第58話 リチャード・ヴァリスの密約

文字数 3,880文字

二〇二五年六月十三日 金曜日 午後十一時

エイジャックスの正体

 フラットアイアンビルの上空に光十字を灯したいが――、帝国の手練れのスナイパー、ミラージュのせいでアウローラ軍はビルを制圧できずにいた。ハティはエリア解放のため、ここを離れるわけにはいかない。
 エイジャックスを訪ねて、その男はいきなりやってきた。ポール・ブランカと名乗る二十代の警官は、かつてエイジャックスの部下だったという。現在はハンター指揮下で、NYPD帝国軍サイドに属している。エイジャックスは、どこかで観た覚えがあった。
「……ブルックリンの墓地で見たやさぐれ者か」
 現在の男は制服を着て、髭をそり、こざっぱりした格好をしている。
「オマエやっぱり警官だったのか?」
「だからソーだって、最初に言ったろ?」
「――知り合いか? エイジャックス」
 マドックス陸将が尋ねた。
「いや、墓地でたまたま会っただけのビジネス浮浪者だ」
「ビジネスじゃねーっス。ホントに仕方なく浮浪者だっただけで」
 だが、話はそれだけで済まない。
 ――何だ、この感覚は。妙に心に引っかかる。
「お前、俺のことを知ってるそうだな」
「もちろんス、何せあんたの部下の中でも、一番『古い』方だったし」
「俺はお前のこと知らんのだが」
 エイジャックスは部下たちにポールを拘束させた。
「まだ思い出せないんスか……マンハッタンホーンに潜入した時に何か見なかったっスか?」
「……」
「彼は、一体なぁに?」
 ハティが訊いた。
「事情は複雑でね……この男は俺の部下だっていうんだ。だが、俺の方は覚えてない。いや正確には覚えていなかった。……どこかに、引っかかるんだ」
 そういってエイジャックスは沈黙し、タバコをくゆらせながら青い瞳で捕まえた男を見つめる。
「なんとなくの印象だが――、ひょっとすると」
「ひょっとすると?」
「思い出した、こいつは刑事だった。俺の部下だ。確か俺よりデカい不祥事を起こしていた」
「そうだって言ったろ? やれやれ思い出してくれたんスか。バリケードを突破して来た甲斐があったぜ」
 拘束を解かれたポールは笑って、腕をさすると話し始めた。
「あんたは前の世界線で、NYPDのもっと上級職だった。今回集まってきたNYPDの仲間たちは、みんなあんたの元手下だった連中だよ」
「……」
 もう一つのタイムトラック(世界線)での、エイジャックス・ブレイクの話! ハンター署長も、確かそんなことを言っていた。

 ポールによると、エイジャックス・ブレイクはスクランブラーのリーダー、アーガイルたちとは同僚だった。その上で、エイジャックスはNYの権力構造の闇を知った。
 世界中で人さらいが行われ、月面基地で何千人も拉致された人々が檻の中に薬漬けで助けを求めている。これは、宇宙人の仕業ではない。その計画をアメリカで担っていたのが、ロートリックス帝国財団だ。
 ロートリックスはゼレンヴァルトの火星脱出組のために、アメリカ国内で奴隷商人をずっとやらされていた。だが、ジェイドの代になって中止したのだという。その時火星基地で、マクファーレンが関わった大規模な反乱が起こった。
 一方でこのマンハッタンでも、ポール・ブランカはロートリックス・シティに爆弾を仕掛けて破壊した。それは、エイジャックスの指令だった。内乱者たちは離散し、命からがら地下から脱出した。ポールの事件で、エイジャックス自身も更迭、洗脳を受け、下っ端刑事となって、かつての部下の一人、ハンター署長に仕えた。ポールは首になった後、浮浪者の格好で、帝国財団の監視を撒いていた。
「アンタはハンター署長に、切り替えスイッチで利用されていた。そのうち、もう一人のエイジャックスが自分に疑問を持ち始めたんだ」
「……で、俺は勝手にマンハッタンホーンの捜査を開始したって訳か」
「そういうことだ」
 エイジャックスは、アイデンティティ・クライシスに陥った。
「もう一つ聞きたい。俺たちはハンス・ギャラガーという男について、別の記憶を持っている。奴がアイアンサイドのチンピラだったって記憶だ」
「――そのコト、私も伺いたいわ。もしあなたが何か関わってるのなら」
 エスメラルダもハリエットも、同様に疑問に感じていた。
「そいつは、リチャード・ヴァリスがした『密約』と関係がある。前の世界線では、ギャラガーとヴァリスの立場は真逆だったんだ。ヴァリスは時空間異動でギャングのギャラガーと立場を入れ替えさせられた、犠牲者だったのさ。リチャード・ヴァリスはある取引に応じた……そして、ギャングになった」
「立場を……入れ替えられた?」
「市議会議員として、この世界の真相を知ったヴァリスは、家族を人質に取られた。それで、帝国財団と取引した。彼の家族はNY大災害で亡くなったんだ。しかし、別れたくなかったんだろうな。自分がテロリストになり下がる代わりに、家族の命を救ってくれとね。それが密約の内容だった」
 リチャード・ヴァリスはロック市長暗殺の偽旗作戦の犠牲者だ。リチャードは彼自身をスケープゴートとして差し出した。
 関係者ゆえにエイジャックスはマンハッタンホーンの内部構造を知っていたし、仲間だったハンターに勧誘も受けたのだ。MIBはエイジャックスをかつての上司として接し、スクランブラーは「裏切者」として処刑しようとした。エイジャックスは利用されていた自分自身に憤り、結局、再度反乱者となってハリエットに仕えた。
「お前は、それを言いにここに?」

