第3話 ヴァレリアンの天使 呪われた一族

文字数 7,225文字



二〇二五年三月五日 水曜日 夜七時三十分

 ハリエットのスマホが鳴った。
 電話に出ると、かをるだった。ハリエットとは小学生のころからの幼馴染だった。「かをる」という名の通り、半分は日本の血が入っている。両親が日本好きで、「かをる」と名付けたのである。ハリエットは口数少なく、セントラルパークでかをる・バーソロミューと会う約束をした。親友は、心配して連絡してきたのだ。
 ピンクのアンシンメトリーヘアで毛先を青く染めた白人の女の子が、明るい色のスキニーなダメージ・ジーンズを履き、パンクTシャツで身を包んで、セントラルパークの中央にあるベンチで待っていた。腕に細身のバングルをジャラジャラつけている。「終末追いかけっこ」というゲームアプリをやりながら。
「ねェ大丈夫……?」
 かをるは、ハリエットを見つけると近づいてきて、ギュッと抱きしめた。
「犯人、すぐ捕まってよかったね」
「ウン……でも、あいつじゃないと思う」
「えっ?」
 かをるはハリエットを離して、ポニーテールの少女を見返した。かをるはオッドアイで、右目は茶色で左目は青い。
「わたし……タイムズスクエアに居たの。あの時、確かに見たのよ。上を見上げてたから。白いスナイパーがビル影に。でもすぐに消えちゃった。とっさの事だったから、スマホを向ける暇がなかった。だから警官たちも副市長のギャラガーさんたちも、まるで気づかなかったみたい……」
 その後、病院へ行って、嵐のようにいろいろな異変が起こって、過ぎ去っていった。もう、ここはハリエットの知るNYではなくなったのだ。頭がグチャグチャだった。既成事実として、父が殺され、“犯人”が逮捕された。そんな中で、町が丸ごと様相が変わり、大切な事実が見過ごされ、忘れ去られてしまうのだ。でも、かをるにそのことを言うべきかどうか迷う。
 ハリエットの両眼が涙で滲んだ。
「とうとう、私一人になっちゃったよ、かをる。……五年前に肺炎でママが死んで、今日さ、パパが死んでさ、親戚も誰もいない」
 暗殺されたラリー・E・ヴァレリアン大統領は、ハリエットの親類に当たる。他にもハリエットが付き合いのあった親族たちは、自動車事故に巻き込まれたり、医療過誤、自宅での突然死、飛行機墜落事故など、ギリシャ悲劇並みの不幸に見舞われ続けていた。それらは事故死や病死等の死因で片付けられていたが、いずれも不審な点があった。
「本当に、……一人もいないの?」
 ハリエットは、怪訝な顔つきのかをるの問いに、涙を零しながら黙ってうなずいた。ハリエットは兄弟姉妹もいないので、天涯孤独だった。それでもかをるがいる。孤独だけど孤立もしてない。
 二人はベンチに座り、かをるは、ハリエットの肩をそっと抱いた。
「私……どうしたらいいか……。ギャラガーさんが葬儀や手続きを全部やってくれるって。本当に、いい人よ、あの人は」
 それから、ハリエットはしばらく沈黙して、静かに言った。
「私の一族、ヴァレリアン家は呪われている。――先祖代々、ずっと、ずっとずっと次々と人が不審な死に方をしてきたんだ。誰もかれも、未解決事件や事故が多いのよ、本当に。お父さんの次は、私なんだワ――、きっとっ!!」
 と、衝撃の告白をすると、顔を両手で覆った。
 ヴァレリアン家には、死が付きまとっていた。そして母が死に、父が死んだ。ハリエットは身寄りもなく、一人になった。
 かをるは目を丸くしてハリエットを見ている。
「かをる、私怖い……」
 かをるの細くて白い腕が抱きしめる。
「ラリーと同じ歳で死ぬなんてッ!! ちょうど四十年後に!」
「ラリー・E・ヴァレリアン大統領が亡くなられたのって、確か二〇〇五年――」
「……」
 ハリエットは、顔を上げてかをるをじっと見た。
「……死んだのは一九八五年だよ?」
「えっ、違うよ、二〇〇五年だよ……ラリー大統領って、二〇〇五年まで生きてたじゃん!」
 夕暮れの街灯に照らされた公園で、二人はしばらく押し問答になった。
 意見の食い違いにしては奇妙だと、ハリエットもかをるも同時に思った。どう考えても、二人とも嘘をついている訳でも、勘違いしている訳でもなさそうなのだ。どうして、かをるとこうも記憶が違うのか、ハリエットは頭が混乱し、あることに思い至る。
 頭がクラクラしながら、ハリエットはかをるに思い切って切り出した。
「あのさ、アレって何なのかな、ロウワーマンハッタンに建ってる、山みたいな形のビル」
「マンハッタンホーンのコト?」
 かをるは真顔で訊き返す。
「そう。あんなのなかった――よねェ?」
「エ――?」
「…………なかったのよ確かに。あそこには。バッデリー公園があってさ。そこからリバティ島へのフェリーが――」
「ちょっと待って、マンハッタンホーンでしょ? ずっと建ってるじゃん!! NY大災害のグランドゼロの再開発の時から!」
 NY……大災害――。って何?
