第6話 ニューヨーク・ニューヨーク ザ・デイ・アフター・Tスクエア
文字数 3,532文字
二〇二五年三月七日 金曜日
胸騒ぎがする。
ハリエットはバイクにまたがると、ホテルへは戻らず、NYPDから父のアパートへと直行した。途中、まったく同じタイプの数台のトラックが通り過ぎていくのを目撃した。まさか。……ハリエットの直感がうずく。さっきのトラックは? 気になる。急がなくては。自分で何とかしなくちゃ、父の資料を探し出して、真相に近づくヒントを得ないと――。
「これ……何」
ガランとした部屋に入って、唖然とした。ダコタハウスの父の自宅事務所が抜け殻だった。
父の資料がすべて――消え去っている! 丸ごと持ち去られている!
「どうして自宅まで! 遅かった! あっ、あんまりだっ!!」
ハリエットは、わなわなと震えた。
「ない! 何もかも――! アイツらが持っていったんだ」
本も資料も、何もかも奪われている。もっと早くここに来ていたら……。いや、一体いつからだ? やっぱりさっきのトラックか!? それとも――。ホテルに泊まるべきじゃなかった。
『葬儀や後のことは全て私がやるから、君は何も心配することはない、ハティ、安心しなさい――』
ギャラガーは確かにハリエットにそう言った。
「あいつ……」
スマホが鳴った。ハリエットは、身構えて電話に出た。
「あぁハティか、今どこに?」
ハンス・ギャラガーだ! 身を固くする。まさか監視されている?
「今、父の自宅です。父の荷物は……」
ハリエットは、部屋の中をキョロキョロと見回した。監視カメラが設置されているのだろうか。天井、壁、部屋の隅を見渡す。でもすぐには発見できない。
「自宅かね? 葬儀の後で、一度運んだんだ。市政の仕事のものが大部分だから、市政に必要でね」
「どうして言ってくれなかったんです!?」
「連絡が遅れてすまなかった。葬儀の後で、市長の引継ぎとか、事件の捜査とかで立て込んでてね、遺品には機密性が高い資料も多くある。ひと段落したら連絡するつもりだったんだ」
ギャラガーは適当なことを言う。「捜査に必要」だの、「市長の仕事を引き継ぐため」だのと――。
「待ってください……、それなら父が命懸けで公表しようとしたことを――代わりにあなたが公表してください! SPが現場で回収したんですよね!?」
「コトは重大だ、まだ言えんことの方が多い。ハリエット、子供の君にはまだ分からんと思うが――、すべて私に任せるんだ!」
妙に語調が強いのが気になった。なぜか、早々に話を終わらせようとしているように感じられる。
「電話したのはこの後記者会見で、発表があるからなんだ――君にも観ておいてもらいたい。じゃあ、時間になったからこの辺で。身体に気を付けて。口座には当分の生活費を用意しておいた。相続についてはまた別途弁護士から話をしてもらう。栄養のあるものを食べて、心身ともにゆっくり休みなさい、いいね?」
ギャラガー副市長は、電話を切った。警官と同じことを言う。まるで、示し合わせたように。――この男たちの脚本なんだろう。それに、また子ども扱いだ!
「あいつ、怪しい……」
TVをつけると、NY市庁舎のブルールームでギャラガーが公式記者会見を開いていた。後ろには、見覚えのあるミステリークロックが映っていた。ついこの前まで、ここにあった時計じゃないか!
「これから、大規模なテロ組織解明に向けた戦いが始まります――」
新市長のギャラガーは宣言した。
「テロを引き起こした、アイアンサイド一家は手先にすぎません。テロの脅威は引き続き高まっています。NY市警は、特殊部隊、銃器対策、装備、訓練強化、隊員の能力の向上を図っています。各情報機関と連携し――、サイバー対策、テロリストの脅威をこのNYから排除せねばならない。テロに立ち向かう強い意思を持ち、NY市の秩序と正義――、それらを守るために全市民が断固たる決意を持って、立ち向かっていかねばなりません。決して楽観視はできません」
ギャラガー新市長は、カメラ目線でトクトクとNYのテロ対策を語り始めた。カメラは次第にギャラガーの歪んだ口元をアップしていった。ハリエットはまるでこっちを観ているように感じて、すぐテレビを切った。
「違う、みんな一部ギャングやテロリストのせいにしようとしている……。グルだ! 犯人は身内の中に居た! そうだ、この町が一丸になって、父を殺した……。白色テロなんだ!!」
怒りがメラメラと沸いてくる。
「アイツら……やられたわ。みんな、みんな持ってかれてしまった――」
部屋をグルリと見渡して、ハリエットは、怒りでメラメラと燃え上がった。
「警察か! あいつらに言ったせいで!」
すべて“奴ら”が奪い去っていった!!
