2006年9月5日

文字数 1,395文字

2006年9月5日
 午後から、知人と『パイレーツ・オブ・カリビアン2』を丸の内ピカデリー1で見る。座席はK-23にしたが、さすがに海洋物をK19で見る気にはならない。

 船が漂う者たちの二重の比喩となっている。彼らは海だけでなく、生と死の間も彷徨っている。生きてもいなければ、死んでもいない。

 ホッファーは、1902年7月25日、ニューヨークのブロンクスにドイツ系移民の子として生まれる。他に、マーサ・バウアーという女性が同居している。7歳のときに、母と死別すると同時に、視力が失われ、15歳になって、突然、回復している。この視力障害のため、正規の学校教育を受けていないが、それを取り戻すかのように、一日中、本を読む生活を送る。1919年、マーサがドイツへ帰国し、翌年、大工兼家具職人の父が亡くなる。

 ホッファーの家系は短命の人が多く、自分も40歳まで生きられないだろうと信じ、制約の多い工場で働く気にもなれなかったが、さりとて他人の好意にすがりたくもなかったので、父の遺してくれた300ドルを手に、とにかくニューヨークを出る決心をする。

 ロサンゼルスのドヤ街にたどり着いたホッファーは、そこでさまざまな職に就くが、1930年、28歳のとき、先の見えない単調な生活に嫌気がさし、自殺を試みる。命をとりとめた彼はロスを去り、カリフォルニアを中心に、移動労働者の生活に入る。黄金の20年代は終わり、アメリカ人の4人に1人が失業者という恐慌期、暮らしぶりはひどいものである。

 1934年の冬、ホッファーは、独身の失業したホームレスを収容する連邦キャンプの中で、自分を含め、ここにいる人たちに共通点があることに気がつく。それは社会の秩序に適応できない「不適応者(misfit)」だということである。白人や黒人、北部人や南部人といった区分でしか人間を見てこなかった彼だったが、この瞬間から、思想家への道を歩むことになる。金と暇の余裕ができると、図書館に足を運んで、本を片っ端から読み、気に入った文章をノートに書き写すようになる。その後、アドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンに代表される左右の急進主義の台頭がホッファーにショックを与え、自分の思索もノートにまとめるようになっていく。

 1941年、アメリカの参戦を機に、ホッファーは軍隊に志願するが、ヘルニアのため、採用を拒否される。その代わり、彼は、サンフランシスコで、沖中士の職に就く。この仕事はきついことで知られていたけれども、彼の生活スタイルにはあっていたようで、1967年に引退するまで、続けている。自由があって、読書や思索をするだけの有閑を可能にする収入もあり、身体がなまらないための運動までできる。こうした暮らしの間に、彼の著作はアメリカに好評をもって迎えられ、その名声が確立している。

 1983年5月20日、予測の倍以上の年月をこの世ですごし、81歳であの世へと旅立っている。「死は、それが一ヵ月後であると、一週間後であろうと、たとえ一日後であろうと、明日でないかぎり、恐怖をもたらさない。なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ」(ホッファー『情熱的な精神状態』)。

 映画を見終わった後、銀座のタイ料理店ティーヌンに入る。青パパイアのサラダやトムヤンクン・ラーメン、生ビールなどを注文する。鼻の脇から汗が噴き出す。
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