第5話:敗戦処理2

文字数 1,503文字

「日本政府と軍部で停戦の同意がなされていないのではないか」という意見が起きており、8月13日の夕刻には日本政府の決定を怪しむアメリカ軍が東京に早期の申し入れと、「バーンズ回答」を記したビラを散布した。さらにイギリスやアメリカ、中立国の多くも日本政府のポツダム宣言受諾をラジオや新聞などで一般に伝えたが日本政府はポツダム宣言受諾の意思を日本国民と前線の兵士に伝えなかった。

 そのため、日本政府と軍の態度を懐疑的に見たイギリス軍やアメリカ軍、ソ連軍との戦闘や爆撃は継続された。その後も千葉や小田原、熊谷や土崎への空襲や南樺太と千島列島、満洲国への地上戦が継続された。8月14日11時から行われた再度の御前会議は昭和天皇自身も開催を待ち望んでおり阿南陸相は「13時が都合がいい」と申し出た。

 しかし、昭和天皇は「なるべく早く開催せよ」と鈴木首相に命じて11時から開始するころになった。御前会議では依然として阿南陸相や梅津陸軍参謀総長らが戦争継続を主張した。ところが、この時、阿南や梅津は、もし終戦になったら陸軍内で一部将兵がクーデターが起こすことを認知していたと言う。昭和天皇が「私自身はいかになろうと、国民の生命を助けたいと思う」

「私が国民に呼び掛けることがよければいつでもマイクの前に立つ。内閣は至急に終戦に関する詔書を用意して欲しい」と訴えた。これにより阿南陸相も了承し、鈴木首相は至急詔書勅案奉仕の旨を拝承した。これを受けて夕方には閣僚による終戦の詔勅への署名、深夜には昭和天皇による玉音放送が皇居内で録音された。

 そして、録音されたレコードが放送局に搬出された。また、加瀬スイス公使を通じて宣言受諾に関する詔書を発布した旨、また、受諾に伴い各種の用意がある旨が連合国側に伝えられた。また、昭和天皇によるラジオ放送の予告は、21時の全国の内地と外地、占領地などのラジオ放送のニュースで初めて行われた。その内容として「このたび詔書が渙発される」

「15日正午に天皇自らの放送がある」「国民は1人残らず玉音を拝するように」「官公署、事務所、工場、停車場、郵便局などでは手持ち受信機を活用して国民がもれなく放送を聞けるように手配すること」などが報じられた。なお、昭和天皇がラジオで国民に向けて話すという、一般国民が天皇の肉声を聴くというのはこれが日本史上、初めてのことだった。

 阿南陸相は14日の御前会議の直後の13時に井田正孝中佐ら陸軍のクーデター首謀者と会った御前会議での昭和天皇の言葉を伝えた。国体護持の問題については本日も陛下は確証ありと仰せられ、また元帥会議でも朕は確証を有すと述べられた。御聖断は下ったのだ、この上はただただ大御心のままに進む他ない。陛下がそう仰せられたのも全陸軍の忠誠に信をおいておられるからにほかならない」と説いて聞かせたがクーデター計画の首謀者の一人・井田中佐は納得せず「大臣の決心変更の理由をおうかがいしたい」と尋ねた。

 すると阿南陸相は「陛下はこの阿南に対し、お前の気持ちはよくわかる。苦しかろうが我慢してくれと涙を流して申された。自分としてはもはやこれ以上抗戦を主張できなかった」「御聖断は下ったのである。いまはそれに従うばかりである」

「不服のものは自分の屍を越えていけ」と説いた。この期に及んでも一部の佐官から抗議の声が上がったが、阿南陸相はその者たちに対して「君等が反抗したいなら先ず阿南を斬ってからやれ、俺の目の黒い間は、一切の妄動は許さん」と大喝している。なお終戦詔勅への署名の後、日本軍の上層部ならびに情報部などそれらの直属の部署には、終戦の連絡が伝わっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み