第16話 日米欧三極持続可能委員会(トライラテラル・サスティナブル・フォーラム)

文字数 13,769文字

二〇二五年四月四日 金曜日

海老川雅弓、NYに降り立つ

 現役東大生二年の海老川雅弓と、同学年の銭形花音は、海老川グループの社用ジェット・ハヤブサでNY国際空港に降り立つと、横一文字のヘッドライトが特徴的なトヨタクラウン・クロスオーバーでロウワーマンハッタンを訪れた。運転手は財閥秘書官の小松川執事である。
「雅弓お嬢様……間もなく到着しますよ」
「周りを三周してちょうだい」
「了解いたしました」
 花音はボディガードとして同行していたが、三人で訪れたのは雅弓の、天才科学者ニコラ・テスラと同様の、「三」に対する異様なこだわりに原因があった。だから三極委に参加するのも――、彼女としては理にかなっていた。
 二十歳の東京学生連合会長の海老川は、総長代理として、今回の三極委の東京代表権を勝ち取るために、有楽町の地球フォーラムを貸し切ると、「NYに行きたいか~!」という名の大掛かりなゲームを開催。知力、体力、勝負運などを競い、他の上級都民の候補者に勝ち抜いて、見事代表権を獲得したのだった。
「南北二十キロ、東西四キロ。端から端まで車で三十分の距離――帝都マンハッタンは、東京都で言えば、杉並区とほぼ一緒くらいね」
 雅弓は車窓を眺めながら花音に言った。
「山手線の円内とも同じです」
「それと市川市も」
「なぜサイズを?」
「いいえ……もしここが戦場になったらって、頭の中でシュミレーションしてただけ」
「職業病では? 不謹慎ですよ。シャレになりません」
 そう云いながら花音も、頭の中で同様の戦闘シュミレーションを行っていた。花音はどちらかというと雅弓よりも、戦闘に特化していた。
「気にすべきは地上よりも、むしろ頭上――、これだけの高層ビル密集地帯ですからね。その密度は帝都新宿以上です」
「えぇ――ここでの戦場は立体的に捉えないとね」
 車が停まり、海老川は紺生地に花柄をあしらったワンピースを着て、MH前のストリートに立った。通行人の女性たちは、スキニージーンズなどのパンツルックが圧倒的で、雅弓は見事に浮いていた。
「NYの女性は、――どうやらパーティ以外では、あ、あまりワンピースやスカート類は好まないようね」
 彼女にしては言葉を慎重に選びながら、街の感想を述べる。
「はい」
「あなたはなじんでいるわよ、花音」
 と、花音に言ったところで、この大柄な女はスポーツウェアしか着たことがないに等しい。花音は黒いパンツに白Tシャツ、そこにジャケットを羽織っていた。髪もショートヘアでボーイッシュないでたち。これでも今日は最大限におしゃれだ。
「私は無頓着なだけです。私にファッションセンスなど求めないで下さい」
 東大のバレーボール選手代表であり、同時に隠密の荒事も行う花音は、動きやすい服装を第一としていた。それじゃNYの女性が無頓着に聞こえるだろう、と雅弓は思ったが、海老川たちの会話は日本語なので多分聞かれていない。

終末時計と三角テーブル

 マンハッタンホーンの二〇〇階にある大講堂X2。通称ブルーホール。収容人数二千人。先日、ジェイドが総帥就任演説をしたX1レッドホールとは別ホールである。MH保安部隊が会場警備を担当している。青い天井下の円形会議場に、巨大三角形のテーブルに椅子が並んでいる。
 スクリーンには、三極のシンボルが映し出されている。三角形のデザインだ。
 日米欧三極持続可能委員会は、日本(アジア太平洋)・アメリカ・ヨーロッパの自由主義圏の民間人からなる非公開の国際会議だ。
 東京(新宿)、欧州(ブダペシュト)、北米大陸(NY)が持ち回りで、会議を開催している。政治・経済・軍事・科学など、あらゆる分野について討論する。各地域から三議長(チェアマン)が率いる代表団が並んでいた。
 ゼレンヴァルト(XERENWALD)帝国財団からは、ヨーロッパ地域極長のロイ・ローゼンタール。その後ろには巨漢のボディガード・ブランケンが立っている。二メートル三十センチもある。この男も強化兵(スーパーソルジャー)だ。
