時間線とは異なる歴史を辿ることになる――」
 だが、もとの時間線もそのまま保存されている。未来が分岐することで、タイムパラドックスは起こらない。量子力学の「多世界解釈」が提示した、パラレルワールド宇宙観だった。
「難しくてよく分からん。この偽りのNYがタイムマシンの干渉だということは分かった。ただ、一発の銃弾で、マンハッタンホーンが出現したのはなぜなんだ?」
 エイジャックスが尋ねる。
「その瞬間に、さらに五年前の過去へと干渉したからだが、暗殺のタイミングと重なったのは、おそらくロック・ヴァレリアンが、哲学者ヘーゲルの言うところの時代精神だったからだろう」
「哲学には詳しくないのだが……」
「<時代精神>という存在は、同時代に生きる人間の集合的無意識に作用するんだ。つまり、彼のパーソナリティが持つ精神エネルギーがな」
「その世界線の代表者ということ?」
 ハティがひらめいた。
「そう。で、その彼の運命に、別の世界線にあったNYユグドラシルが作動した。それで死後、一気に向こうの時空へとシフトした」
「……」
 エイジャックスは理解するのを放棄した。ロックの死で世界線変わった。いくつもの平行世界にアクセスする向こうの塔が干渉したことによって。それだけ理解すればいい。
「分かっているのはここまでだ。それ以上に、彼らが歴史のどこをどう改ざんしたのかは我々にも分からない」
 スターゲート装置は、政府がETとの密約で得たテクノロジーだ。これだけは人類の作ったカーゴカルトではなく、例外的に本物の核心に触れた技術らしい。
 エイジャックスは、ハンス・ギャラガーの「別の顔」の謎が解き明かされたことを知った。ハリエットはマクファーレンを見やった。マックはいつも前髪で目を隠し、無表情なので、感慨を受けたのかどうか、ハリエットには分からない。
「世界は改変されたのだ。元のNYに、あんな建物はなかった。みんなの記憶の通りにな。我々はこっちの世界線に飛ばされ、戦うことを決意した」
 ハリエットたちはマンハッタンホーンの記憶がなく、アウローラのメンバーには、元の世界線と、こちらの世界線の記憶を持った者が半々のようだ。
「――二〇二〇年に、私のいた世界線ではコロナ・パンデミックがあったの。NYはロックダウンになり、無人化した。世界の終わりみたいだった」
 ハリエットが思い出す光景――春先から発生したコロナ・パンデミックは、黙示録の時代の到来を感じさせた。
「俺も覚えている……」
 エイジャックスは同意した。
 アラン知事にはNY大災害の記憶があり、世界的コロナ・パンデミックの記憶はないらしい。いずれにしても、アウローラ内で情報共有しているようだ。
「歴史の改ざんを行ったのだろう。善意からではない。きっとパンデミックが起こると、彼らの計画に差し障るからだ」
 なぜパンデミックが起こらなかったのかは、アウローラたちにも詳しいことは分からない。ハティの中に、謎として残った。
 ロックはNY市長職の立場でそれを準備していたが、際どいところまで語り始めたとき……、親族のラリー・E・ヴァレリアン大統領と同じく暗殺された。
「とにかくロックは大統領になり、宇宙人とアメリカの不平等条約、政府の人さらい公認を暴露する予定だった。が、彼はそれでは遅いと判断した。市長として前倒しで暴露しようとして、暗殺された」
 真相不明のまま、NY市政内は荒れた。彼の支持者は次々に狙われ抹殺された。国内に宇宙人問題に関して不穏な空気が漂う中、ひそかに革命軍が再起した。この世界にマンハッタンホーンが出現し、ラリー・E・ヴァレリアンエフェクトの都市伝説がささやかれる中で――。
「終わらせるわ、私の代で! ジャンヌみたいに!」
 ジャンヌ・ダルクは英仏百年戦争を終わらせるべく、天がフランスに遣わした使者だった。敵に捕らえられ、最期不当魔女裁判で火刑に消えたジャンヌの志は、フランス軍によりイギリス軍は追い出され、その二十二年後に百年戦争は終結した。ジャンヌは復権裁判で名誉を回復。ジャンヌの志は果たされ、フランスに平和が戻ったのだ。
 一八八六年、アメリカ独立の際に、フランスからNYに自由の女神が贈られた。NYに渡った自由の女神の意思を、ハリエット・ヴァレリアンが引き継いで、アメリカ、NYで百年続いた支配者とのひそかな戦いを終わらせるのだ。
「おこがましいが……私が君の父親代わりになる。だから何でも言ってほしい」
「ありがとう……アランさん」
「不平等条約の存在が知れ渡ったら、確かに国が真っ二つに分かれて内戦になるかもしれんな」
 マックは、不穏な目つきでそう言った。
「あぁ、奴隷解放の歴史は、南北戦争の歴史を踏襲している」
 エイジャックスは煙草に火をつけた。
「こちらへ。我々の工場を案内しよう」

「これは……」
 地下道を三十分も進むと、次の目的地に到着した。
「ここはどの辺りだ?」
「セントラルパークのニューヨーク近代美術館の直下だ」
 古いマシンばかりかと思ったら、そこに最新の工場エリアがあった。エレクトラ社の極秘工場らしい。武装バイクがおよそ千台眠り、装甲車類がズラりと完成していた。
「我々の兵器開発部門が開発した戦闘バイクだ。車名はロードスター。ジャイロ機能で決して倒れない。椅子は身体に固定し、完全自動運転や安全制御装置付きで、事故を未然に防ぐAIを搭載――。たとえ両手を離しても事故は起こらない」
 戦闘バイクは、強力なハイブリットエンジンを搭載していた。
「なんだ、こんなモノがあるんじゃないか?」
 マックがハウエルに訊いた。
「これなら、スクランブラーのバイクに対抗できる。だが、起動用のコンピュータはエレクトラタワーの中にある。高性能ジャイロは制御プログラムを流し込まないと動かない。ここからじゃ起動できんのだ」
「つまり、ここを見つけられたらレジスタンスは終いか」
 バイクの生産工場、敵はそこをハッキングして侵入を図ろうとしてきた。しかし、それには一度として成功しなかった。今までは。
 アウローラ軍の兵装は確実にアップグレードすることになるが、それにはまずエレクトラタワーを奪還する必要があった。
「ここからよ。これからレジスタンスの戦いが始まる――」
 ハリエットは不敵に微笑んだ。強力な戦闘バイクの群れを目にして、ワクワクする感覚が沸きあがってきた。
「エレクトラタワーを奪還するまでだわ!」
 自分が父を引き継ぐ。ヴァレリアン一族は、この国の抵抗者の中心だった。その一族の呪いを背負って、最期ハリエット・ヴァレリアンが立ち上がったのである。度重なるNYの弾圧に憤慨したアウローラの残党とともにハリエットは、宿敵ハンス・ギャラガーを討つ!
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