第17話:競馬と阪神淡路大震災

文字数 1,572文字

 仲間達が集合するとすぐに京浜急行に乗り込んで14時に中山競馬場に着いた。カフェで競馬新聞を見て最終レースの皐月賞の出走馬を眺めた。すると1番ナリタブライアンの勝ちかなと淡路龍馬さんが言うと、みんなも同感した。こうして、珈琲、紅茶を飲んで15時過ぎにパドックへ行き出走馬を眺めた。

 その後、淡路龍馬さんが、お前、ドンア馬券を買うかと聞かれ着実に稼ぎたいので複勝と言うと7番サクラスーパーオーが良いと言った。その他の仲間4人は連複を買うので1番ナリタブライアンから流すと言うことになった。決まるとすぐに馬券売り場に行き馬券を買った。友原和豊は7番サクラスーパーオーの複勝を40枚買った。観覧席に着き、少しするとレースが始まった。

 3コーナーで1番ナリタブライアンが7番手から4番手に順位を上げ、7番サクラスーパーオーは13番手のままであった。その後、直線に入ると猛然と1番ナリタブライアンが出て来て首位に立ったそのあとを7番サクラスーパーオーと16番フジノマッケンオーの2頭がせっていた。そして、1番ナリタブライアンが首位、2番手に7番サクラスーパーオーが入った。

 その結果、友原和豊は27600円のプラスで終了、他の3人も何とかプラスで終了した。4人は帰りに横浜駅でビールで祝杯をあげた。 6月22日にニューヨーク外国為替市場で一時1米ドル・99円85銭を記録し、戦後初の100円割れになった。6月25日には不信任案可決必至の情勢となり羽田内閣が総辞職した。1994年8月3日になると東京で39.1℃と41年ぶりに最高気温を更新した。

 8月4日には静岡県天竜では40.6℃と全国歴代2位の高温を記録した。9月4日に関西国際空港が開港した。10月13日には作家の大江健三郎にノーベル文学賞が授与された。11月2日には年金改革法が成立し、厚生年金の満額支給開始年齢を段階的に65歳まで遅らせることになった。12月28日、三陸沖でマグニチュード7.5の地震が発生し、青森県中心に287人が死傷した。

 1995年が明け1月17日早朝、阪神地方でマグニチュード7.2の巨大地震が発生した。その地震で兵庫県を中心に建物の倒壊や火災が相次ぎ、交通、通信、電気、水道などのライフラインが寸断された。特に震源に近い神戸市の市街地「東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区」の被害は甚大で犠牲者は6434人にも達した。その中でも神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市と淡路島の一部、津名町・北淡町・一宮町に震度7の激震が襲った。

 地震当日に死亡した5036人の76%に当たる3842人は地震から1時間以内に死亡した。このうちの9割が圧迫死「圧死、窒息死など」だった。多くは木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとみられた。特に1階で就寝中に圧死した人が多かった。しかし、古いビルでは、日本ではありえないとされていた中層階のパンケーキクラッシュが多数起こった。

 低層ビル1階部分の崩壊、建物が土台から切り離されて倒壊するなど今まで日本では見られなかったような被害が多数あった。公式に数えられた負傷者だけでも3万5千人にのぼった。神戸市内の災害医療機関3つのうち西市民病院本館が全壊し中央市民病院が孤立するなど機能を失った。県立西宮病院438人、明和病院658人、笹生病院1029人、西宮渡辺病院1200人など負傷者で溢れかえった。

 逆に西宮市武庫川町の兵庫医科大学病院では救命救急センターの22人を含む274人の医師が待機した。しかし、患者は平日の8%の約200人だけだった。長田区にある神戸市立西市民病院は、本館5階が圧壊して入院中の患者4人と看護師3人が閉じ込められる状態になった。しかし、生存空間があったため即死することはなかったが後に患者1名が死亡した。
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