いつかの慈庵寺 弐 (玄林和尚の話)

文字数 3,763文字

 夜、寺の縁側ではしゃぐ二つの影があった。三太郎は夜の墓場を眺めながら懐中電灯であたりを照らし、廊下を行ったり来たりしている。小桜は縁側から身を乗り出し、線香花火をしていた。火付けの為の蝋燭は本尊の前にあった燭台ごと持ってきたらしい。玄林はため息をついた。勝手な子等だ。泊まるのを許したのは早計だっただろうか。
「走るな、小桜はよくその花火を見つけたな。長い間しまっていたからしけてしまっているだろう。もう寝ろ。蒲団は敷いた。」
 三太郎は目を輝かせて和尚に向き直る。これは暫く寝るはずが無いなと観念しつつも、障子を開き中へ促す。寺の綿布団に、こやののせんべい布団とは大違いだ!と歓声をあげて子供たちが転げ回る。地主だかなんだかの檀家がくれたものだった。ずっと押し入れに眠っていた為、埃やらが心配だった。今度日向に干そうと玄林は考えながら、落ち着けと子供たちを嗜める。
「夜の寺は楽しい、何か出そうだ、怖い話が聞きたい。幽霊の話。」
 そんなことを寝転がりながら三太郎は言う。
「仏教では死者は輪廻転生をする。除霊だの霊媒だの騒ぐ坊主には宗旨替えを進めている……が、死に損なった魂は留まり続ける場合も──まぁ私は、僧としても教えを説くものとしても未熟者で偽りものであるから詳しいところは何とも言えないが、」
 怖い話ならある。と玄林は言った。それから、裏の無縁仏の方を指示す。
「あの──遠くが見えるか。」
 三太郎と小桜は、和尚の手の方を見る。そこにぼんやりと青白い光が見えた。小桜は目を擦った。三太郎は目を細める。青白い光が、ふわふわと漂っているように見えた。
「……蛍?」
「人魂?」
「あそこには夜な夜な、浮かばれない者たちが現れるのだよ。あそこは無縁仏も勿論葬られているが、立派なものが一つ、この寺で一番初めに建てられた墓の主と、それに関わる一族の関係者も葬られている──無縁どころか、数多の縁がある者たち。その執心により、人の形を忘れた者たちが。輪廻から外れたのか、それとも私の幻覚か……お前たちも、あまりあそこを荒らすのは辞めておくれ」
 小桜は首を傾げた。子供を怖がらせるための細工にしては数が多い。動きもある。蛍にしては大きい。三太郎は首をかしげてそれを眺めていたあと、和尚はあれらと話ができるのかと尋ねた。玄林は黙って笑った。言葉が聞けるのと、話すことができるのとは別なのだ。
「……怖い話ね。」
「だろう、さあ、寺には入ってこられない。寝よう。」
 三太郎はじっと、その庭の火の玉を眺めていたが、やがて二人の後に続いて、奥の部屋へ向かった。
「あの、一番立派なお墓は誰のものなの。」
「あれはな……」
 玄林は裏庭の無縁仏の並ぶ方へと目をやりながら語りだした。

