第9話:東京五輪、株投資、オイルショック

文字数 1,562文字


 1964年10月に東京オリンピックが初開催された。これで生まれたのがオリンピック景気で新幹線や高速道路、競技施設の建設やオリンピックを見るためにテレビの需要が高まったことで景気が拡大。続いて1965年11月から民間設備投資に牽引され、5年間で名目国民総生産「GNP」が倍以上となった。1966年1月5日の朝、友原良一が横浜駅近くのN証券へ行き証券口座を開いた。

 そして80万円を入れると証券会社の担当者がソニーの気配値が74円と安いと言われた。それ聞き1万株成り行き買い注文を出すと74万円で買え残金が6万円となった。1966年4月28日に1945年11月12日に生まれの友原良一が店に勤める加賀見悦子と結婚した。この頃になるとラジオでAMだけでなくFMも聴けるようになった。

 1967年7月にソニーのソリテッドステート11「TFM110F」が13800円で新発売された。1968年にはソニー独自のトリニトロン方式によるカラーテレビ1号機、KV-1310が販売され好評を博した。その結果、想像以上の売り上げを記録。1968年には日本経済が西ドイツを抜き自由世界第2位となり新・三種の神器と呼ばれたカラーテレビ、クーラー、カーが急速に普及した。

 この頃、友原織物商店は、時代の流れとともに食品、洋服、新聞、書籍を販売する地元の普通の商店になった。1968年5月18日には悦子さんの妊娠が判明し、11月21日が出産予定日と告げられた。その後、11月21日に男子が誕生し、友原和豊と命名した。そして、1969年4月には戸部に新しく友原富一が資金を出して友原電気店を開き、長男の友原良一が店長になった。

 1970年のいざなみ景気で友原織物商店でも商売が繁盛して友原良一は土曜日に開かれるN証券の株投資勉強会に参加するようになった。やがて1971年になると時の通産大臣、田中角栄が日本大手電気メーカーに国際競争力をつけるための補助金制度を設け、1972年から5年間「新製品系列開発」に570億円を支出した。この情報が証券会社から発表された。

 この補助金には大蔵省の意向で日本のコンピュータメーカー6社を2、3社に減らすという意向があった。1971年に日立はHITASC8350/8450をNECはNEAC2200/375と575を発表した。この頃、証券会社の勉強会で日本でコンピュータを発売するとしたら日立が大型コンピュータ、NECが小型コンピュータを新発売するのではないかと言う意見が大勢を占めた。

 では、大型コンピュタと小型コンピュータ、どちらの方が儲かるかという話になり証券会社の担当者の意見としては安価で使いやすい個人向けを狙った小型コンピュータではないかというのが大勢を占めた。そこで、NEC株の安値を買おうという考えに傾いた。1971年10月23日には長女の友原真弓が誕生した。1973年が明け1月8日の朝、証券会社の担当者から友原良一に電話が入った。

 その電話でソニー株の気配値が1600円と高いと言われた。それを聞き、全株成り行き売り注文を出すとソニー株保有中に3回の株式分割をして1万株が18750株に増えていたため、売れると残金が2574万円と増えた。10月6日には第四次中東戦争の勃発してOPEC「石油輸出国機構」加盟国は原油生産の削減・原油価格の大幅引き上げなどの世界に対する石油戦略を打ち出した。

 これにより、第一次オイルショックが引き起こされた。そのため、使用する石油のほとんど全てを輸入原油に依存してきた日本経済は、まともに直撃を受けた。それで電力・ガス・石油化学製品などの値上げされた。それとともに消費者のインフレ心理から引き起こされたトイレットペーパーや洗剤などの「買い急ぎ」「買いだめ」が起きた。
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