真実が明らかになることが幸せだとも限らない (堀沼慎一)

文字数 4,076文字

 ──この件はおそらく、貴方にはどうすることも出来ませんよ。
 玄林はそう話を結ぶ。慎一はじっと拳を握り締めた。三太郎から以前、少し和尚の話や寺の怪談話、小桜と自分の幼いころの話を聞いたことはあった。ノートの話。そして。信じられない気持ちと、自分が不釣り合いな場所にいるような気持ちと、一連の事件の解像度を上げたい気持ちと、逃げ出したい気持ちが胸中で戦っている。しかし。あの人は、ほんとうに小桜さんが大切だったのだ。
 慎一は、和尚の話を思い、遣る瀬無くなった。そして、ある疑問が新たに彼の中に生まれた。それは、考えてみれば全て──納得がいく話だった。ただ、あまりにも偶然が、必然すぎるだけで。
「……和尚様、良哉さんの手記はお読みになりましたか。」
「少し。」
「……三太郎さんの、出生についてはご存知ですか」
「ええ。だから私は今、貴方にこの話をしたのです。貴方もそう思ったのでしょう。だから……だから、あれは多分どこにも行けないのです」
 死者の復活はあり得ると思いますか、慎一のその問いに、玄林は黙って首を振る。
「……がりまがはあくまで、生前の執着、呪いから生まれ……そのまま化け物と化します。息絶えた他者を戻す反魂の術は、歪んだ化物しか生み出さぬのは、古今東西の事象が証明しているでしょう。皆々、諸々の呪いから逃れて、速やかに解脱の彼岸に至らんことを。」
 両手を合わせる玄林に、慎一は頭を下げる。
「僕は、蓮ちゃんや良哉伯父さんがその因果に巻き込まれないかを心配しているんです、あと三太郎さんも、できるならーー救われると良いのにと、」
 どうやら、私の子孫は、良いご縁に恵まれたらしい。玄林はそう呟き、僅かに笑った。
「あいつにーーこれを渡していただけますか、そして、偶にはまた、遊びに来いと伝えてやってください。」
 三太郎が何をしようとしているのか、それを測るには、彼と自分は離れすぎてしまった。猫のように寺中を荒らしまわる少女や、木魚を太鼓代わりに遊ぶ少年は、長い彼の過ごしてきた年月の中の、ほんの一瞬でしかないのだ。
    