ガランとした本棚に、小さな木箱だけが残っていて、窓の半開きになったブラインドの光を通して、日を浴びている。
部屋の中のモノはあらかた持っていかれたが、他にも、書物類、いくつかの置物、マトリョーシカや、クリスタル柱、希少な貝殻類が置かれている。ギャラガーが、価値のないガラクダ類だと判断して持って行かなかったモノ類らしい。
木箱の大きさは、十センチ×五センチ。
手に取ると、箱の中でカラカラと乾いた音がした。中に、小さな硬いモノが入っている。ハリエットは両手に持って、蓋を探した。けど蓋は見当たらず、開け方が分からなかった。ハリエットはそれをポケットの中にしまった。
広々としたデスクに座って、父の顔を思い浮かべる。
「お前にだけは全てを話す――」
父はそう、ハリエットに常々言っていた。「この国の真相をすべて暴露する」、とも。
そして、当日を迎えた。父が演説後に自分にくれるはずだった情報――。
「ああ……パパ……何だったんだろ……」
ハリエットの頭の中には、ほんの少しだけ、断片的な父の言葉が残っていた。
「思考は、それまで何世紀も賛美されてきた論理が、実は頑固な敵であると認識した時に始まる」
哲学者ハイデッガーの言葉だ。
「他人に振り回されるな、自分の人生の主人公になれ。お前は人生で、自分の望むどんなことでも出来るのだ」
父の遺言はないが、これが、遺言みたいなもの。
「人間は負けるように作られてはいない。たとえ殺されるころはあっても負けることはない」
ハティは、父の言ったヘミングウェイの言葉を反芻する。
いや、もう一冊棚には本がある。孔子が書いた「春秋」という書物が残されている。日本語で「春秋の筆法」とは、歴史を記す際に、何を書いて何を書かざるか、そこに「真実」を残すことを意味する。この世界の歴史の真実を何を書き、何を書かなかったかを、眼光紙背に徹するのだ。
「私は孤独……私は自由……私は私自身の王……」
ハリエットには誰も味方が居ない。けど、自分くらいは自分の味方でいなくちゃ――。
こうも言っていた。
『国を動かすモノたち』
『影の支配権力構造』
父が考えた、途方もない空想物語……? いいや、あるいはそれ以上の社会の真実が!? けれどほとんど教えてくれなかった。どうしてもっと早く――……、今から考えると、きっと父は、自分を巻き込ませたくなかったのだろう。
だが、おそらく父が暴露しようとしていた資料はどこにもなく、すべてはギャラガーに持ち去られた後だった。
ハリエットはカァッと全身が熱くなるのを感じた。
――警察に聞いたのがそもそもの失敗だ。
警察も市庁舎も、全員グルだったなんて!
「――主犯は、あの男。副市長のハンス・ギャラガー!!」
味方……いや父が身内だと思っていた男が、父を殺し、父の演説や暴露情報を全否定し、隠ぺいした!
その後のNY市政独裁……アイツの動きが、すべてを物語っている。
TVでのあの自慢げな姿。何て厭らしい。ギャラガーは父が座っていたデスクに座し、父の持ち物を奪い、ものの見事に市長の座を奪った。誰のシナリオかなんて、一目瞭然だ。よっぽど、目が曇ってなければ。
部屋を出て、ハリエットはKAWASAKIのバイクにまたがった。走り出した途端、後ろの車が発車する。尾行されている――。
ハリエットはブッ飛ばして渋滞を利用し、車を撒いた。こんな混雑した町で、バイクを尾行するなんて不可能だ。そう言って見上げると、目の前にマンハッタンホーンが聳え立っていた。
(いくら大富豪になり、いくら豪邸に住み、いくら権力を握っても、その力は幻でしかなく、砂上の楼閣なんだ)
「憎い……あれほど憎いモノが美しいなんて……」
マンハッタンホーンに対して、アンビバレントな感情を抱く自分がいる。荘厳で華麗なNYの夜景が涙で、ドンドン曇っていった。
夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る。
詩編
胸騒ぎがする。
ハリエットはバイクにまたがると、ホテルへは戻らず、NYPDから父のアパートへと直行した。途中、まったく同じタイプの数台のトラックが通り過ぎていくのを目撃した。まさか。……ハリエットの直感がうずく。さっきのトラックは? 気になる。急がなくては。自分で何とかしなくちゃ、父の資料を探し出して、真相に近づくヒントを得ないと――。
「これ……何」
ガランとした部屋に入って、唖然とした。ダコタハウスの父の自宅事務所が抜け殻だった。
父の資料がすべて――消え去っている! 丸ごと持ち去られている!