 東京帝國からは、アジア太平洋地域極長で東都帝国大学総長の桜田権蔵の名代として、海老川グループの海老川雅弓嬢が参上している。本来、東京帝國総帥は東山財閥の東山光政(みつまさ)という。
 そしてアメリカはロートリックス帝国財団総帥のジェイド・ロートリックス。
 今回のホスト国である。何千という世界中の財団とシンクタンクを束ねる――これが、帝国財団である。
 世界の命運は、この三つの帝国財団が分割統治するトロイカ体制で決定される。三地域からそれぞれ百人が集まり、計三百人が三日間にわたって討論する。すなわち三角会議である。
 他にもスタッフが数多く参加し、三角テーブルの後方に配置された講堂内の席は、ほぼ埋まっていた。このX2大講堂は、目的に応じて自由に座席配置を変えることができるのが特徴である。周囲の壁には、取り囲むようにして巨大ディスプレイが並んでいた。
 自由主義圏で極めて重要な経済フォーラムだが、メディアが取り上げることはほとんどなかった。国連安保理やG7などとは異なり、一般に知られていない地球的な危機について議題とする。あるいは、一般的に認知されていたとしても、語られないような問題の深層について議論する。TSC(三極)は、帝国財団が統治する事実上の世界政府だった。
 東京代表の海老川雅弓すぐの後ろに、ボディガードの強化兵・銭形花音が立って、会場内の人員の様子を監視していた。やがて、スーツ姿のジェイドが現れた。
「今回ホスト役を務めさせていただく、ロートリックス新総帥のジェイドです。私だけでなく、どうやら各地域で世代交代が進んだようだ。新しいメンバーの姿も多い。ここで今一度、三極委設立の原点に立ち返って議論を始めようと思う。最初に、これまでの経緯をNASAのステラ博士から説明してもらいましょう」
 挨拶の最中、ジェイドの瞳は雅弓の姿を捉えた。
 NASAのステラ・リーベイ博士が中央の大スクリーンに映し出される。三十代後半の細身で鋭い目つきが印象の、だがその光は知的で柔和でミステリアスな女性科学者である。
「――来るべき世界の終末。その問題定義が一九五〇年代に当時の地球物理学者アーネスト・グレン博士から提言されました。今日まで最新情報が更新され続け、地球人類の生き残りが模索されてきました」
「一九五七年のセントルイスでの環境国際会議で、A・グレン博士たちが予想した内容は、CO2による温室効果で、食糧危機が訪れ、人類は滅亡するという意見で大半を占めました。その後、三極委員会が発足に至りました」
 産業革命以前に比べ、地球の平均気温1.8度上昇した。このまま上昇が続けば、二度未満に抑える目標は近々破られる。大気のCO2濃度はもう引き返せないレベルに達していた。温室効果ガス……かつての否定派学者陣も今では沈黙するか、ほとんどは転向せざるをえなくなっていた。アメリカ国内はもとより各先進国、新興工業国はCO2を排出し続けて、ブレーキがかからない状態だった。
 科学者の温暖化提言をもとに、一九七四年、オイルショックと世界同時不況の際に三極委は発足した。
「温暖化は巨大ハリケーンなどの自然災害を増大させ、ポールシフトが始まりました。今年二〇二五年には、太陽フレアの活動が活発になり、電子通信機器に悪影響を及ぼしています。ポールシフトは太陽活動が原因です。ホピ族の、<大いなる清めの日に、地球の両極に頭としっぽを置く、二匹の巨大な蛇の頭を抑えていた軍神の力が弱まる>……という予言の、大いなる清めの時が来たのです。そうなれば世界的な食糧危機が来る。我々に残された時間はほとんど無いのです。最後の審判<ジャッジメント・デイ>まで、待ったなしの状況です」
 ホピ族の伝承によれば、この世界は、人類が出現して第四の世界であるという。第一の世界は戦争による火によって滅び、第二の世界は犯罪があふれて氷河期で滅び、第三の世界は「空飛ぶ盾」と呼ばれる戦闘機で世界大戦が起こり、大洪水で滅んだという。そしてこの第四世界でも、A・グレン博士は、世界の終末が近いことを予言した。終末時計の針が――今や限りなく0時に近づいていた。
「ついに人類は『黙示録』に予言された、最後の審判の時を迎えている、そう断言できるでしょう。温暖化による南極のオゾンホール、それに加えて、急激な地軸の移動(ポールシフト)によるバンアレン帯の亀裂によって、地上に大量の宇宙線が降り注ぐ。世界の大都市の上空に、オゾンホールが出現します」
