第10話:狂乱物価、新製品、好景気

文字数 1,554文字

 さらに企業側の「売り惜しみ」「便乗値上げ」が起き「狂乱物価」と形容される激しい物価上昇が起こされた。日本の経済成長率は、高度成長期の10%成長から5%台へ低下し高度経済成長期は終焉を迎えた。1974年が明け、1月16日に電力・石油消費規制、国鉄は昼間の暖房停止、百貨店の照明間引きが実施された。5月15日に東京・江東区にセブン・イレブン日本一号店が開店した。

 8月23日の朝、証券会社の担当者から友原良一に電話が入りNEC株の気配値が115円と安いと言われた。それを聞き友原良一がNEC株10万株の成り行き買い注文するとNEC株10万株を1150万円で買え残金が1424万円と言われた。10月22日に立花隆「田中角栄研究-その金脈と人脈」「文聾春秋」11月号の田中金脈問題につき、田中首相、外人記者クラブで釈明した。11月26日には田中首相が退陣を表明した。

 1975年が明け、3月10日に山陽新幹線が博多まで開通した。5月8日に国労・動労が72時間ストを実施した。1975年にはソニーからICF-5900、愛称「スカイセンサー」の5バンドラジオが新発売された。このラジオは水晶発振を利用したクリスタルマーカーにより正確な短波チューニングが可能となった。1976年が明け、1月20日には大和運輸「現在のヤマト運輸」が「宅急便」のサービスを開始した。

 6月22日にはロッキード事件で大久保丸紅前専務、沢全日空専務ら5人が初の逮捕者となった。7月8日には若狭全日空社長が逮捕され、7月13日には槍山丸紅・前会長が逮捕された。1977年が明けると1月4日に東京の品川駅付近の電話ボックスに置かれた青酸入りコーラを飲んで、二人死亡した。1977~78年の日本経済を特徴づけたのは円相場の急騰で国際収支の大幅黒字で円高が進んだ。1978年10月には1米ドル・175円59銭と新高値を記録。

 それでも国際収支の不均衡は解消されず、むしろ黒字は拡大された。1978年の国際収支は206億ドルと史上空前の黒字を計上。日本製品は、それほどまでに国際競争力をつけたのだった。石油危機以降、企業は積極的に省エネルギー投資を行い生産設備に電子技術を活用するなど徹底した合理化、省力化で競争力を飛躍的に向上させた。円高は内外に大きな波紋をもたらした。これにより、先進諸国の日本に対する批判が高まり日本製品に対する輸入規制が行われた。

 その一方で農産物などについて日本市場の開放を迫られるなど国際的な圧力を受けることになった。さらに円レートの高騰は、国内輸出業者の経営悪化を招いた。その後の日本経済の先行きに暗い影を落とした。1978年の実質成長率は5.5%、高度成長時代にくらべれば、景気の回復感に乏しかった。しかし、企業収益は大幅に回復した。

 上半期は前年比27.5%、下半期は9.3%と増益が続いた。公共投資の伸長、堅調な消費動向に支えられて経済全体が着実な回復ぶりを示した。1979年5月9日に日本でNEC8001が発表され、9月20日に出荷が開始された。希望小売価格は16万8千円で当時としてはリーズナブルな価格で1983年1月の販売終了まで一度も改定されなかった。1980年6月22日に行われた史上初の衆参同日選挙は事前の予想を覆し自民党が両院ともに圧勝した。

 これにより、保革伯仲時代に終わりを告げた。大平正芳首相は5月30日、遊説中に不快を訴えて東京・虎ノ門病院に緊急入院した。その後、病院の医師により「過労による狭心症」と発表された。大平正芳首相の容体は一時快復に向かった。しかし、1980年6月12日未明、心筋梗塞による急性心不全で死去し、享年70歳だった。そして、伊東正義・内閣官房長官が首相の臨時代理を務めた。
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