第7話:終戦直後の騒動

文字数 1,554文字

 終戦後、アメリカが日本の窮状を見て金銭的な援助の手をさしのべてくれた。それがガリオア基金「占領地域救済政府基金」、エロア基金「占領地域経済復興基金」で共にアメリカが第二次世界大戦後の占領地域で社会生活の困難を救うために軍事予算の中から支出した援助資金である。ガリオア基金は占領地域の飢え病気、社会不安を除くために食料、肥料、医薬品、石油などの生活必需品を供給した。

 また、エロア基金は占領地の経済を復興させるために綿花、鉱産物などの工業原料と機械などの資本財とを供給した。1946年~51年にかけて約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助「贈与」だった。現在の価値に換算すれば12兆円「無償は約9.5兆円」となる膨大な援助で、この援助がなければ日本の復興は考えられなかった。

 日本が現在、1年間に1兆5千億円のODAで世界の約160ヶ国を支援していることと比較するとアメリカが日本1国に対し援助した今の価値で12兆円「1年間では2兆円」がいかに多額な援助であったかがわかる。米国を中心としたこれらの対日援助は当時の東西関係の緊張といった国際情勢の変化から極東における「日本の重要性」が高まり、援助が強化されたという戦略的援助の側面もあった。

 しかし、根底には、人道主義あるいは弱者に対するアメリカン・ヒューマニズム、さらにはララ物資などと共にキリスト教精神に基づくものであったと言われている。この基金は、最初は贈与的な性格だった。しかし、後に日米両国の間で債権・債務として考えられる様になった。1962年ガリオア・エロア協定が結ばれ、日本は援助額のうち4億9千万ドルを15年間で支払うことになった。

 これは開発途上国への経済援助や日米間の文化交流などのために使われた。1946年になると3月11日、GHQが1米ドル換算率を15円から50円に引上げられた。7月3日、GHQが財閥解体の一環として三井物産・三菱商事の解体を要求した。10月10日、キーナン判事が「天皇と実業家に戦争責任はない」と言明した。キーナン判事は1945年11月29日にトルーマン大統領から日本の戦争犯罪者捜査の法律顧問団団長に任命された。

 そして、12月6日に東京に入り、翌12月7日にはマッカーサーと会談し、戦争犯罪者の裁判に関して意見の一致をみた。その後、東京放送会館で記者会見を行った。キーナンは司法省での経験を活か、日本軍閥に対しては「ギャング退治」の意気込みを以って臨み、満州事変前後から敗戦までの日本の動きを「犯罪的軍閥」による侵略戦争の推進と考えた。キーナンは主席検事であるにもかかわらず被告選定作業に遅滞を生じさせた。

 そのため他の検察官の反発を招き一部の検察官はSCAPにキーナン罷免の申し入れをしたという。しかし、法廷では精力的に活動し裁判の主導的役割を果たした。冒頭陳述では日本の行為を「文明に対する挑戦」と述べた。裁判終了後に帰国し1949年には国連のパレスチナ委員会のアメリカ代表を務めた。キーナンはマッカーサーの意向を受け昭和天皇免訴の立場を取った。裁判の進行につれて天皇の不起訴について疑問視する声が各方面から聞こえた。

 すると開廷中にもかかわらず一時帰国した。1946年6月18日、ワシントンで記者会見をし天皇を戦犯として裁判にかけることはないと表明した。1947年12月31日に「天皇の平和に対する希望に反した行動を木戸幸一内大臣がとった事がありますか?」というローガン弁護人の質問に対し東條英機が「勿論ありません。日本国の臣民が陛下のご意思に反して彼是するという事は有り得ぬ事であります。いわんや日本の高官においてをや」と返答した。
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