「どうして自宅まで! 遅かった! あっ、あんまりだっ!!」
ハリエットは、わなわなと震えた。
「ない! 何もかも――! アイツらが持っていったんだ」
本も資料も、何もかも奪われている。もっと早くここに来ていたら……。いや、一体いつからだ? やっぱりさっきのトラックか!? それとも――。ホテルに泊まるべきじゃなかった。
『葬儀や後のことは全て私がやるから、君は何も心配することはない、ハティ、安心しなさい――』
ギャラガーは確かにハリエットにそう言った。
「あいつ……」
スマホが鳴った。ハリエットは、身構えて電話に出た。
「あぁハティか、今どこに?」
ハンス・ギャラガーだ! 身を固くする。まさか監視されている?
「今、父の自宅です。父の荷物は……」
ハリエットは、部屋の中をキョロキョロと見回した。監視カメラが設置されているのだろうか。天井、壁、部屋の隅を見渡す。でもすぐには発見できない。
「自宅かね? 葬儀の後で、一度運んだんだ。市政の仕事のものが大部分だから、市政に必要でね」
「どうして言ってくれなかったんです!?」
「連絡が遅れてすまなかった。葬儀の後で、市長の引継ぎとか、事件の捜査とかで立て込んでてね、遺品には機密性が高い資料も多くある。ひと段落したら連絡するつもりだったんだ」
ギャラガーは適当なことを言う。「捜査に必要」だの、「市長の仕事を引き継ぐため」だのと――。
「待ってください……、それなら父が命懸けで公表しようとしたことを――代わりにあなたが公表してください! SPが現場で回収したんですよね!?」
「コトは重大だ、まだ言えんことの方が多い。ハリエット、子供の君にはまだ分からんと思うが――、すべて私に任せるんだ!」
妙に語調が強いのが気になった。なぜか、早々に話を終わらせようとしているように感じられる。
「電話したのはこの後記者会見で、発表があるからなんだ――君にも観ておいてもらいたい。じゃあ、時間になったからこの辺で。身体に気を付けて。口座には当分の生活費を用意しておいた。相続についてはまた別途弁護士から話をしてもらう。栄養のあるものを食べて、心身ともにゆっくり休みなさい、いいね?」
ギャラガー副市長は、電話を切った。警官と同じことを言う。まるで、示し合わせたように。――この男たちの脚本なんだろう。それに、また子ども扱いだ!
「あいつ、怪しい……」
TVをつけると、NY市庁舎のブルールームでギャラガーが公式記者会見を開いていた。後ろには、見覚えのあるミステリークロックが映っていた。ついこの前まで、ここにあった時計じゃないか!
「これから、大規模なテロ組織解明に向けた戦いが始まります――」
新市長のギャラガーは宣言した。
「テロを引き起こした、アイアンサイド一家は手先にすぎません。テロの脅威は引き続き高まっています。NY市警は、特殊部隊、銃器対策、装備、訓練強化、隊員の能力の向上を図っています。各情報機関と連携し――、サイバー対策、テロリストの脅威をこのNYから排除せねばならない。テロに立ち向かう強い意思を持ち、NY市の秩序と正義――、それらを守るために全市民が断固たる決意を持って、立ち向かっていかねばなりません。決して楽観視はできません」
ギャラガー新市長は、カメラ目線でトクトクとNYのテロ対策を語り始めた。カメラは次第にギャラガーの歪んだ口元をアップしていった。ハリエットはまるでこっちを観ているように感じて、すぐテレビを切った。
「違う、みんな一部ギャングやテロリストのせいにしようとしている……。グルだ! 犯人は身内の中に居た! そうだ、この町が一丸になって、父を殺した……。白色テロなんだ!!」
怒りがメラメラと沸いてくる。
「アイツら……やられたわ。みんな、みんな持ってかれてしまった――」
部屋をグルリと見渡して、ハリエットは、怒りでメラメラと燃え上がった。
「警察か! あいつらに言ったせいで!」
すべて“奴ら”が奪い去っていった!!