 画面にCG映像が映し出されている。
「現在の地球人口は八十億人ですが、地球温暖化とその後に襲い掛かる極移動によって、十億人以下にまで減少することが予想されます。両方とも、太陽が原因です。そこに地球では、人類の活動によって二酸化炭素による温暖化が加わります。このままでは人類は滅亡に向かって、突っ走っていくことになる。それを、我々は『最後の審判』と呼んでいます」
 三極委では、「神話」や「予言」が真実の記録として扱われていたが、それは彼ら「帝国」の伝統であった。
「ここで、死海文書のスケジュールに立ち戻りましょう。『戦いの書』によりますと、二〇一八年から二〇二三年まで、五年間の前哨戦が行われ、二〇二四年から二〇三〇年までの六年間に、大戦の準備期間があるとされています。そして、二〇三一年―二〇六〇年の二十九年間のどこかで核戦争が起こり、わずか六時間で一億人が死亡する。最終戦争で、人類は滅亡の危機を迎えるのです」
 ここにいる彼らは誰一人として、全面核戦争で地球人が全滅してしまうことを望んではいない。丸い地球で核を撃てば、めぐりめぐって自分たちに放射能が降りかかる。自明の理だ。だが、今日の緊張感ある大国同士の均衡がどこかで崩れれば、すべては一気に瓦解してしまう。
「……来るべき最後の審判、地球温暖化と極移動のダブルパンチに加えて世界大戦――、地球はすでに後戻りできない地点を超え、人類は地獄へ向かってアクセルを踏み続けています。このような各国政府のエゴを、我々は当初から予測し、緊急の人類生存への道を計画しました。持続可能な未来のために、三つの計画が提案されました」
 大画面に映し出された三つの計画を見上げて、海老川はかすかに微笑んでいる。
「第一の計画は、CO2削減、および再生可能エネルギー技術による温暖化改善です。しかし、なまじの技術では時計の針は後戻りできないことは当初から予想され、大規模な地下都市を建設することに軌道修正されました。しかしこれは大人数を収容するには非現実的で、冷戦時代に、米ソ両国の首脳によって直ちに否定されました」
 三極委員会は、その理由を公には明らかにしていない。
「第二の計画は、『塔の計画』と呼んでいます。超古代テクノロジーとエイリアン・リバースエンジニアリングの結晶、すなわちバベルの塔の気象兵器による、気象コントロール政策です。今、世界には三つの塔、世界システムが建っています。アラスカのテルミン・タワー、東京スミドラシル天空楼、そして三番目がここNYに建つNYユグドラシルです。――五年前のNY大災害から始まった禊計画によって、東京とアラスカとNYの三か所に、三つの塔が建ち、計画的な大災害を行います。それは、最後の審判の脅威を最小限にとどめるための究極的な選択でした」
「ステラ博士、ちょっとよろしいですか? バベルの真の役割が、情報漏洩された問題について伺いますが、それによると世間では我々三極が計画してきたバベルの塔が起こす大災害で、持続可能な人口削減、選民を残し、これ以上人口を増やさないこと――人口コントロール政策だとされているが? 人口増加を防ぐための出生コントロールというのは真意ですか?」
 質問したのはゼレンヴァルトのエルネスト・スペンサー卿である。バベルはテスラコイルであり、ツングース大爆発のような破壊をもたらすと一部でうわさされている。すると、ジェイドが立ち上がった。
「私が答えましょう。塔が世界の人口を十億人にまで減らす持続可能(サスティナブル)な人口削減など、単なる都市伝説です。ですが、荒唐無稽な流布を黙認しています。あまりに荒唐無稽なら、はなから信じないでしょう。大衆はパニックを起こしやすいものです。今、真実の危機を彼らが知れば、いたずらに混乱を起こすだけです」
「ジェイド帝、ありがとうございます」
 ステラ博士は会釈した。
