第6話 死の気配

文字数 2,075文字


 イヤな空気がただよっている。
 ケルウスはそういうのにするどいほうだ。本能的な勘が人一倍強い。

 神殿があるのは、頂上付近のひらたい場所だ。
 あたりに樹木はなく、小さな石がゴロゴロしている。むきだしの大地に、わずかな地衣類(ちいるい)がこびりつく。
 今日は雪でおおわれて、むしろ美しい。だが、神殿の前に立ったとき、ケルウスは不快な感覚を受けた。ビリビリと手指がしびれる。何かが、ひそんでいる。昨夜のアレにも匹敵する何か。

(なんだってこんなに、この地は化け物だらけなんだ?)

 ケルウスは吟遊詩人だが、旅人でもある。強盗や狼に出会ったときの用心に、剣を持ってはいた。どちらかと言えば、長めのナイフと言ったほうがいい。これでなんとかなる相手ならいいのだが。

 神殿のわきに王の軍隊の野営地がある。竜がいたころには、二個中隊二千人はいたようだが、今はもうその十分の一いるかどうかだ。遠くから、ザッと見て百人から百五十人。テントのまわりをウロウロしている。

 しかし、竜がいなくなった今、やることもないだろうに、なぜ、この場に残ったのか? 竜が戻ってくるとでも考えたのだろうか?

 ケルウスは用心しつつも近づいていった。

「こんにちは。神殿を観光してもいいですか?」

 笑顔を作りつつ、慎重に声をかける。
 テントのそばにいる兵隊は、みんな、なんとなく青い顔をしていた。

「……誰だ?」
「街から来た旅人です。ここに竜が現れたって、評判ですよ。だから見に来たんだが、竜はいませんね?」
「……」

 よほど警戒しているのか答えてくれない。それどころか、誰もケルウスのほうを見ようとすらしない。
 それに、なんだろうか?
 物の腐ったような匂いがする。

 しかたないので、ケルウスは単身で神殿へむかった。兵士たちは誰も止めない。なんとなく無気力だ。やはり、何かが異常だ。

 神殿に近づくごとに、黒いかたまりが濃く凝縮されていく。それは目に見えないが、確実に存在する(ちり)か煙のようなもの。しかも、すこぶる重い。ケルウスの足にまとわりついてくる。

(これは……瘴気(しょうき)か? 間違いなく、ここで神殺しがあった)

 おそらく、この神殿のまわりだ。大地に黒いシミが見える。幻視だ。久々にこの感覚が来た。

 白い人影がフワフワただよっている。シルエットから言って、髪の長い男のようだ。

(コルヌ?)

 男は何かを見て、はしゃいでいる。だが、とつぜん、倒れた。地面に黒いシミが広がる。血が流れた。そう。おびただしい量の血が。

 しかし、ハッキリとは見えない。なぜなら、それに重なって、巨大な竜が見えたからだ。

 竜は怒り狂っている。
 まるで、はるか昔に殺された神を守るように、黒い呪いのしみついた大地に陣取る。両翼をひろげ、威嚇(いかく)しながら、黒い炎を吹く。群がる兵士たちは次々と消し炭になる。ボロボロと形をなさなくなり、風に崩れた。

 しかし、兵士たちも、ただやられていたわけではない。四方から鉄の鎖でからめ、竜の動きを封じる。長槍を何百本も投擲(とうてき)し、竜の体を串刺しにする。
 今や、竜の巨体は針山だ。全身のいたるところに槍がつきささり、血を噴きだしている。竜はもう息も絶え絶えだ。

 ああ、竜が死ぬ。ここでまた、神が殺される。

 ケルウスがそう思った瞬間、竜は最後の手段に出た。自らの命を代償に、魔術を使ったのだ。

 なんの魔法なのかはわからない。突風が吹きあれ、そのあと、ここは人のふみいれてはいけない場所になった。時間が半透明な(のり)のようにねばつき、すべてのものをからめとる。

 ふいに幻視からさめた。
 しかし、もう、さっきまでと同じ場所ではない。竜の魔法に囚われている。空間がすべて、

で満たされているのだ。時間が凝固している。

(そうか。それで、あの兵士たちはあんなに消沈してたんだ。この場所には、

がかかっている!)

 ケルウスはあわてて、神殿から離れようとした。が、そこにぶあつい寒天の壁がある。確固たる物質として時が障壁になっている。

 ダメだ。神殿の周囲はグルリとこの魔法でかこまれている。ここから出られない。それだけじゃない。体が重いのは、空間に満ちた時が粘着してくるせいだ。
 しだいに、その重みが増してくる。

(くそっ。どうにかして、ここから出ないと)

 このままでは、近いうちに重い時のなかで、完全に停止してしまう。そのまま、時の重みに押しつぶされるのだ。

 ケルウスは死ぬわけにいかない。待っているコルヌのために、必ず生きて帰らなければ。

 魔術の効力が弱いのはどこだろう?
 神殿のなかなら、多少は動けるのか?

 考えているうちに、わらわらと周囲に人影が立った。兵士たちだ。だが、妙に顔色が青い。いや、青というよりグレーだ。完全に生きている者の姿ではない。ここで竜の黒炎をあびて焼け死んだ者たちだとわかる。

 死人だ。死んでいるが、時の歩みの重くなった世界で、自身が死んだことさえ自覚せず、空間に焼きつけられている。刹那(せつな)にピンで刺された昆虫の死骸だ。

 死人たちは竜の意思にあやつられている。
 いっせいに歯をむいて襲いかかってくる。
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