第16話:投資開始と不妊症

文字数 1,576文字

 朝食を終えると部屋に戻り、一休みして10時過ぎにホテルを出て列車に乗り札幌に向かった。11時過ぎにホテルに着いた。その後、狸小路、時計台をみて昼食をとった。その後、市電に乗り藻岩山に向かった。そして、ロープウェイに乗って頂上へあがった。そこからは札幌の街が一望でき、さすがにでかい都市だと再認識させられた。

 山頂駅に着くとみんなと同じように藻岩観音奥之院へ歩いて向かった。そこに着くと意外とこじんまりした建物ながら風情が感じられた。その後も散策して素晴らしい景色を眺めて再びロープウェイで降りた。そして、ホテルのフロントで聞いたレストランに入り昼食を食べ、タクシーで北海道神宮へ向かった。実際に入ってみると広いのに驚いた。

 さすが北海道と言った感じ。次に隣の円山公園と動物園を散歩して回った。見学を終えると地下鉄東西線に乗ってホテルに戻ると暗くなり始めた。そこで、疲れたのでホテルのカフェで軽く夕食を食べて、風呂にゆっくり入り床についた。翌朝、8時に起き帰り支度をして9時半頃、ホテルを出て11時頃、千歳空港へ着いた。

 千歳空港で、お土産を買って飛行機に乗り込んで14時過ぎに羽田に着いた。そこから電車を乗り継いで15時半には新しく借りた2Kのマンションに入った。旅の疲れか早めに床について、朝起き朝食を食べて会社に出かける日常生活に戻った。8月18日、東証平均株価終値が景気先行き不安などで大きく反落した。

 そして日経平均株価が1万4309円41銭になり、6年5ヵ月ぶりの低水準でバブル景気の終焉を印象付けた。1992年8月20日の早朝、証券会社から友原和豊に電話が入り東京精密株の気配値が670円と安いと言われた。それを聞き東京精密株、千株の成り行き買い注文を出すと67万円で買え残金が33万円となった。1993年が明け、1月1日にEU12か国、単一市場を発足させた。
 5月9日には皇太子徳仁親王と小和田雅子が結婚した。7月18日の第40回総選挙で。自民が過半数を割り、社会は歴史的惨敗を喫した。そして、新党の3党が躍進し、「55年体制」は崩壊した。8月3日、友原真弓は東京大手町のソニー生命保険へ行きを就職試験を受験し、1週間後、ソニー生命保険から内定の手紙が届いた。

 8月6日の特別国会で細川護熙日本新党代表を第79代首相に指名した。衆院議長には土井たか子社会党元委員長が就任し女性議長は国会史上初となった。8月9日には細川護熙連立内閣が発足。38年ぶりの非自民党政権ができた。8月13日気象庁が「1954年以来の冷夏になった」と発表。8月17日には米ドルが一時100円40銭の円高になった。

 9月30日、1993年産コメ作況指数は80で戦後最悪となり凶作で政府が緊急輸入を決めた。12月16日には田中角栄元首相が死去、享年75歳。1994年が明け、友原和豊が真澄さんが妊娠しないので一緒に横浜の大きな病院の産婦人科を受診すると友原真澄さんが妊娠しにくい子宮後屈だと言われた。

 それを聞いた友原和豊が真澄さんに子供ができなくても何も支障はないと慰めると真澄さんがうつむいて涙目になった。その後、あまり気にするなと友原和豊が肩をたたいた。この頃、友原和豊は上得意の淡路龍馬「あわじりゅうま」さんに競馬に誘われ、中山競馬場や東京競馬場に1、2ヶ月に1回位出かけるようになった。そのうち、複勝や単勝は当たりやすいから君もやってみたらと誘われるようになった。

 4月1日から友原真弓は実家から大手町のソニー生命保険に約1時間かけて通勤。その後、新入社員研修の日程が発表された。2週間の研修を終え、先輩と同行する予定となった。4月13日に淡路龍馬さんから友原和豊に電話が入り、4月17日の第54回皐月賞に行こうと誘われ12時20分に横浜駅で待ち合わせた。
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