 第二計画は人口削減などではなく、温暖化を引き起こすCO2を、塔の力で軽減するために気象をコントロールする。もっとも三つの塔を連動させる大型エルニーニョなどの気象コントロールは、その対価として、どのような影響が起こるのか計り知れない。結果として天変地異が起こって、社会にも多少なりとも犠牲が生じるという予想だ。つまり、人口削減というのは結果論だった。
「そして第三の計画は、ごく少数の人間をセレクトし、エイリアン・テクノロジーを活用して外宇宙へと人類の活路を見出すことです」
 これから気候変動の速度を遅らせることができても、人間が地球上に存在する以上、解決できるとは限らない。宇宙空間に新たな移住先を求めざるを得なくなる。宇宙には新しいフロンティアが広がっている。鉱物などの資源も開拓することができる――という考え方だ。
「地球脱出の最有力候補が、火星への植民です」
 温室効果とポールシフトのダブルパンチ、そして戦争の危機。そこで火星への脱出計画が練られた。「プロジェクトノア」。表向きは火星有人飛行やテラフォーミング計画として語られている火星移住計画は、かなり以前から進んでいた。
「最初の提言が出たのはもう六十八年前のことです――我々は滅亡か持続か、瀬戸際に立たされています。持続可能な未来のために、二つの計画は同時に進められてきました。世間から見れば、いずれも現代の科学技術では手に負えない、オーバーテクノロジーです。誰が人類を救うのか、それが我々三極なのです……」
 ステラ博士は、いったん区切って、各地域の代表団の面々を眺めた。
「我々の提言を受けて、各国はただちに第二と第三の計画の実行を開始しました。バベルの塔の研究が始まり、米ソは冷戦中、長年にわたり、宇宙開発で共同計画を行い、火星脱出を目指してきました」
 戦争や紛争で、表向き対立しているように見える国家群は、三つの“帝国”によって分割統治され、結託して世界的な人類の危機と立ち向かっていた。歴史上、米国の軍産複合体とロシアは宇宙開発で手を組んでいた。冷戦は表向きのシナリオだった。
 再生可能エネルギーや人口削減で温暖化を軽減し、地球滅亡を回避しようとしたが、それが難しいとなると最後の手段、火星への移住が進められた。
 世界のスーパー・エリートたちは、第一段階は無理と判断し、第二・第三に移行した。巨大な危機を何とか回避し、持続可能な未来を獲得するための、超法規的な措置だった。
「温室効果と極移動のWパンチによって……ジャッジメント・デイ開始のタイムリミットまであとわずか。最後の審判のとき、地球人は羊と山羊に分けられる……もはやその時まで、時間がありません。これらの計画を円滑に進めるために、計画に気づいた不穏分子を排除する、円滑化計画も発足し、今日に至ります」
 人類滅亡の未来から、種の保存。これが、影の世界政府<日米欧三極持続可能委員会>の最終目標だった。そしてそのためにエイリアンと秘密条約を結び、選民を火星へ脱出させるテクノロジーを得る。かつて火星には人類がいた。だが文明の絶頂期に滅んだ。地球人は同じことを繰り返している。

 第二計画と第三計画同時とはいえ、計画遂行に当たってはゼレンヴァルトとロートリックスとでは温度差があった。大まかに言って、東京帝國とロートリックス帝国財団は地球残留派、ゼレンヴァルトは火星脱出組だ。三つの帝国財団が、それぞれの地域の報告を行う過程で、アメリカと欧州の対立が露呈した。
 ゼレンヴァルトは欧州にバベルの塔を建設せず、火星移住に全エネルギーを注いでいる。そのために帝都ブダペシュトで、AI・メタルコアの開発を急いでいた。
「持続可能な未来のために! ……一丸となってバベルを世界中に建設するべきではないですか?」
 ジェイドは、これをゼレンに伝えるために三極委に参加したのである。
「ジェイド総帥、バベルを六つか八つ作ったところで、時間の無駄でしかない。旧第一の計画、再生可能エネルギーと同じだ。我がメタルコアの計算では、最後の審判の際には、人類の生存率はわずか数%、無差別に数十億人が一気に死ぬ。たとえ、気象コントロールの使用と同時に、人口を削減したところで、ここにいる我々も誰一人例外ではなく、審判の時を迎える。人類という種は存亡の危機にある……この地球上で誰を生き残らせるかなんて、選定している暇はないのです」
 スペンサー卿は、イギリス英語で講じた。
