第52話 未練がましい男

文字数 1,907文字



 死んだ男が毎晩やってくる。
 恋人に会いにだろうか?
 しかし、ほんとにそんなことがあるのか……。

「それは、見間違いではなく? 誰か似た男とか」

 家のあるじは首をふった。

「そんなんじゃない。たしかに、カルボだ。わしら全員が見てる」
「夢や幻ではなく?」

 これにも首をふる。

「おまえたちは幻視者か?」

 またまた首ふり。

「変だな。幻視者なら霊を見るが、ふつうの者が見るのはめずらしい」

 とは言え、絶対にないわけではない。霊の力や思いが強ければ出る。

「わかった。おれが話を聞いてみよう。心残りがあるのかもしれない」

 それはまあ、好きな娘ともうすぐ結婚という直前に若くして亡くなったのだ。未練がないわけがない。
 それにしたって、霊になって毎晩来るというのは、なかなかの執念だ。

 そう思ってみると、娘ニクスの顔色は青い。どんなに好きあった相手でも、やはり、死んだあとでは気味が悪いのか。

 ケルウスが霊と話をつけると豪語したので、家人はとたんに親切になった。雪ウサギのスープをご馳走してくれる。

「カルボの霊はいつごろ現れるんだ?」
「いつも、真夜中に」
「では、それまでひと眠りしよう」

 小さな小屋は一つしか部屋がなく、寝台も夫婦と娘のものだけだ。
 ケルウスたちは暖炉の前に革の絨毯(じゅうたん)を敷いて、その上で抱きあう。コルヌはしたり顔だ。

「ほらね。絨毯を持ってきてよかった」
「そうだが……」

 持ち運び用の小さな絨毯だが、こんなものまでロバにかつがせていたのか。
 ロバもかたわらで目を閉じている。ロバとコルヌにはさまれて、あたたかい。ロバは獣くさいが、コルヌは花の香りがする。

 心地よくなって早々に寝入っていた。
 だが、そこは幻視者だ。深夜になって、サクサクと雪をふむ音が外から聞こえてきた。野生動物ではない。人間の男だ。真っ青な顔をして、生きていないことは、ひとめでわかる。丸太の壁のむこうに、その姿が透かしみえた。

 コルヌはすっかり眠っている。ケルウスは腕枕をはずして、コルヌの銀色の頭を革の絨毯の上に置くと、戸口まで歩いていった。

 死人は小屋のまわりを一周し、入口を探すように戸惑っている。

「ニクス。ニクス。いるのか? おまえと話したいんだ」

 カルボの声が扉の外から語りかけてくる。

「ニクス。ここに来てくれないか? ドアが見つからない。もう一度だけでいい。おまえと話したいんだ」

 ふりかえれば、家の者たちは全員、起きていた。凍りついたような目で、こちらを見ている。このなかで幸せそうに寝ているコルヌとロバ。

 ケルウスは家人を安心させるためにうなずいた。そして、扉にむきあい、静かに話しだす。

「カルボだな?」
「ニクス?」
「おれは、ケルウス。この家の客だ。おまえの話は、おれが聞こう」
「ニクス。出てきてくれ。おまえと話したい」
「……」

 話がかみあわない。霊相手では、よくあることだ。生前の思いでしか動いていないのだ。

「ニクスと何を話したいんだ?」

 問いかたを変えると、霊の反応も少し変わる。

「あの場所で待ってる。ニクス。どうしても、それだけ伝えたくて。明日の晩、月が沈むまでに必ず来てくれ」
「わかった」

 了承したので霊は安心したのか去っていった。気配が消える。

「とりあえず、いなくなったな」

 両親はホッとしている。だが、やはり、ニクスのようすは変だ。好きな男の声を聞いたにしては、ガタガタふるえておびえきっている。仮にも結婚を予定していたとは思えない。そこまで霊が怖いのか。ほかに理由があるのか?

「ああっ、寒いと思ったら、ケルウスがいない。私の暖房が……」
「だから、おれを砂袋あつかいするなよ」

 コルヌが目をさまして文句を言いだしたので、ケルウスは苦笑いした。霊は明日の夜に来いと言った。今夜は寝てもよかろう。

 翌朝。ほんとなら、すぐにも出立したいところだが、このまま逃げだすわけにはいかない。それではきっとまた、カルボの霊が毎晩来るだろう。

 ロバをとなりの家畜小屋に移すついでに、ケルウスは一人で山羊の乳をしぼるニクスに声をかけた。

「ニクス。そろそろ話してくれないか? ほんとはカルボが来るわけを知ってるんだろう?」
「……」
「あの場所に来てくれとカルボは言っていた。二人の思い出の場所だ。おれがおまえのかわりに行ってみるから」

 ニクスは乳しぼりの手をとめ、ためらいがちに話しだす。

「カルボはきっと、あたしを恨んでるんだと思うの」
「恨む? どうして?」
「カルボは……」

 ふいに、ニクスの目から涙がこぼれおちた。

「カルボがほんとに好きだったのは、あたしじゃないからよ」
「じゃあ、誰を好きだったんだ?」
「妹のセプィティマーナよ」

 これは、予想外。
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