 また、話が食い違っている。だが、今度は事が重大だ。
「二〇二〇年三月二十五日九時三十分、五千人の命を奪ったNYの災害の後に、再開発されたんだよ――NY州の中で、なぜかロウワーマンハッタンの被害が特に大っきくて」
「…………」
 ハリエットは恐ろしいくらい石のように固まっている。
 二〇二〇年にNYでそんな大災害……聞いたことがない。
「二〇二〇年っていったら、コロナ・パンデミックよね!?」
「――何それ? コロナって何」
「……えっ――」
 ……だからさっき母のリオがコロナで死んだって、ハリエットは言ったはずなのに! あぁ、自分は今、「肺炎」って言ったのか?
 ハリエットはバーバード大の授業が、リモートになり、ほぼ学校に行かなかった記憶がある。まさか、世界的なパンデミックもないことになっている!?
「NYのタウン誌『what‘s up?』でも、ずっと特集連載してるじゃん? 大災害後の再開発を。まぁ確かに、マンハッタンホーンはNYのエリア53だって噂はあるけどさ」
 かをるは、さも当然のような顔で言った。
 しかし、タウン誌は近くにない。このままじゃらちが明かないと思ったのか、かをるはスマホで検索すると、ハリエットにウィキペディアを見せた。
 五年前、季節外れのハリケーン・キアラが北米東海岸を襲撃した。NY沖でキアラの津波発生。そのタイミングで地震が重なって、ダブルパンチで巨大化した津波がダウンタウンを沈め、壊滅させた。
 死者五〇四八名、行方不明者三千二百八十六名!
 五年前のこの日この時間――NYは暗黒の深淵に叩き落された。以後、毎年NYで未曾有の大災害の慰霊式典が執り行われている。その時、一分間の黙とうし、マンハッタンが沈黙する。ウィキペディアにはコロナの「コ」の字も記載されていなかった。
 ハリエットは呆然として、画面を見つめていた。
(――そんなバカな!)
 かをるが力説し、ネットで客観的な情報を示した。ハリエットはもう、納得した顔で沈黙した。いや、そうするしかなかった。
「落ち着いて“ガーラ”でも飲みな」
 かをるは近くに林立する自販機から、ヴァイオレット色の缶ジュースを買ってハリエットに渡した。 
「…………」
 ハリエットは缶をじいっと見つめた。「Guara―Gala」と、缶には筆記体で書かれている。
「ガーラって……何?」
「え? ガラ・ガーラのこと?」
「ガラ・ガーラ? こんなものは……知らない」
 それから、恐る恐るかをるの顔を見つめた。
「何、このインチキコーラみたいの」
「……は? コーラ……って?」
 かをるは、怪訝な顔で訊き返した。
「……コカ・コーラよ! 知ってるわよ……ね?」
 コーラはかをるの好物だったはずだ。もちろん、ハリエットも。
「知らない。ガラ・ガーラ知らないの? まさか」
「――嘘、コカ・コーラが世界から……消えてる?」
 一口飲んでみる。
「あーこれ、Dr.ペッパーよりもフレーバーのフルーツの香りがして、トロピカルな感じね」
 ガーラは、ガラナを原料としたれっきとした炭酸飲料だった。ガラ・ガーラとは、「ガラナ(Guarana)のお祭り(Gala)」。この世界で、知らない人はいないほど有名らしい。だが、固有名詞がどこかズレている、この世界線。
「Dr.ペッパーって何?」
「それもかー」
「初めて飲んだの?」
「うん……」
「じゃシロレッツも上げるから」
「シロレッツ? ……クロレッツじゃなくて?」
 またかをるが固まった。他にもかをるはチェルシーを持っていた。日本のお菓子として有名なチェルシーは、確か二〇二四年春に終売したはずだった。
「大丈夫? ――疲れてない? 一度アパートに戻ってゆっくり休んだらどう?」
 かをるも、ハリエットが本気でそう信じて疑わないことをなんとなく感じたらしかった。
「うん――」
 そんな、そんなはずはない――。ラリーの事も変だけど、捕まったあの犯人も偽物だし、あんな建物はロウワーマンハッタンに絶対なかったんだ。何かがちょっとずつズレている。
ここは、あたしの知ってるNYじゃないッ!!