 NYの塔の技術責任者・リック・バイウォーターは長い黒髪に表情を隠し、両派の意見をじっと聞きながら、ペン回しに熱中し始めた。
「選定しているのはゼレンの方だろう。誰を火星に行くか、そして地球に残すかを――。あなた方の『できない』というのは、いつも結論ありきだ。この地球を捨てることしか頭にないのか? まだ地球を救う方法は必ずあるはずだ。計画の軌道修正を願う。持続可能な未来のため、我々には、滅びる前にできることがある」
 なぜ欧州にバベルがないのか。そのうち作られる予定ながら遅々として進んでいない。莫大な建設予算が必要な塔など、作る気がない。日照権や電磁波被害など、地元には反対派もいて、原発と同じ扱いだった。
「だったら、滅亡後の社会のことも頭に入れておかなくては。あなた方が審判後まで地球に残るというのなら結構、破棄された第一の選択ですが……地下都市を作り、選ばれた人々が逃げ込むしかないでしょう。昔から先史人類は文明の滅亡にあたり、地下に高度な文明社会を築いて生き延びてきたことが文献で明らかになっている。結局、今のところ一番現実的な方法だ」
 ゼレン委員会のローゼンタールはそう言った。
「ただ地下の先住民たちがどう思うかな、以前に『来るな』と言われたのだろう?」
 スペンサー卿はニヤリとして受ける。
「そこはジェイド帝の外交的努力というものでしょう。ま、我々は、積極的に協力はできませんがな」
 ローゼンタールは適当に答えた。
「たとえ地下に逃げたとしてもだ、大洪水が来て古代の地下都市は水浸しになった。ちょうど五年前のNY大災害のときのように。地下鉄復旧で水を抜くのに二週間だ。私はバベル計画を遂行するだけです。三つの塔でも十分機能はできます。ただ欧州まで守れるかどうかは、分かりませんが」
「バベルなど何基作ったところで最後の審判は免れない! 持続可能な未来のために、我々人類の種の保存という危機は回避できない! もはや小手先の気象兵器や人口削減などではな! 深い炭鉱や地底都市……今すぐ整備するのだ。およそ百年か、……長くとも千年か。太陽の活動が静まるまではね」
「そちらはそちらで、進めましょう」
 ジェイドが口からの出まかせで返答したので、リックは音もなく笑った。
「我々は金は出さんよ」
「君たち“地球人”は、早く、誰が生き延びるのかを決めた方が良い……」
「あなた方こそ非現実的なことを言っている! 正直に申し上げて火星に活路があるという計画には、疑問がある。テラフォーミングが実現可能だと言うのなら、まずサハラ砂漠を緑に変えてみたらどうです? 成功してからでも遅くはないでしょう」
 ジェイドの声が大きくなった。
 九十年代初頭のアリゾナで、火星移住を想定したバイオスフィア実験が行われた。だが、見事に失敗し、以後、実験は途絶えている。
「人類の未来のためには――私はこの地球を捨てる選択など考えたことがないのでね。あちらが楽園などとはどうしても思えません」
「火星計画を、どっかが意図して流して暴露してるそうじゃないか、ジェイド帝。『シドニアンズ』というアニメを、ロートリックスが出資して作らせているのは分かっている。そこではっきり、地球脱出の船の名称としてダイダロス号とある! 他にもハリウッドやシリコンバレーで、幾つもの火星ネタのコンテンツが進行中だとか? 火星計画を妨害しようという意図があるのでは?」
「さぁ……私はアニメには詳しくありませんので。妹はサブスクで日本のアニメに熱中していますが、私自身は忙しくてなかなか観ることができていません。情報漏洩などとはなはだしい誤解だ。ただの娯楽などに目くじらを立てるのはよしてもらおう。あなた方こそ、このところのこちらの計画への度重なる介入、お望みならばここで受けて立ちますが?」
 ローゼンタールがバッと立ち上がって……、同時にスクランブラーのアーガイルとゼレンの巨漢強化兵ブランケンが立ち上がり、一触即発になった。
「あの連中に花音砲(スパイク)をぶつけてやりましょうか?」
 花音が雅弓に呟く。その長い手指でバレーボールを掴んで、左掌にパンと打ち付けた。
「やめなさい……ていうか何でバレーボール持ってきてるのよ。怒られるわよ」
