第9話 Walking Down the Street ポニーテールはひるまない

文字数 2,912文字



二〇二五年三月二十一日 金曜日

 ゴォォ――――ッ。
 頭上を飛行機が飛んでいった。
 ヴオッ!! 春風が強すぎて、強制オールバックになってしまう。
 ハリエットは自販機やスーパーで必死にコーラを探すも、ペプシや、ナンチャッテ・コーラなどの類似商品すらない――。唖然・愕然・呆然を通り越して、もはや諦めの境地。ここは、マンハッタンホーンがあってコーラがない世界線なんだ……。本当の、もともとハリエットが居たアメリカ合衆国じゃないことを、改めて確認した気分だ。
 ロウワーマンハッタン東部再開発エリアは、急激に人影が消え、ビルの多くが解体中か、解体予定だった。マンハッタンホーンに続いて、ここにまた広大なテック都市を造るらしかった。
 ハティはダウンタウンのペストリーショップで、ダブルベリータルトとキーライムパイ、飲み物にガラ・ガーラを頼むと、がっついた。コーラより薄い色で、エナジードリンクに近いガラナ味のガラ・ガーラは美味しかった。けど、やっぱりまだ慣れない。
 ハリエットは、<恐れを知らぬ少女像>のブロンズ像を見てハッとした。もともとこの像は、ウォール街のチャージングブルの前で仁王立ちしていたのだが、チャージングブルの製作者のクレームを受けて、この場所に移動した。そうだ、恐れを抱いてはいけない。自分にはこの少女のような勇気がある。
 この近くに来ると、エントワインで両親がよく飲んでいたことを思い出す。ハリエットはミルクバーでソフトサーブとクラックパイを頼んだ。ライドオン!
 バイクにまたがり、カワサキをかっ飛ばしてNY市庁舎へと向かう。あの日以来、ハリエットはギャラガーと連絡がつかなくなっていた。逃げたってこっちから追いかけてやるつもりだった。
 市庁舎の入り口でギャラガーとの面会を求めたが、テロ警戒中ゆえ、元市長の身内である娘であっても、新市長への面会は許可されなかった。予想はしていたけど、ハリエットは落胆を隠さず、受付の黒人中年女性に食いついた。
「あなた達、何も疑問に思わないの? どうして留置所内で犯人が殺されるって言うんですかッ!? 殺した真犯人が署内にいたからに決まってるじゃない!」
「どうぞ、お帰り下さい」
「待ってください! 父の……遺品をあいつが、ギャラガーが持っていったんです!! 荷物を返して!」
 受付の女性は、両手を上に広げ、怪訝な顔つきで隣の同僚と目配せしている。
「あぁそうなの、勘のいい子供は嫌いなのね!?」
 受付で押し問答していると、どこから現れたのか、ZZCのエスメラルダがマイクを振り回しながら走って近づいてきた。車で張り込みしていたらしい。
「あぁ……」
 ハリエットは、踵を返してバイクへ戻った。
「ハティ! お願い、話を聴いてッ! あなたもこの事件に疑問を抱いている、そうでしょう!? この町に……。私たちだって同じよ! 私はあなたの味方なの! だから、取材を受けてもらえないかしら!?」
 パッとマイクを突きつけられた途端、ハリエットは涙があふれ出し、背を向けた。エスメラルダが必死でハリエットを追うと、ポニーテールの少女は振り返った。
「あなたたちはすぐ翻すッ! それで、どうしてメディアが信じられるっていうんです!?」
 ZZCが市長暗殺の陰謀を撤回してしまったことで、ハリエットのマスコミに対する不信感が募っていた。マスコミなんて信頼できない。奴らの一味なんだ!!
 ハリエットは、話を聴かずにバイクで走り去った。
「……ま、待ってちょうだい、話を……」
 エスメラルダは、ハリエットが消えた方角をしばらく見つめていた。
「難しいか……」
 スマホを取り出し、待ち受け画面の、クロードの少年のような笑顔の写真を見つめて、好奇心に満ち溢れた人だ、とても、自分なんか及ばないと思う……。エスメラルダは唇を噛んだ。やがて、雨が降り出した。

 土砂降りの中、ハリエットはバイクを走らせた。
 同じ黒塗りの大型車の尾行の気配を感じていたが、もはや気にならなくなっていた。バイクで、いくらでも車を引き離せる自信があった。ワールドトレードセンターで何とか巻いたが、バイクはエンストを起こした。ガス欠だ。まだそんなに走ってない気がしたが、このところの騒動で、カッカしてガス欠にも気づかなかった。路肩にバイクを停めると、ハリエットは歩き出した。手で押そうかとも思ったが、土砂降りに打たれて、凍えそうだった。
「後で……ガスを入れよう」
 地下鉄の駅まで歩いて、いったんホテルに帰ろう。
 赤信号で足を止める。NYは信号無視する人間が多すぎて、最近AIカメラと信号が連結された。信号無視した人間のIDカードに減点が着くようになったのだ。それは、インフラから銀行、買い物、生活のすべての面でマイナスになる。それで、誰も無視しなくなった。無視をするには命がけだ。
 アメ車や日本車、アジア車、欧州車が埋め尽くすチェンバースストリートの赤信号で突っ立っていると、すぐ隣に停まった車が水たまりを十リットルくらい跳ねて、ハリエットは全身に水をかぶった。ズブ濡れだ。赤いフェラーリ・テスタロッサに、黒い警護車が二台ついている。ドアガラスが開く。
「失礼を……、謝る」
 ルビー色の赤毛の若い男が、ディープロイヤルブルーの瞳でこっちを観ていた。英国風のクリーム色のスリーピース・スーツを着こなしている。低い車高で、脚まで見えた。パンツは細身でフィット感のある、光沢のある素材のスリムなジャケット。男に心当たりがあった。何より、その赤毛……。
(この人……ジェイドだ。ジェイド・ロートリックス)
 派手な髪色だが、どうやらブリーチやヘアカラーではないらしい。
「そうだ、この傘を」
 ジェイドは車内からインディゴブルーの折り畳み傘を取り出した。これもブランドものらしく、取っ手が金縁だった。
「……いえ、お構いなく」
 ハリエットは返事をした。
「お詫びに受け取ってくれないか? この町の人間は傘を差さない。だが、こんなどしゃ降りの日まで差さない理由はない。特に、君のような若い娘(こ)は」
 ハリエットはかじかむ白い手で受け取った。
 よく見ると助手席に、若いショートヘアの金髪の女性が座っていた。整った顔立ちだった。ジェイドとよく似ている気がする。ひょっとすると、兄妹かもしれないが、こんなにも髪色が違うものだろうか。
 確かに彼の言った通り、ニューヨーカーは人目を気にしない。目の前にも、ずぶ濡れで歩いている人が多い。彼のような男もきっと、自分では傘を差さないが、それはおつきの人間が差すからだ。それはこの国の「エスタブリッシュメント貴族」というべきものである。
「あなたは――いいの?」
「構わない。後ろの車にもあるし」
 ジェイドは笑って、ドアガラスを上げて閉めた。
 信号が緑に変わると、ジェイドの車は先に発進した。ハリエットは傘を差して見送った。
(あいつ……この世界の闇の権力者だ。私のこと……気づいていた、のかしら?)
 ジェイドはこのNYを闊歩して、ロートリックス・シティとマンハッタンホーンを行き来しているのだろう。追手が来る前に、ハティはメトロへと駆け込んだ。
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