2006年9月2日

文字数 1,672文字

2006年9月2日
 今、エリック・ホッファーが生きていたなら、ブロガーになっていただろう。と言うよりも、彼はブログの思想を先取りしている。時代はようやく彼に追いつきつつある。今の世代は「ウェブ2.0」と呼ばれているが、ウェブはこれからも変化していくだろう。しかし、それはホッファーの先見性を気がつくこととなるに違いない。

 『波止場日記』を読んでも、ドラマティックな出来事はあまり見当たらない。

 トルシュタイン号にて八時間。この仕事終る。
 戻ると、「ニューヨーク・タイムズ」から兄弟愛についての論文の原稿料として三百ドルの小切手が届いていた。論文を発送したとき、私は出来栄えに満足していなかった。実際のところ、採用されるとは思わなかった。今読み直してみると、その長所がわかる。そして、懸念していたよりもよかったという事実によって、今後私は自信過剰になりそうである。当然不安に思わなければならないことをも無視してしまうかもしれない。
(一月三十日)

 第四五A埠頭、ロッホ・ロイヤル号、十時間。楽だが退屈な仕事。板ガラスの大きなクレート。パートナーは意欲はあるが無能なニグロ。終日何一つ考えなかった。今朝早く頭に浮かんだのだが、私はこれまで一度もお祈りをした経験がない。マホメットが彼にとってこの世で特に大切なものが三つある、と言っていたのを思い出した。女、心地のよい香、そして彼の心の最高の慰めである祈り。
(二月九日)

 「ありふれた日々の出来事が歴史に光を当てることがあると知ったとき、私はこの上ない喜びを感じた。たぶん、書かれた歴史が抱える問題は、歴史家たちが古代の遺跡や古文書から過去への洞察を導き出し、現在の研究からは引き出していないということにあるのだろう。私が知る歴史家の中に、過去が現在を照らすというよりも、現在が過去を照らすのだという事実を受け入れる者はいない。大半の歴史家は、目の前で起きていることに興味を示さないのだ」 (ホッファー『ホッファー自伝』)。ブログは深刻な話題よりも、書き込みやすいため、小さなものの方が好まれる。しかし、「考えることと書く行為の間には千里の隔たりがある」(『現代という時代の気質』)。ホッファーが本格的に書き始めるには、1936年の終わり、ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』との出会いがなければならない。彼はその叙述スタイルを参考に、主にアフォリズムを使って、思索を書き記していく。

 多くのブログが示している通り、断片的な認識が本質的な議論に繋がらないこともしばしばである。ブログは敷居が低いため、批評でなく、感想や評論であることが少なくない。もちろん、中には、驚くほどの卓見もあるけれども、批評はなかなか見当たらない。感想は印象であり、評論は解説であるが、批評は判断である。英語であれば、感想は”impression”、評論は“view”で、批評は“criticism”となろう。批評は論ずる対象や自分自身の社会的・歴史的位置付けが欠かせない。

 ネットは大衆化し、草の根によって支えられている。草の根レベルに浸透してこそ、それは普及したと言える。この大衆の社会はホッファーの理想でもある。

 出発点が感想であろうと、評論であろうとも、構わない。おそらく、ホッファーも、最初は、そうだったろう。彼は自己をめぐって考える小さな思想家だ。しかし、その小さな自己からスタートして、社会や歴史という大きな問題と結びつける。ブログの思想はこうあるべきだろう。「自分自身との対話をやめるとき、終わりが訪れる。それは純粋な思考の終わりであり、最終的な孤独の始まりである。注目すべきは、自己内対話の放棄がまわりの世界への関心にも終止符をうつということだ。われわれは、自分自身に報告しなければならないときだけ、世界を観察し考察するようである」(ホッファー『人間の条件について』)。

 夕食はメキシコ料理にする。メカジキのベラクルス・ソースに、タキートス風サラダ、アボカドと鶏肉のスープを作ったが、出来栄えには不満が残る。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み