 海老川雅弓と花音は鋭い視線を投げて様子を伺い、いざ乱闘が始まったら止めに入るべきかと思案しながら、同時に雅弓は別のことに考えていた。それは、ムキになったジェイドという男の、よくいえば情熱家、あるいは子供っぽさということである。
 三極委は月面(裏)基地に建設中のノアの箱舟こと、ダイダロス号一択か、それとも二計画続行かで、多数決が取られ、東京を味方につけたNYの、続行が大多数を占めた。
 両者は対立したまま、二つの救済計画はそれぞれ継続することで、最終的な結論は保留となった。そのまま、会議は終了した。ほとんど強引な幕引きだったが、ジェイドの勝利だった。人類滅亡まであとわずか。委員会の終末時計は、滅亡の一秒前まで進んだ。

「久々のNYの印象は?」
 ジェイドは会議とは打って変わって、柔和な表情で海老川に聞いた。見るからに、論争にうんざりという顔で。
「マンハッタンホーンは素晴らしいわね……帝都の城にふさわしい。始めて来たけど、お招きいただき、ありがとう。東京にも、富士を模したビルを建てた方がいいかしら」
 三極持続可能委員会の後、晩さん会ではよりリラックスした形で議論が行われる。
 飾られたバベルの塔の絵画を見上げて、雅弓は呟いた。
「昔マンハッタンでシュメール語の粘土板が出土したって噂があった。でも、それっきり急に情報が出なくなった……」
 海老川の話に、ジェイドは応じた。
「よく知ってるな。ロウワーマンハッタンのMHの地下には、古代シュメールの植民地の遺跡が残っている。大洪水以前、現在のマンハッタンには第二バビロンという神殿があったんだ。だからわが社はその上にバビロンの城を復活させた。MHを作るにはその磁場が必要だったからな」
「確かに感じるわね。――ここの特殊な磁場を」
「この絵はブリューゲルのバベルの塔が、完成した図を描いた絵だ。ゼレンの連中が塔のすばらしさを理解しなくても、東京帝國の君が理解してくれればそれでいい。ヨーロッパの連中はおごりに満ちている」
 ジェイドは、海老川雅弓に愚痴った。
「塔を作って神に挑戦しようとした人間の物語……バベルの話もその類型だと言えるわ。最後は悲劇的ね」
 創世記によると、かつてシュメールのバビロニアには、天に登らんとする人々によって、バベルの塔が建設された。無数のレンガを積み、アスファルトで固め、四十三年かけて塔を建てた。だが、塔を建てたことでバビロニア帝国皇帝は自ら神と錯覚し、その後に起こった大風と洪水、反乱によって崩れ去った。
「要は使い方だ」
 復活したバベルとして、最初にアラスカにテルミン・タワーが建設された。二〇一一年、東京都墨田区に、東京スミドラシル天空楼が完成し、二〇二二年に、NYユグドラシルが一番遅れて完成した。
「でも帝都ブダペシュトのAI技術は見過ごせないけど」
「自分たちがシン・火星人などと、幻想にすぎない。バベルをコントロールする者だけが、人類を救えるのだ」
「まぁそう焦らなくても、大勢はこっちに向いているんでしょ?」
 晩さん会は、ホスト国のロートリックス帝国財団がもてなすことになっているが、ホテルに移動する必要はなく、ここマンハッタンホーンが迎賓館の役割も担っている。
「さっきはヒヤリとしたわ。乱闘でも起こるのではないかと思って」
「期待してたんだろ? 俺とゼレンの決闘を」
「そんなバカなこと」
「十年ぶりかな。あの頃は確か十九歳だった。君は十歳だ。前に会った時はお互いに子供だったからな」
「親に連れられて、何が何だか分からなかった。そういう年ごろよ。でも、今は違う」
 その当時、海老川雅弓は紫苑学園の女子中学生、ジェイドはすでに、ハーバード大生だった。以来、二人は数年ぶりの再会だ。
「東京の光政帝はご壮健で?」
「全然会ってないわよ。我々は代々東山家の下請けにすぎませんので」
 クラウス・ロートリックスほどでないが、東山財閥の東山光政は八十代と高齢だ。雅弓は、マンハッタンホーンの建物の構造に3を見出してあれこれ講釈した。
「さすがによく観察しているじゃないか、建築にも興味が?」
 ジェイドは感心気に訊いた。
「いいえ、まぁ」
「君は今、東大生だったか?」
「ええ」
「で、何を学んでるんだ?」