マディソン・テレポートを使え

「地下鉄廃線の三十番線を歩けば第三シェルターへたどり着く、そこに少数だが、エレクトラ社の試作品の戦闘バイクがあるはずっス」
 と、ポールは言った。
「なんでお前が知ってんだ」
 MSガーデンからMSパークまではおよそ一キロの距離。そこは地下通路でつながっている。それがマディソン・テレポートである。そしてMテレポートは南へ、ユニオンスクエアとワシントンスクエアパークへと延長している。
 ポールによれば、マディソンスクエアガーデンはテロ騒ぎの時にスクランブラーの攻撃を受けたが、彼らは結局Mテレポートの出入口を発見することはできなかった。MSガーデンにアジトはなく、Mテレポートを通って、真のアジト・第二シェルターへたどり着く。MSガーデンを奪還した今、エリア一帯を制圧した影響で、アイアンビル以南の地下通路も通行可能となった。だが、全軍がそこを通過するには狭く、車も大型兵器もそれほどは通れない。
「実はユニオン以南は手薄なんだ。ハンターがチェルシーのフラットアイアン・エリアに注力しているせいでな。あんたらレジスタンスのアジトは奪われちゃいない。マ、確かめてみるんだな」
 地下抜け道を利用して小部隊で駆け抜ける。背後から誘導して敵を引き付ければ、フラットアイアン地区をがら空きにでき、そこを駆け抜けることが可能となる!
「マディソン・テレポートだけは帝国財団に絶対バレない」
 ポールは断言した。
「なぜ連中は監視しない?」
「むろん、二十四時間営業のNY地下鉄には全線監視がついている。だが、地下鉄以外だとNYの地下は5Gに監視されていない場所が多い。中でも、ハンターはマディソン・テレポートを監視してない。野放しっス。一部地下水が溢れ出しててな、白いワニには気をつけナ。あの辺は特に多い」
「……」
「ま、あんたはワニなんか怖くないだろ?」
 もしもMテレポートの延長線上で敵が罠を張っているとすれば、エイジャックスはそこでおしまいになる。
「連中は空や海も使ってるんだ、アンタらだって地下を使わにゃ損だろ?」
 ポールはニヤリとした。
「いいだろう」
 結局、エイジャックスは作戦に応じた。
 チェルシー/ユニオン/グラマシー内は各ブロックごとにバリケードが張られ、エイジャックス隊はNYPDを引き連れて、エリア内の東西各地を走りながら、敵をフラットアイアンから引きはがす。最終的にマドックス本隊がロウワーマンハッタンまで南下する。
「敵陣中を駆け抜けて陽動する! バリケードをカスケイダー、滝落としだ」
「エリアを解放せずに空白地帯を駆け抜けるだと?」
 マックは妙なものを観た、という顔をする。
「あぁ。お前たちの通路をがら空きにしてやる。一石二鳥だろ? HAHAHA!」
 ポールは笑った。
「オイシイな……エイジャックス」
「――は?」
「そういうのは俺の役目なんだがな」
 腕の負傷を治療するためにマックは、いったんアイアンビル戦の前線を離れていた。
「欲張るな!」
「アンタは死とか怖くないのか?」
「……」
 エイジャックスがその場を離れようとすると、
「エイジャックス、あんたトロイの木馬じゃないだろうな」
 マックはエイジャックスを呼び止めた。
「何?」
「その、ポールとかいうあんたの元部下と、あっち側に裏切るんだったら、俺たちの情報はいい土産になる」
 エイジャックスは戻ってきて、マックの前に立った。
「そういうお前はスリーパーじゃないよな? いつか火事場泥棒ならぬ、火星場泥棒を働くかもな。火星での洗脳は本当に溶けたのか?」
「この俺がそう見えてるのか? あんたの目にゃ」
「………………」
「やめろ! 二人ともそんな証拠がどこにある!」
 アランが二人を制した。
「もしも俺が敵だっていうなら、そんときはお前の腕で俺を撃ち殺せばいいだろ」
 エイジャックスはその場を後にした。
 果たしてポールは不審の種を巻きに来ただけなのか、あるいは味方なのか。にわかには信じがたい情報提供の数々に、アウローラ軍の中に疑心が広がっていた。
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