ダコタハウス

 アッパーウエストサイドのセントラルパークの真横に建つアパートメント、「ダコタハウス」。築百年が経過しているが、中はモダンにリフォームされ、高い天井、広々とした室内は、清潔で快適な環境を形作っている。
 かをると別れて、バイクで無人となった父の自宅アパートへ帰り、父の執務室に足を向ける。ハリエットは一人ポツンと立っていた。ハリエットは二年前からハーバード大の特待生として、普段はボストンの学生寮に住んでいた。
 三月八日、父の演説のためにNYを訪れたのだった。ここに居ることが辛くて、ホテルへ移動するつもりで立ち寄った。もともとこのアパートメントは、一九八〇年に世界的なロッカーが暗殺された場所という因縁もあり、嫌だった。取ったホテルは、Tスクエア近くのザ・ニューヨーカーアウィンダムホテル。とにかく、荷物を取ったらもう戻る気はなかった。
 かをるに言った通り、ハリエットは正真正銘の天涯孤独だった。父の遺体は今、病院の霊安室で検死中で、会うことはできない。
 父の棚に並んだ哲学書類。「存在と時間」、「存在と無」、「全体性と無限」、ヘーゲルの「精神現象学」。
 父のデスク上のミステリークロックを取り上げて、涙が溢れる。木製時計の透文字盤が明なガラスになっていて、そこに針が浮かんでいる。おそらく千ドル以上はする高級品だ。
「お父さん……」
 セントラルパークで遊んだ、幼いころの記憶があふれ出す。
 母が外出している最中、一緒に歌いながら料理をしたが、難しい料理にチャレンジしたがるハリエットに、父は付き合った。キッチンを散らかして、二人で帰宅した母に怒られた。
 二歳で急激に語彙が豊富になり、高い計算能力を持ち、お話作りが得意だった。大人顔負けのユーモア。父と二人でジョーク合戦。一を聞いて十を知る有様だった。両親はハリエットが早熟の天才児であることに気づいた。
 その後ハリエットはウイスクラー式知能検査で、IQ180のギフテッドと認定され、少人数グループで構成されるスーパーマンハイスクールで英才教育、そして飛び級で、ハーバード大学へ入学した。
 ハーバードから奨学金をもらい、足りない分はアルバイトで稼ぎ、オンラインで講座を掛け持ち受講して、秋からはロースクールにも通う予定。
 五年前のパンデミックの時……十一歳のハリエットは母・リオをコロナで失った。ハリエットは、亡き母の代わりに父の傍らにいて、父が大統領になるまでをサポートするために帝王学を学んだ。マルクス・アウレリウス「自省録」などの古典的名著から、サミュエル・スマイルズ「自助論」、プラトンの「国家」や孔子の「論語」など東西の哲学書、オイゲン・ヘリデルの「弓と禅」、三大「幸福論」、ソローの「森の生活」や、エマソンなどのアメリカ・ルネッサンスの著書類を読み漁った。ハリエット自身がいつか大統領になるためでもあった。この世界にも、母はいない。そして今日、母だけでなく父も失った。
 私は、一人だ。
 写真を見ようと、スマホの電源を入れる。ハリエットのスマホの中には、父との写真のほかに、たくさんのマンハッタンホーンの写真があった。唖然……。そうだ、かつて登山家だった父のロックは、スイスのマッターホルンにも登ったことがあった。だからだ。自分もこの形が好きなのは!
「うぅ……」
(聖なるお星さま、どうか、私を支えて――)
 全身を襲う孤独感に耐えられなくなって、ハリエットはテレビをつけた。
 犯人はリチャード・ヴァリス。NYマフィア「アイアンサイド一家」の殺し屋。ハリエットも目撃したひげを蓄えた刑事が追いかけて逮捕し、事件解決――。
 公式な発表が一段落し、メディアの憶測合戦が始まっていた。
 本当に事件はこれで解決したのだろうか? 父には敵が多かった。NYPDに犯罪統計学を導入して犯罪率を大幅に下げる。街カメラの台数と警官の数を大幅に増やし、マフィア壊滅を目指してトップを次々に逮捕、その他の各組織も頂上作戦で切り崩していった。同時に汚職警官を告発・追放する。ハーレム地区などに多数あった違法店も一掃、ミッドタウンとダウンタウンの再開発にも力を入れた。
 ギャングの取り締まりの他にも、市政の財務改革、効率化、無駄の徹底削除、これだけのことをやっていた。そこで唐突なUFOによる連続誘拐事件……宇宙人問題……そして軍産複合体というキーワードを出し、暴露しかけて撃たれたのは、あまりにもタイミングが良すぎた。きっとそこで具体的な名前を出すはずだったに違いない。
 画面に、副市長ハンス・ギャラガーが映し出された。口を閉じていてもいつもナナメに曲がっている。記者会見を行い、早口でまくし立てていた。
「エッ……」
 ギャラガーのその口から出た言葉に、ハリエットの両眼が大きく見開かれた。
 容疑者のリチャード・ヴァリスが留置場で不審死した。
 早朝に発見した時、すでにぐったりしていたという。カメラを解析するも、原因はまだ不明らしい。自殺か、事故か――。ハリエットは確信した。これは、事故でも自殺でもない!