「数論よ。三角形の数と神秘について」
 海老川のほっそりとした指先に、黄金の三角定規がきらりと輝いている。
「ほほう……なるほど。それで三極に?」
「フフフ、ご明察ね。私も東京を預かる身分になったので、この世界の行方は、人事じゃ済まされない」
 TOEIC九百点超えの海老川は、ベラベラと流ちょうな英語で話した。東大内での権力構造では、海老川の方が総長より上である。
「――学生なのに、多忙なんだな」
 ジェイドは海老川の黄金三角に釘付けになっていた。
 これが噂の海老川のPM(サイキック・メタル、精神感応金属)だと、ジェイドは直感的に分かった。以前から知る彼女がPM使いに――。初めて見た。それはこの星で、現状、日本人(大和民族)のDNAにしか反応しない小さな兵器なのである。だが、空港だろうとここマンハッタンホーンだろうと、持ち込みを禁止することは不可能だ。それは、超能力を前提とした素材だからだ。それは小さな三角定規に過ぎない。そしてそれは――スクランブラーと同じく、海老川雅弓自身もPM使いの「強化兵(スーパーソルジャー)」であることを意味していた。
「その三角へのこだわりぶりから考えると、俺はてっきり、バミューダ・トライアングルの方に用事があるのかと思ったぞ」
「それはまた次回に。三つの塔で世界を守ることもね……」
 一者の塔は、ハリケーンを発生させたり防御するだけではない。空爆や核ミサイルも迎撃可能の都市防衛装置だ。NYに大規模なテロが起こってもその前に阻止できる。原理はテスラコイルで、三百六十キロ先の戦闘機も、プラズマで燃焼できるデスレイを搭載している。その中で、準PM製というべきエレクトラム合金のテスラコイルであるNYユグドラシルと異なり、東京スミドラシル天空楼は人工ヒヒイロカネを使ったPM製のテスラコイルだ。より強力であり、その実力はロートリックス帝国財団も図ることができなかった。東京は手の内を見せない。領空侵犯をするUFOも例外ではないだろう。
「シャルドネ(白ワイン)で乾杯しよう。一九七一年モノの……」
「いいわ」
「以前会った時はお互い子供だったから、二人ともアルコールとは無縁だった。せいぜいデザート類に目を輝かせていたものだ。しかし君も無事二十を超え、お互い指導者として酒の席に出席することも増えてくる」
 ジェイドの二杯目は、自社製カリフォルニアワインである。
「このお寿司のおコメは、カリフォルニア米?」
「もちろん」
「あら、美味しいのね。驚いたわ」
「ありがとう。世界が終るかどうかの瀬戸際に、君からのねぎらいの言葉、感謝するぞ。そう――六六六の獣は必ずやってくる」
「その六六六は黙示録の獣の数字だけど、三つの六で、東洋では彌勒世。終末の意味を、我々の古神道は再生のための破壊と捉える。来るべき理想世界の実現を意味するの。古神道の数秘術ではね」
 海老川は、ロートリックス帝国財団とはまるで異なる終末の解釈を披露した。
「フム、数字の扱い一つ、東西でいろいろ異なるようだな。君が三極持続可能委員会に来ただけのことはあるようだ。東京で人狼狩りの最中に、相変わらず多忙だな」
「ご明察。あなたも米帝国財団総帥就任おめでとう、ジェイド。いろいろと偶然が重なったみたいだけど……」
 海老川の横に立つ高身長の女は、無言でジェイドを見ていた。東洋人特有の無表情さで、ジェイドは彼女の心の動きを読み取ることができない。
「――君の強化兵の用心棒か?」
「ええ、ソウ……ウチの東大バレー部選手の銭形花音よ」
 サラサラのショートボブの花音は無言で頭を下げた。あまり主人に口を挟まない主義らしい。
 ジェイドは花音に初めて会った。一八六センチのジェイドと視線が並ぶ。引き締まった、女性らしい体形だが、ほぼ同じくらい身長があり、筋肉質のアスリート体形だ。ジェイドは彼女にもPM使いの気配を感じ取った。だが、強化兵(スーパーソルジャー)はお互いの手の内を見せない。二人がどのような能力者なのか、ジェイドには分からなかった。
「そちらは、あなたの手飼いの強化兵の方々?」
「紹介しとこう。うちの強化兵のスクランブラー部隊の長官、アーガイル・ハイスミスだ」