 昔のことだ。ある武士の一族の兄弟が居った。仲の良い兄弟だった。兄弟同士の殺し合いも珍しくない戦乱の世だ。私と……いや、その兄弟は珍しく仲良く育ち、兄は親族をまとめ上げ、一族の棟梁となった。しかし、やがてその兄は──自分の領地を守ることに酷く執着しはじめた。少しでも疑わしいものがいればすぐに殺してしまうようになった。
 弟は、それを止めようとしたが、兄は聞く耳を貸さなかった。意見をする弟にも謀反を疑い、弟と恋仲であった露姫という姫を差し出せと言い、無理矢理に妻にした。そのほかにも、様々な乱暴を働くようになってしまった……。その現状を憂いた弟は家臣と話し合い、自分が謀反を企てているという話を兄に流した。兄は激怒し、部下を数名引き連れて弟を殺しに行った。
 しかし、その部下たちは弟と共に兄を打った。冷たい冬の夜だった。月明かりの下、兄は家臣と弟を末代まで呪ってやると言い、死に絶えた。弟は、静かに返り血を拭い手を合わせた。
 愛していた姫とも再び暮らせるようになり弟は喜んだ。しかし、姫は浮かない様子だった。実は露姫は兄の子を宿していた。弟は生まれるはずだった子供を、妻に鬼灯を与えて堕胎させた。愛する姫が、あの悪鬼の様になってしまった兄の子を産むなど、許せはしなかったのである。
 しかし、その詰まらない嫉妬のせいで、露姫までも死んでしまった。弟はそれを悔いて、兄夫婦と子供の供養をした。ところが、次に弟が妻にした女も、子供を産み死んでしまった。次の妻も。そうして生まれた子供たちは、執心が強いものが居た。
 母のように死にたくないと吠え、毒殺を恐れ何も食えなくなり、やせ細って死んだ。墓に埋めたが木乃伊の様になり、出てきて死にたくない、死にたくないと夜な夜な歩き回ったという。お前はもう死んでいるのだと諭し、小屋に閉じ込め……炎で焼いた。もう死んでいるということに気が付き、死にたくないと恐れる気持ちが消え消滅したのだ。
 もう一人は大きくなり子をなした。女の子と男の子。しかし、息子に妻を取られるのではないか、という妄想が膨らみ、たびたび息子の首を絞めるようになった。その腕はねじくれ、伸び、巻き付くような化け物の姿になってしまった。……息子が家を飛び出し、獣に食われて死んでしまってからは、元の姿に戻ったという。
 そのようなことが、兄の死後続いた。弟は、兄の呪いを恐れ、人の業を嘆き仏門に入り、兄や狂ってしまった一族の、がりまがの菩提を弔うようになった。と。
 嗚呼、がりまが、とは何か、な。
 いつぞやから、人々は「魔の住む屋敷」「曲りの一族」と、その家を呼ぶようになった。兄弟の祖父は、もともと……境界を守り、魔を狩るような、陰陽師のような仕事をしていたとも言うのだが、いつの間にか一族が魔に、執心に食われてしまったようだ。それを、誰がどういうたか、その化け物を「がりまが」と呼ぶようになった。
 私が思うに「曲がり魔」の派生だろうか。今はそう呼ぶようになった。呼び名などどうでもいいが………女のがり行きたるところに魔があり、いや、何でもない。がりまがと化した人間は、その執着や妄執を現したかのような歪んだ姿になるという。呪われた側もがりまがに執心を持つ。そうしてこの世に縛り付けられる、そんな呪いなのか何なのか──だ。気狂いの多い一族だとも言えるな。過ぎたる思いは互いを苦しめる……やがて、がりまがは自分すらも食い尽くす。
 だから弟は、それらの成仏の助けになれたら良いと、呪われた身でこの寺を建立したのよ。一番大きなあの墓は兄のものだ。色々な分家も死に絶え、兄弟の血を引くものは今は確か西の方に一件ばかり残っていたが──私の知る限り、子供は居ないと思っていた。私がその家の存在を知ったのがしばらく前だったから……この間までの戦争の前だ。
 今は──そいつらが化け物にならないことを祈るまでだ。
 いや……最近思うのだよ。執心を持ち、それを糧に生きられるものもいる。兄も、初めは領地の為に尽くしていた。だから、精一杯生きて、浮世を苦しみぬいた上で、物事をありのままに見つめ、それでも満足して安らかに死んでほしいと──人には、そう思うのだ。
 自分に満足して、慈悲を以て、智慧を得て死ねと。……そんな由来の寺が此処だ。

 蝋燭の明かりに照らされる子供の寝顔。小桜が小さな声で囁いた。
「……和尚さま。三太郎寝ちゃったわ。」
 昼間から色々と動いて疲れたのだろう。和尚はそう言いかけたが、ふと首を傾げた。何時もは、小桜が寝るまで三太郎は眠らない。小桜は愛おしそうに彼の髪を撫でまわしている。
「この子、和尚様の事も信頼しているのね。あたし以外の人が居てもちゃんと寝ているわ。」
「……小桜。」
 障子に、桜の花びらの舞う影が映っている。しかし、外に風はない。眠っている少年を見つめながら、少女は呟いた。
「……ねえ、和尚さま。あたし此処に来てから夢を見るの。時々。きれいなお姫様のような恰好をした人が、『兄さまを愛してしまった、ごめんなさい』と泣く夢──ねえ、あなたのお姫様は、お兄様との子を殺した、あなたとの子を呪わなかった?」
 少女の目は、ろうそくの光を反射し、怪しくきらめいていた。老僧の、一文字に近い眉根が更に寄せられた。生ぬるい風が畳の目をなぞるように吹く。
「……それは、どうだろうな。」
 露姫だろうか。それとも。その夢の女はもしかすると。
「私の話を信じるのか」
「なんとなく、そんな気がする。和尚様は、多分、ほかの人のもの。ふふ。」
 玄林は、長い溜息をついた。子供の戯言だ。だが、それにしてはこの少女は大人びている。何を見てきたのだろう。そして、記憶の片隅に居る、泣き顔の女を思い出した。そうか。
「お前、母様はどうした?」
「わたしゃみなしご、街道暮らし、よ。どうせ売られた子……和尚さま、ねえ、ずっと長い間、人を留めておけるほどの強い思いは、やっぱり呪いなのかしら。」
 玄林は、僅かに笑った。
 小桜は、和尚を尻目に布団に頭を投げ出す。それから小さな欠伸を一つして目を閉じた。
 月が雲に隠れ、庭が少し暗くなった。
「しかし、お前たちは傷だらけだな。」
 少女はわずかに首をかしげる。
「……傷付けあっているもの。縛るために縛られてあげているの。気付くために傷付けている。あの子があたしを忘れないように。」
 あいしてるのよ、恍惚に浸るように謳う少女を、玄林は少し冷めた瞳で見つめていた。
 ──ばけものめ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み