第45話 竜の眼

文字数 2,175文字


 先日、神の夢で見たとおりだ。
 コルヌはまもなく散る。
 自身の命をかけてでも、復讐をなしとげたかったのか。
 ではもう、責めはしない。ただ、逝く友のために、歌を捧げなければならない。

「約束のサーガ。まだ最後までできていないのだが」
「仕上がりを待っていられない。私はもう逝かなければ」
「なぜ?」
「支払いのときだ」
「ウンブラか」

 ウンブラは有頂天なのか、舞うようにコルヌのまわりで円を描く。

「ほんとなら、マグナが陥落したときに受けとるはずだったんだよ。一日も早く。じゃないと、腐るからね」

 腐る。何が腐るというのか?

「せめて、あと数日待ってはくれないか?」
「だーめ」

 すると、コルヌが制した。

「いいんだ。これは約束だから。それに、おまえだって、私が早くいなくなるほうがいい」
「バカを言うな。おれはずっとおまえといっしょにいたい」
「これでも?」

 コルヌは黄金細工の花の眼帯を外した。
 完璧な美貌にただ一点の欠落を刻む、失われた右目。
 だが、今、そこには眼球があった。ただし、左と同じ薄紫色の甘く切ない瞳ではない。神聖でいて近寄りがたい、圧倒的な存在感を示す金色の竜の瞳。

 コルヌレクスがドラコレクスから引き継いだ印の写しだ。初体から奪われ、行方知れずになっていた、神との接点。一度はドラコレクスの化身が探しだし、守ってくれていたもの。

「なぜ、おまえがそれを? 以前、見たときは——」

 初めて会った日。ケルウスが眼帯の下に見たのは、美貌に痛ましい喪失だった。だが、今はそこに竜の眼がおさまっている。

「ノクスが持っていたんだ。殺したときに、彼から奪った」
「そうか。あのあとからか」

 もとよりコルヌレクスによく似ている。竜の眼を得たコルヌの姿は、どこから見ても神のそれだ。
 分身として新たな命を得たケルウスにとって、それは自分のようで自分ではない、むしろ憧れそのもの。

「コルヌレクス」
「この眼を埋めてから、神との対話が容易になった。これは神にとって大事なものなのだろう?」
「おれはそれを探すために人界へつかわされた」
「そうだろうと思っていたよ。おまえからは清冽な神の香りがする」

 そう言って、コルヌは白く長い指を、自身の右の眼窩につっこむ。

「コルヌ!」

 コルヌは竜の眼をとりだした。

「これをドラコレクスに返したくて、ここまで戻ってきた。竜神の影が探しているのは、これだとわかったから。でも、竜神は消えてしまった。おまえから、コルヌレクスへ返してくれ」

 コルヌの手から、竜の眼がケルウスの手のひらに載せられる。
 そのとたん、命をつないでいた最後の糸が切れたように、コルヌは倒れた。肌色が急速に青ざめ、冷たくなっていく。

「コルヌ! 死ぬな。まだ逝くな。まだ歌っていない。おまえに聞かせたいんだ!」

 抱きとめるものの、それはもう死体だ。息をしていない。

 ウンブラが蛇の体をひきずって近づいてくる。

「さあ、渡しなさい。それはもう、わたしのものよ」
「コルヌの寿命を奪ったくせに、これ以上、おまえに渡すものなど、ただの一つもない」
「ああ、ほら。そういうとこ。あんたのそういうとこが嫌い。キレイだけど使えないわぁ」
「ウルサイ! あっちへ行け!」

 セルペンスの顔をした人蛇は、チロチロと二つに割れた舌を見せながら、ケルウスに迫り、頭上から、かま首をもたげて見おろす。
 その邪な空気のどす黒さに、ケルウスはゾッとした。

 前にアクィラはウンブラを無欲だと言ったが、違う。この女はとてつもなく邪悪だ。誰しもがいだく小さな欲望ではない。あまりにも強い悪意なので、かえって欲を感じさせないのだ。想像を絶するほど大きな我欲をかかえている。

「マグナを滅ぼしたのは、コルヌの願いだったかもしれない。だが、おまえは後宮に変化の魔法をかけていた。その内にいる者たちの願望を吸収し、どんどん強く、激しく、暴走させる魔法だ。あれは誰かに頼まれたからではない。おまえ自身の目的のために使った魔法。そうだな? ウンブラ」

 ふふふと、ウンブラは笑うばかりだ。

「そして、後宮じゅうの欲望を限界まで吸いとったウィスは、おまえが持ち去った。何かの魔法を発動させる動力にするつもりだ」
「さすがはコルヌレクスの化身だねぇ。魔法についてよく知ってる。勘もいい」
「答えろ。おまえはコルヌの命を奪い、さらにはこの体まで自分に都合よく使おうとしている。神に感応し、神の巫子であったコルヌの体。魔法の媒体として感度が高いからだろう? きさま、この体に何かを降ろそうとしているのではないか?」

 黙ってケルウスをにらんでいたウンブラが、急にケラケラと高笑いする。

 魔術師はおのが魔法の目的を看破されると、それを隠しておけなくなる。隠密の効力を失うからだ。

「そうさ。あたしの悲願。あたしの目的はただ一つ。わが神を蘇らせること」
「おまえの神はドラコレクスではないのか? リーリウムより新しく、コルヌより過去の神はドラコレクスしかいない」

 ウンブラの目が禍々しく輝く。

「あたしの神はその(さが)邪悪なるため、滅せられた。だが、誰にも引き継がれなかったがために、魂は永遠に生きておられる」

 ケルウスの背筋がゾワリと鳥肌立つ。

「まさか、おまえの神は……」
「セルペンスプエル。それが、あたしの神の御名さ!」

 歴代の極管理者のなかで、ただ一つ堕ちた神だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み