 花音とアーガイルは硬く握手した。隣には副長のレナード・シカティックが立ち、その後ろに、銀髪をなびかせたファントム・ミラージュが立っていた。
「円滑化計画の、円滑化部隊ですね」
 海老川は言った。
「ご明察です」
「よろしく」
 慇懃な笑顔を浮かべたアーガイルに対して、花音は笑顔もなく、簡素に挨拶した。
 ジェイドは権力闘争相手に、スクランブラーを使って抹殺していることを、海老川雅弓は承知していた。だが海老川家もまた、学内に学生自治会デルタフォース、そして都内にガンドッグ(東京地検特捜機動隊・新番組)という子飼いを飼っており、人狼狩りをしてるワケだが……。NYと東京の状況は、酷似していた。
「東京帝國とて、国家支配は我々ロートリックスの比じゃあるまい?」
「帝國といっても一枚岩じゃない……そちらと同じく」
「しかし日本のバブル期に、うちのロートリックス・シティが海老川地所に売却が決まった時は、我々は大喜びだったが、国民はアメリカの魂を売ったと猛反発で……、ジャパンマネーの経済的侵略だとね」
「庶民の反応なんて、どこでも似たようなモノ。気にしたら負けよ。結局こっちが不況で大部分撤退してしまったけど」
 ミッドタウンのロートリックス・シティの一角は、現在もまだ海老川家のもので、そこにあるビルのゲストルームに海老川たちは寝泊まりしている。
「それに世界中の恥さらしだったNYの落書きだらけの地下鉄も、日本企業のお陰で立ち直った。感謝しているんだ」
 多国籍企業の彼らにとって、やれ日本だ、アメリカだという国家単位の感覚はもはや希薄だった。
「東京の様子を教えてくれないか。決闘で政局が決まるんだろう。もっとも反乱分子に塔を奪われたら大変なことになる。それなのに挑まれたら決闘を断る訳にも行かんとは、東京武士もなかなか難儀なことだ」
「それが東京武士というものよ、相手の人狼たちも武士道に則っている……ゲームは真剣にやるものでしょ」
「あぁ……騎士道と武士道は東西の兄弟のようなものだな」
「それに東京帝國には最終兵器があるし」
「一度見てみたいものだな、PM使い同士の決闘というものを」
「興味があるの? あなたには使えないと思うけど? 今この現代では、大和民族とケルト人にしか」
 ジェイドは東京帝國のPM武士たちの武威を、認めざるを得ない。雅弓たちを、一目置いている理由だった。この二人の東京から来た女たちと、スクランブラーの三人がバトルになったとして、スクランブラーに勝算がどれくらいあるのか分からない。だから、ジェイド自身、よみがえるシリウスの光団のグランドマスターとしてPM使いになる実験を続けている。彼女たちの何パーセント近づけたのかも分からないままに。
「純粋なケルト人なんてもうこの世に存在しない、混血が進みすぎていてな。だが、大和民族はどうなんだ?」
「えぇ、問題なくPMを使えているわ」
 雅弓は、黄金三角を指先でキラキラ光らせ、宙で振っただけでピザをカットした。それを、スクランブラーの三人がじっと見つめている。
「乾杯しよう。三地域の分割統治に!」
「最後の新世界秩序の建設に!」
 二人は皮肉を言い合いながら、グラスをカツンと鳴らした。そう云いながら、二人はゼレンヴァルトとの距離を感じていた。
「君が東京帝國の長(おさ)になれることを願っているよ」
「無理よ私には。なる気もないわ、海老川家は東山家の代理でしかない」
「しかし君は、三極持続可能委員会に出てきた本当の理由があるんじゃないか?」
「無理だってするわ。この星の未来が尽きかけていれば」
 といって、雅弓はサッと髪をかき上げた。
「ジェイド、禊計画を遅らせることはできないかしら?」
「――それはできんな」
「どうしても?」
 海老川の黒い瞳がじっとジェイドを見ていた。
 海老川はどういうつもりか、最後の審判計画を遅らせようと意見を言いに、NYを訪れたらしい。ジェイドは地球に残る派、海老川たちも娑婆に残る派だが、東京帝國は塔を建設しておきながら、その起動に消極的だった。ジェイドは、「予定通りだ」というと、アーガイル長官とその場を離れた。
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