「殺された……。アイツが……死んだ?」
『事件は、四十年前のラリー・E・ヴァレリアン大統領暗殺と全く同じ展開を繰り返しています』
 マスコミでも“このNY”では、ラリー大統領の事件は四十年前の出来事とされている。自分の記憶だけが、世界と齟齬があるらしいことは明らかだった。
 犯人の不審死で、事件は迷宮入りに。ハリエット同様、事故でも自殺でもないとマスコミは疑っている。
『警察は自殺・事故の両面から調べていますが、他殺はまず考えられません』
 NYPDのハンター署長が言った。
『しかしながら――、不審な点があります』
 署長は、ギャラガー副市長と見解が食い違っている。
『ロック市長が暴露しようとした内容とは、一体何だったのでしょうか?』
 ZZCのクロード記者が詰め寄る。クリクリパーマが特徴の三十代の記者だ。
『CMの後、さらにこの問題について、詳しい追及を行って参りたいと思います』
 クロード記者は、ハンター署長にマイクを突きつけたまま、画面を見た。
 ハリエットはチャンネルを切り変えた。
 どの局でも目まぐるしく真偽不明の情報が続々流れ、憶測や論考であふれかえっている。スマホに目を移せば、SNS上でその何十倍、いや何百倍の情報や考察が、猛スピードで憶測が飛び交っていた。
 「事件はNY市の自作自演だ」、「資本家が社会の混乱を狙っている」、「そもそも選挙で不正があった」、「ロック市長は闇の権力と戦っている」、「NY大災害は人口削減の始まり」、さらにはNYに「アウローラ」、「マイカ」、よみがえるシリウス光団北米本部と、いろいろな秘密結社が存在し、それらが関与しているだのと、うわさが渦巻いていた。あのマンハッタンホーンの中に、世界最大の秘密結社・光団の光大神殿があるという……。
 人々は、メディアが発表しない隠された真実があると思い込む。それをSNSで披露し、勝手な広がりを見せる。当事者でない人たちが。その憶測が引用され続け、ネットの中で生物のように勝手に増殖する。バックファイア効果……自分の考えを否定されればされるほど、逆に自分の考えに固執する。否定するのは“共犯者”だからだ、と。根拠などないのに。そこへ便乗して、炎上祭に人が群がってくる。
 SNS大手各社は、流言飛語、フェイクニュース、陰謀コンテンツの削除に忙しかった。流れては問答無用で消され、流れては消え、その中に存在する真実さえも、どこかへと埋もれてしまう……。
 デマが飛び交うSNS、ハリエットはスマホを切った。
 ――二〇二〇年のコロナ・パンデミックの時と同じ現象だ。といっても、それを知っているのは、ハリエット以外にいないのかもしれなかった。
 ZZCのクロード記者は「犯人は他にいる」と確信しているようだ。
(そうだ、やっぱりあいつは犯人じゃないんだ、絶対。でも消された)
 考えても考えても疑問がわき上がってきて、自分でも止められない。
 ハリエットは唇を噛んだ。
 こうなることが怖かった。警官たちは直線的に疑わしい人物に向かっていった。他の人たちも一斉にそちらへ注視し、誰も空なんか見なかった。そして迷わずに捕まえた。そして、SPたちは父の原稿をせっせと拾い、どこかへ回収してしまった。まるで、最初から知ってたような動きで。
(上階のスナイパーに撃たれたんだ。父が暴露しようとしていた何かもろとも、抹殺するために。SPがすばやく回収した原稿は、おそらくギャラガーが持っている――けど彼はそれを絶対言おうとしない。父が何を言いたかったのかを。UFOや、宇宙人のことを一言も言及しなくなった)
「父の命を奪ったヤツらを……私は絶対に許さない」
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