2006年9月26日

文字数 1,565文字

2006年9月26日
 今日で、小泉純一郎政権が幕を閉じる。自民党の派閥(faction)を解体させ、派閥主義(factionalism)を終焉させたが、その代わり、多くのグループ(clique)が乱立してはいるものの、無批判的な政党に変容させている。「改革者は変革の擁護者だとみなされているが、実際には変わりうるものすべてを軽蔑している。変わりうるものとは、腐敗し劣っているものだけである。改革者は、永遠不変の真理の保持者であることを誇りにしている。変革へと彼を駆り立てるのは、実在するものへの敵意である。彼はいわば現実に侮辱を加えているのである。変革への情熱が、多くの場合、破壊的になるのはこのためである」(『情熱的な精神状態』)。

 小泉政権を支持したのは自作農や商店主などの自営業者、すなわち旧中間層ではなく、サラリーマンなどの新中間層である。新中間層は旧中間層が税金を正しく納めておらず、自分たちを搾取される社会集団と考えている。大衆も一様ではない。大衆の時代に登場した新中間層は大衆でありながら、それとは違うという上昇志向がある。中流意識はこの新中間層の意識であり、大衆の意識ではない。

 振り返って見ると、小泉首相の政治スタイルは1829年から37年まで在任した合衆国第7代大統領アンドリュー・ジャクソンによく似ている。

 小泉首相は、主観的信念に基づいたジャクソンの政治を日本で再現した皇帝にほかならない。彼の政治を要約するならば、「主観性の政治」となるだろう。「極端に行動し考えるには、演劇的なセンスが不可欠である。過剰な行動とは、本質的に身ぶり手ぶりである。自分自身をある芝居を演じる俳優とみなせば、極端に残酷になることも、寛大になることも、謙虚になることも、自己犠牲的になることもたやすい」(『情熱的な精神状態』)。

 加えて、いわゆる「構造改革」を推進する際の手法は毛沢東による文化大革命を思い起こさせる。毛沢東は、本来、共産党独裁の国であるにもかかわらず、党の批判を煽っている。文革では、毛沢東を対象にしていない限りにおいて、すべての糾弾が許される。毛沢東は、政治の中心に返り咲くために、党や官僚機構、エリート層を批判し、それを若者たちにも奨励している。「抵抗勢力」を攻撃する小泉に拍手喝采を送り、模倣したのは、紅衛兵同様の若年層である。彼らの怒りが一気に爆発し、不満の矛先を見つけるやいなや、それを敵だとして徹底的に攻撃する。これも小泉政権下にネット上でよく見られた光景である。

 中国は無政府状態へと陥ってしまう。人民の間にそれだけ鬱憤が溜まっていたのかと党幹部や官僚、エリートのみならず、当の毛沢東自身さえ初めて知る。しかし、紅衛兵に建設的な見通しもなく、邪魔をしているものを破壊すれば、自然発生的に新しいものが生まれてくるという楽観的どころか、無責任な程度だったにすぎない。しばらくして、紅衛兵ならびに文革を利用した党幹部も内部対立を始め、断末魔の様相を呈する。1976年9月9日、毛沢東が死去し、同年10月6日、江青・張春橋・姚文元・王洪文の四人組が逮捕され、1977年8月、中国共産党は文革の終結を宣言する。「構造改革」は、今の日本において、中国の「革命」と同じ用法で使われている。

 いかなるものにも寿命がある。権力は、それを見据えて、選択肢を遺しておくのが賢明だ。中国は異民族支配の歴史を辿ってきたが、政治にはるきものの失政があった場合、漢民族の民衆は彼らのせいにして、交換できたのであり、他の選択肢を潜在させている。社会主義も、市場経済も、異民族の思想である。中国は将来に対してフリーハンドを依然として残している。

 夕食には、トルコ風の鶏肉の串焼きをガス・レンジのグリルで試してみる。出来は悪くない。
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