第10話 コルヌの申し出

文字数 1,997文字


 ヴェスパーが出ていったあと、ケルウスはコルヌのベッドに腰かけた。竪琴を奏でながら、水瓶で手を洗うコルヌをながめる。

「この宿は閉鎖してるのに、ずいぶん気前よく食べ物がふるまわれるな」
「私が金を出してるから」
「おまえ、稼いでるんだな」
「このままでも、あと三年は大丈夫。でも、永遠に暮らしていけるわけじゃない。だから、早く村が平和になってくれないと困る」

 ケルウスはそういうコルヌの甘美なよこがおをながめる。
 あの竜の影はコルヌを呼んでいた。それは、このコルヌだろうか? 神の名を冠するのは、庶民にとって大それた行いだ。ふつう、あまりない。それがゆるされるなら、王侯貴族か、神官の家系だろう。

「なぁ、コルヌ。おまえ、生まれは高い身分だと言っていたな?」
「昔の話さ」
「名づけ親は思いきった名をつけたな」
「そういう家系だったから」
「ふうん」

 語りたければ、すでに語っているはずだ。それ以上、言わないのは過去について話したくないのだろう。だが、

「竜はおまえを呼んでいた。コルヌ、コルヌと。心あたりがあるか?」

 じっと、そのおもてを見ながら言うと、コルヌは一瞬だけ、ピクリと眉を動かした。

「さあ。何も」
「そうか? それならいいが」

 今夜もあの竜の影はやってくるだろう。
 なくした卵がどんなものだったのか。ヴェスパーによれば、スクトゥムは布にくるんでいたという。ならば、そこまで大きなものではないはずだ。少なくとも、一人で持ち運びするのに困らないていど。

「コルヌ。おれは明日から王都へ行くよ。竜の卵をとりもどす。ヤツに返してやれば、少しは鎮められるかもしれない」
「王都か。遠いな。とうぶん、帰っては来ないんだろう?」
「まあ、そうなるな」

 すると、コルヌは考えた。

「私も行く」
「ムチャを言うなよ。いくらなんでも、あるじのグラキエスが承知しない」
「私はとうに借金は返しているよ。身請けしようという者も複数いたが、ここが性にあっているので、自分の意思でいるだけだ」
「それでも、稼ぎ頭のおまえを外へは出さないだろう」
「私が出かければ、たぶん、みんなで、私がこの娼館のどこかに隠した金を探し始める。もちろん、グラキエスも。しばらく、彼らには宝探しをしてもらっていればいい」
「……なるほど」

 金塊というのは、この世ではそうとうに強い武器らしい。

「では、行くか。二人旅も楽しそうだ」
「外に出るのは、ずいぶんとひさしぶりだ。守ってくれよ?」
「それはまあ、できるかぎりは。しかし、いらん争いは起こさないように」
「心得た」

 二人で旅するのは、ケルウスにとっても初めてだ。それだけでワクワクする。

「旅支度を整えたほうがいいぞ。冬の寒さにも耐えられるマント。動きやすいブーツ。雪よけの帽子も」
「私はスクトゥムの顔を知っているから、きっと、おまえの役に立つ」
「期待してるよ」

 というわけで、翌朝。
 夜中にはまた竜の影が歩きまわっていたようだが、二日めなのでなれている。明るいうちに、村を離れなければならない。

 コルヌはグラキエスに頼んで、近所からロバを二頭買ってきてもらった。大の男を乗せるには可愛いロバだが、食料や荷物は運べる。コルヌはやけに荷物が多い。ケルウスは身一つ、竪琴一つだというのに。

「では、みんな、行ってくるよ。スティグマータのめんどうをよろしく」
「コルヌ。元気で」
「気をつけて行くんだよ?」
「お土産よろしくねぇ」

 女たちに見送られて宿を発つ。

「グラキエスもやけにあっさり承諾したなぁ」
「留守のあいだのみんなの食費を渡してきたから。あれだけあれば、半年は食えるだろう」
「……」

 これで、ただの男娼とは、いったい、世の中どうなっているのか?
 しかし、コルヌのおかげで、ふもとの街で馬車を買えた。ロバたちとはここでサヨナラだ。徒歩より、だんぜん早い。

 王都へむかう旅のあいだも楽しかった。が、とくに怪しい出来事は起こらなかった。歌って、飲んで、街々で観光をし、女たちに誘われ、絶景のなかで光に透きとおるコルヌの白銀の髪に見惚れ、馬車のなかから鳩にエサをなげる。そういう毎日。

 異変があったのは、王都の一つ手前の街だ。
 夜になり、その日の宿で、いつものようにコルヌと二人、ならんでよこたわっていたとき。

 何かの気配を感じ、目がさめた。暗闇にぼんやりと白いものがいる。初めは犬かと思った。四つ足で、おすわりのポーズをしていたからだ。

 視線を移し、よく見ると、それは人だった。だが、犬歯がつきだし、耳もたれている。鼻面もとがっていた。服は着ている。犬とも人ともつかない。人犬。

「コルヌ。コルヌ。起きろ」

 ゆすり起こすと、寝ぼけていたコルヌが、人犬を見て息をのむ。

「スクトゥム!」
「スクトゥムだって?」
「あの顔はスクトゥムだ」

 ヴェスパーの恋人だったはずのスクトゥムが、なぜ、魔物になどなっているのか?
 あきらかに、もう人ではない。
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