ガランとした本棚に、小さな木箱だけが残っていて、窓の半開きになったブラインドの光を通して、日を浴びている。
部屋の中のモノはあらかた持っていかれたが、他にも、書物類、いくつかの置物、マトリョーシカや、クリスタル柱、希少な貝殻類が置かれている。ギャラガーが、価値のないガラクダ類だと判断して持って行かなかったモノ類らしい。
木箱の大きさは、十センチ×五センチ。
手に取ると、箱の中でカラカラと乾いた音がした。中に、小さな硬いモノが入っている。ハリエットは両手に持って、蓋を探した。けど蓋は見当たらず、開け方が分からなかった。ハリエットはそれをポケットの中にしまった。
広々としたデスクに座って、父の顔を思い浮かべる。
「お前にだけは全てを話す――」
父はそう、ハリエットに常々言っていた。「この国の真相をすべて暴露する」、とも。
そして、当日を迎えた。父が演説後に自分にくれるはずだった情報――。
「ああ……パパ……何だったんだろ……」
ハリエットの頭の中には、ほんの少しだけ、断片的な父の言葉が残っていた。
「思考は、それまで何世紀も賛美されてきた論理が、実は頑固な敵であると認識した時に始まる」
哲学者ハイデッガーの言葉だ。
「他人に振り回されるな、自分の人生の主人公になれ。お前は人生で、自分の望むどんなことでも出来るのだ」
父の遺言はないが、これが、遺言みたいなもの。
「人間は負けるように作られてはいない。たとえ殺されるころはあっても負けることはない」
ハティは、父の言ったヘミングウェイの言葉を反芻する。
いや、もう一冊棚には本がある。孔子が書いた「春秋」という書物が残されている。日本語で「春秋の筆法」とは、歴史を記す際に、何を書いて何を書かざるか、そこに「真実」を残すことを意味する。この世界の歴史の真実を何を書き、何を書かなかったかを、眼光紙背に徹するのだ。
「私は孤独……私は自由……私は私自身の王……」
ハリエットには誰も味方が居ない。けど、自分くらいは自分の味方でいなくちゃ――。
こうも言っていた。
『国を動かすモノたち』
『影の支配権力構造』
父が考えた、途方もない空想物語……? いいや、あるいはそれ以上の社会の真実が!? けれどほとんど教えてくれなかった。どうしてもっと早く――……、今から考えると、きっと父は、自分を巻き込ませたくなかったのだろう。
だが、おそらく父が暴露しようとしていた資料はどこにもなく、すべてはギャラガーに持ち去られた後だった。
ハリエットはカァッと全身が熱くなるのを感じた。
――警察に聞いたのがそもそもの失敗だ。
警察も市庁舎も、全員グルだったなんて!
「――主犯は、あの男。副市長のハンス・ギャラガー!!」
味方……いや父が身内だと思っていた男が、父を殺し、父の演説や暴露情報を全否定し、隠ぺいした!
その後のNY市政独裁……アイツの動きが、すべてを物語っている。
TVでのあの自慢げな姿。何て厭らしい。ギャラガーは父が座っていたデスクに座し、父の持ち物を奪い、ものの見事に市長の座を奪った。誰のシナリオかなんて、一目瞭然だ。よっぽど、目が曇ってなければ。
部屋を出て、ハリエットはKAWASAKIのバイクにまたがった。走り出した途端、後ろの車が発車する。尾行されている――。
ハリエットはブッ飛ばして渋滞を利用し、車を撒いた。こんな混雑した町で、バイクを尾行するなんて不可能だ。そう言って見上げると、目の前にマンハッタンホーンが聳え立っていた。
(いくら大富豪になり、いくら豪邸に住み、いくら権力を握っても、その力は幻でしかなく、砂上の楼閣なんだ)
「憎い……あれほど憎いモノが美しいなんて……」
マンハッタンホーンに対して、アンビバレントな感情を抱く自分がいる。荘厳で華麗なNYの夜景が涙で、ドンドン曇っていった。
夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る。
詩編