第19話 後宮潜入

文字数 2,043文字


 ハーレムはたいてい、どの国にもある。王の妃や側女を集めた場所だ。その規模は国によって違う。王によっては、ただ一人の正妻を愛し続ける者も、まれにはある。

 ノクス王には現在、五人の妃と身分の低い妾がさらに八人いるのだとか。何人かの妃には子どもがいる。妃たちに仕える女官が一人につき数人から十数人。後宮には全部で二百人の女がいた。

 が、長い廊下を歩くあいだ、あたりは無人だ。
 ハーレムは単純な作りになっていて、中庭をかこむ四角い形状。廊下の片側にズラリと扉がならんでいる。中庭側はふきぬけの柱廊だ。

 幻視者のケルウスには扉の内の気配が感じられた。ほとんどは女官の寝室で、五、六人がひとかたまりになって寝ている。ただ、ほんとに寝入っている者は少ない。誰もが獣の襲撃におびえている。


 ——イヤだね。今日こそ退治されたらいいのに。

 ——エブルさまのようになったらと思うと恐ろしくて……。

 ——エブルは以前、女官だったのよ。それも、ごく身分の低い召使い。それが急に美しくなって。

 ——そんなことあるの?

 ——ウンブラの媚薬を飲めば、それはもうどんな醜女(しこめ)でも、天使様のように美しくなれるんだってさ。

 ——でも、ウンブラの魔法には代償が必要なんだろう?

 ——だから恐ろしくて、あたしは近づかないけどね。なかには代償を払ってでもキレイになりたいって女はいるさ。

 ——まさか、代償が命だったんじゃない?

 ——だとしたら、いくら探しても獣なんて出てこないだろうよ。


 そんなヒソヒソ声が聞こえる。

(獣はスクトゥム。だが、女を殺しているのはウンブラの魔法か? 何がどうなってるんだ?)

 とにかく、コルヌを救いだして、すぐにこの後宮を出る。ケルウスにはその選択肢しかない。

 コルヌと出会ったのはまだほんの十日と少し前だ。でも、すでに見殺しにはできない。コルヌと自分のあいだには特別なつながりがある。それは夢で共鳴することからもわかる。

 それとも、ただ庭を飾る美しい花のように愛でているだけか?

 理由はどうでもいい。すてられない。それだけで。

 それにしても、長い廊下だ。裏口から入っているのだから、そろそろ、王の寝所に到達するはずだ。そう思っていると、やっと一つめのまかりかどがあった。
 建物の側面から入ったので、まがりかどを越えれば、その中央あたりに王の寝所がある。

 ケルウスはさらに歩調を速める。コルヌがいかに男娼と言えども、ノクス王は残酷な男だと聞く。おかしな趣味を持っていれば、とりかえしのつかない大怪我を負わされるものでもない。案外、夜ごとの女官の死体は

とも考えられるのだ。

 しかし、どうしたことか、走っても、走っても、いっこうに廊下のさきが見えない。王の寝所なら扉も立派だろうから、見逃がすはずもないのに、いっこうに、それらしい扉が見あたらない。

(変だな)

 やがて、またまがりかどにきた。おかしい。行きすきてしまった。

 ケルウスはひきかえしてみる。もしかしたら、王の寝所だ。用心のために扉は目立たなく細工がされているのかもしれないと、念入りに壁を調べる。ケルウスの幻視の能力で、壁の内側に人がいれば感じとれる。しかし、どこまで歩いても、それらしいものがない。

(やはり、おかしい……)

 ラケルタが嘘をついたのか? いや、彼にとって、コルヌは最大の政敵になりかねない。嘘をつく必要などまったくなかった。

 それとも勘違いで、側面からではなく、正面から侵入したのだろうか? だとしたら、王の寝所はもう一つまがりかどをまがったさきにある。ここは単に個部屋のない廊下にすぎないのか……。

 しょうがなく、ふたたび、進行方向を反転する。最初に進んだほうへと歩いていく。まがりかどに来た。ここからが後宮の裏手。最奥のはずだ。

 考えつつ、なんとなく奇妙な違和感をおぼえていた。さっきから、やけに暗い。もちろん、片側が窓のない廊下だから、視界はそうきかない。とは言え、もう片側の柱廊からは月光がさしこんでこなけれなならないのに。

 もしやと思い、ケルウスは片手を壁にあてたまま、全速力で走った。人がいれば、手を通して気配は感じる。でも、まがりかどに達しても、やはり、扉の一つもなければ、人間の息吹も感じられなかった。

 そのまま、まがりかどをまがってみる。でも、ここもさっきまでと同じ。もう一つのまがりかどが見えてきた。ケルウスのひたいに、じんわりと汗が浮かぶ。

 もしも、だ。もしも、この角をまがっても、何もなかったなら……?

 それは、後宮ではない異次元に、ケルウスが囚われたことになる。四つめの角のさきには、最初に入ってきた厨房がある。なければならない。それが存在しなければ、ここが最初に来た場所ではないという事実を示しているのだから。

 ドキドキしながら、角をまがった。厨房があったと思われる、手前に近い位置を入念に調べる。しかし、どこにも、それらしい入口はなかった。扉が消えた。

 やはり、そうだ。
 ここは魔術の空間だ。
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