第14話:就職とプロポーズから結婚へ

文字数 1,550文字

 7月27日、友原和豊は関内の神奈川トヨタ関内店へ行き入社したいと言うと会社の人が出て来て神奈川トヨタについての話をした。そして、友原和豊が受験日を聞くと8月1日で午前中に筆記試験で午後に個人面接になると言われた。そこで、受験を希望すると言うと喜んでくれ書類を出してきたのでサインした。

 こうして8月1日9時に神奈川トヨタのあるビルに入り必要書類を書いて提出して、10時から筆記試験が始まった。その後、12時に昼休みになり13時から個人面接が開始された。面接では神奈川トヨタを就職しようと考えた理由を聞かれ、車が気に入っていると答えた。その後、営業についての話を聞かれたり、自分の得意なことなども聞かれた。

 そして、最後にどこに住んでいるかと聞かれ徒歩で約12分の所というと面接官の顔に笑みが浮かび、なんだ、そんなに近いのかと笑いながら言った。入社して金ができたらトヨタ車を買ってくれるねと聞かれ、もちろんですと答えた。こうして、面接が終了した、試験から1週間後の8月8日に神奈川トヨタから内定と書いた書類が入った封筒が届いた。

 その後、夏休みだったので友原和豊は直接、神奈川トヨタへ行き、内定のお礼を伝えに行った。10月1日の東証株価が2万円を割った。これで1989年12月29日の史上最高値3万8915円から9カ月で株価が約54%となった。そして、日本株の時価総額590兆円の世界一から319兆円に減少しバブル経済崩壊を印象付けた。

 11月12日には天皇が即位の礼で即位を宣言した。即位式には158ヶ国・2国際機関の代表が出席した。12月20日、日本貿易振興会によると1989年の世界各国の海外直接投資額は1979億ドルで日本の441億ドルが英米を抜き世界一になった。1991年1月17日米軍を主体にペルシャ湾岸地域に展開する多国籍軍がイラク軍に攻撃を開始した。

 この作戦を「砂漠の嵐作戦」と命名し、湾岸戦争始まった。海部俊樹首相が「確固たる支持」を表明した。1月24日政府・自民党首脳会議,湾岸戦争支援策として90億ドル「約1兆2千億円」の追加支出を決めた。1991年4月1日、友原和豊は神奈川トヨタ関内店に出勤し、セールスマンになったなるための研修を開始した。

 その1週間後から先輩セールスマンと同行訪問が始まった。5月3日に横浜駅近くのスポーツジムに行くと横浜国立大学経済学部で同期だった窪田真澄さんと再開し徐々に親しくなっていった。彼女は東芝エレベータに就職して高島町の神奈川支社の総務部で受付をしていると話した。内勤業務で運動不足になるのでスポーツジムに通い始めたと語った。

 6月3日長崎県の雲仙・普賢岳で大規模な火砕流が発生し、集落を焼き、消防・報道関係者ら37人が死亡し4人が行方不明となった。6月8日にも再び大火砕流発生し島原市の住民が避難した。その後、一緒に映画を見たり夕食を食べに行ったりするようになった。さらに友原和豊は休日になると窪田真澄さんをドライブに誘った。

 そして、自分のセリカに彼女を乗せて富士山麓、湘南海岸、伊豆、箱根、富士急ハイランドに出かけた。秋になると信州の高原や富士山麓へ紅葉を見に行った。こうして、毎週のようにデートを重ねた。そして、1991年12月28日、山下公園の前のホテルニューグランドで豪華な夕食を食べ、忘年会をした。

 その後、彼女を送る時、できたら来年あたり結婚しないかと言うと彼女がそうねと笑顔で言った。それを見て結婚しようよと言う結婚式場を探すのが楽しみだわと言った。そして、年明けに彼女の実家に来て両親に結婚の話をして欲しいと言われ了解した。やがて1992年が明け1月1日の10時頃、鶴見の彼女の実家を訪問し、ご両親に新年の挨拶をした。
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