第18話:阪神淡路大震災とサリン事件

文字数 1,512文字

 その他の損壊を免れた病院には多大な数の負傷者が搬送されることとなり、病院は軽度の入院患者については当日中に早期退院させた。また、ほかの病院に転院させるなどして病床をできるだけ確保した。しかしそれでも病床の数がまったく足りず、ロビーや待合室にソファーや布団を敷き詰めて病室とするなどの緊急処置を取らざるを得なかった。

 また、治療を行う医師の数も患者の数に対して圧倒的に不足していたこともあり治療を待っている間に息絶えた人もいた。道路の方は中国自動車道や国道43号、国道号において復旧のための車線規制による渋滞が発生。特に高架が崩落した阪神高速3号神戸線「第二神明道路や姫路バイパスなどと直結し、大阪~姫路間の連絡道路となっている。」は、長らくの間不通となった。

 このため、鉄道の不通と相まって単に関西を通過するだけの道路交通にも深刻な影響を及ぼした。そして、復旧までの期間には国道9号・国道372号「両国道で京都~姫路間を迂回が可能」や国道27号などの一般道に長距離トラックや長距離バスが殺到した。当時は被災区間を一般道を通らずに迂回できるルートが一つもなく、京阪神を通らない迂回ルートの貧弱さが浮き彫りとなった。

 また、神戸市中央区のポートアイランド、東灘区の六甲アイランド、芦屋市の芦屋浜、尼崎市の築地地区など埋立地を中心に地面が軟弱化する「液状化現象」が見られた。このため、海からの支援なども難しい状態となってしまった。阪神高速道路3号神戸線の倒壊は、震災の甚大な被害を象徴するものとして世界中の新聞の一面に大きく掲載された。

 橋脚1175基のうち637基、橋桁1304径間のうち551径間が損傷したが、その中でも東灘区・深江地区では全長635メートルにわたって高架橋が横倒しになった。17基の橋脚が倒壊という極めて衝撃的な光景が見られた。特に神戸市の長田区においては、木造住宅が密集していた地域を中心に火災の被害が甚大だった。全体で7千棟近い建物が焼失している。

 消火活動では、上水道が断水したため、わずかな防火貯水槽を探しているうちに炎が延焼して被害が大きくなる結果となった。断水で水が出ないホースを持ったまま、炎の近くで立ち尽くす消防士の姿が報道映像に残されていた。また風によって巻き上げられた火の粉により、消火活動が困難になった地域もあった。家が壊れた住民は学校や公共機関の建物に避難した。

 被災地の学校の多くは休校を余儀なくされた。被災者は、体育館・教室などで寝起きした。また公園にテントを張ったり自家用車で寝起きしたりする人もいた。震災当初は公的な避難所として学校等の公共施設を避難所として認めて食料・飲料水の配布がされていたが、その後、公園への避難者が形成していたテント村にも食料等の配布が行われるようになった。

 2月22日、ロッキード裁判丸紅ルートで最高裁が田中角栄元首相への5億円賄賂の受け渡しを認めた1、2審の有罪判決を維持、最後まで残った元丸紅会長と元秘書官ら2人の上告を棄却した。その結果、16人が起訴された裁判は公判中死亡の5人を除く、全員の有罪で決着した。3月20日には地下鉄サリン事件で都内の地下鉄日比谷、丸ノ内、千代田各線の電車内に猛毒ガスのサリンがまかれた。

 それにより乗客や駅員ら10人が死亡し、5千人以上が重軽症を負った。3月22日に警視庁がオウム真理教関連施設を捜査し、その後、教団の幹部を多数逮捕した。5月16日には松本智津夫「本名・麻原彰晃」代表を殺人容疑で逮捕した。10月28日水俣病被害者・弁護団全国連絡会議が政府・与党の示した最終解決案を受け入れ、事実上の決着をみた。
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