   ◇

 慎一は、都市伝説の噂を色々聞き集めていた。浅草の外れの場所に妙な黒い影が夜間うろついていたというもの。和尚から聞いた話、良哉の手記、それを総合するに、おそらく小屋の跡地はこのあたりだろう。もし、間さんが色々考えているなら、恐らく小桜さんをどうこうしようとするのならば小屋の跡地の近くにするだろう。そんな予測を立てながら、間老人を探す。聞きたいことがあるのだ、解きたい謎もある。和尚様からの手紙も渡したい、しかし蓮は巻き込むわけにはいかない。しかし、なかなか彼を見つけることができず、今日もため息をつきながら家に帰る途中だった。
「ただいま」
 一声店にかけてから、横の階段を上がろうとすると、母親があら、と高めの声で慎一を呼び止めた。
「慎一、お客さんよ。」
「よお、学生さん」
 二合の徳利を片手に持った間老人が、食堂のカウンターに座っていた。
「いや、何で居るんですか」
 思わず、慎一の口からそんな言葉が出た。奥さん、此処は良い店ですね、此処の煮込みは絶品だって、木下社長が褒めてましたぜ、あら、木下さんとお知り合いなんですか?ええ、ちょいとたまたまね、などと蛍光灯の下、目の前で繰り広げられる会話に、慎一は呆気にとられた。
「居ちゃ悪いか?飲みに来ただけだ。」
 うちは食堂なんですけどね、と呟けば、お客さんに何言うんだいと母は慎一の頭をはたく。どうやらこの時間で母はこの客人が気に入ったらしい。
「まぁ、そろそろ失礼します、で、学生さん、俺に何か用があるんじゃないのかい。」
 その発言から、彼が自分を探している慎一の様子に気が付きながらも隠れていたことを察し、慎一は、無言で外を指差した。からかうように鼻で笑い、迷惑料ですと封筒を差し出して、外套を羽織り彼は外に出る。こんなにもらえませんよと叫ぶ母にひらひらと片手を振って、老人は夜道を歩き始めた。慎一はその後に続きながら、彼に問いかけた。
「……幾らくれたんです?」
「野暮なこと聞くなよ、良いおふくろさんだな。あんま心配かけてやるなよ、手を引け。探るな。」
「脅しているのですか?」
 老人は頭を掻いた。ただ単に、お前さんみたいな変な学生さんが、どんな親から産まれたのか見てやりたかっただけだ。誰にも手出しする気は本当にねえんだよ、とぼやく。その言葉は真実なのだろうと慎一は思っていた、だが、だからこそ彼の目的が気になるのも事実だ。思い出でも、巡っているかのような。
「間さん、僕、慈庵寺に行ってきました。お坊様が貴方にこれをと」
 手紙を渡すと、彼は若干顔をしかめつつ受け取った。悪戯がばれた子供のように。
「……面倒かけたな。和尚は何か言ってたか?」
「また、遊びに来いと。あとは貴方の昔話を多少。」
 老人は、更に嫌そうな顔をした。少し意趣返しのような気分で、慎一は彼をからかってやろうかと考えたが、軽口になりそうな話は出てこなかった。
「……生きているのですか?」
 代わりに、そんな漠然とした問いを投げかける。
「何の話だ。俺か?あの坊主、どこまで喋ったんだ……そもそも、今お前さんに俺はまともに見えてんのかね、」
「それは……」
 慎一は答えに惑った。夜道で立ち止まり、老人は両手を広げて肩をすくめた。それが答えだよ、そう呟く。
「……間さん。」
「ん?」
「森鷗外や夏目漱石は、自分の娘や息子が、海外でも通用する名前にしようと洋風の漢字表記をさせたというのは有名な話ですよね。」
 どうした、急だな──と、笑った老人の顔が、何かに気がついたかのようにすっと、無表情になった。その態度に、慎一は自分の推測がこんがらがった事実のほぼ半分ほどにしか到達していなかったのではないか、という思いは確信に変わった。
「貴方の名乗っている名前の読みは、『はざまりょうや』で正しいのですか」
 和尚から聞いた彼の言葉。出自。手記。ふと考えたのだ。
 ──やり直しやがった。上手くやりやがった。
 ──あの子のロシア語のお名前はヨシュアというらしいのよ。
 老人は、口を開きかけて、また閉じた。そうだ。名乗りだけの名前に、わざわざ名刺は作らないだろう。というからには、あれは一応公的なものだ。自分の中で、抑えていた疑問があふれ出し、慎一は矢継ぎ早に質問を投げかける。
「あの名前は、『よしや』と読むのではないですか。そして、あなたのお父様は──間義弘なのではないですか。貴方に、息子には近寄るなと告げた、妹に手を出し、小桜さんを見殺しにした──」
「……止してくれ。」
 じわり、と、彼の背から影が滲み出る。
「『会田』ではなかったんですね、興行社は何故?偶然ですか?……貴方は、良哉さんが羨ましかったんですか、それとも、妬ましかったんですか。だから会いたくなかったんですか?」
「違う、俺は──」
 間老人は、首を振った。と同時に、彼の中で声がした。小さな子供の声。
 ──本当に?父親もあの子も、恨んだのに。
「……煩い、あいつの事は俺がなんとかするって決めたんだ。」
 独り言を呟く老人を、慎一は訝しげに見つめた。
 間義弘。憑きものの家系。その憑きものは、がりまがと呼ばれるそれなのだろう。そしてそれの息子が、三太郎さんと、小桜さんと、良哉さんだとして。妹を愛し、妻を捨て、妻を得て。
 ──一番報われないのは誰なのだろうか。 
 慎一は考える。しかし、どうして三太郎さんは、化け物となってまで生き延びているんだ。和尚様の話。あのノート。良哉さんの。それを考えた時に、何かの未練がこの世にあるからか。枯れた老人の話は。この人の未練とは。
「貴方は──小桜さんを蘇らせたいのですか。」
 いつだったか、文献で読んだ反魂の法の話を思い出した。死者を蘇らせるための儀式。従姉妹の少女に電話をもらい、行った庭の様子。
「血縁の血があるとなお良いと……死者の骨。並べた骨にヒ素を塗り、苺の葉と繁縷の葉を揉み合わせたものを塗り、藤のツタで骨をつなぎ合わせる。水洗いをし、頭には西海子とむくげの葉を灰で焼いたものをつける。土の上に畳を敷き、その上に骨一式を伏せて置き、風が通らないところに二十七日……。」
「西行か。」
 老人は、無表情のままそう呟く。
「ご存知ですね。そんなことをしても──死者は戻りませんよ。」
「そんな事は解っている、だから黙れ」
「黙りません、貴方は伯父さんの昔の──あそこの庭に入り、骨を盗み出したのは貴方ですね。あの家の、庭には──小桜さんが埋まっていたのではないですか。あなたなら、何か出来るのですか。何をしようとしているのですか。」
 老人はその言葉を聞くなり、驚愕に目を見開き、ふっと自分の左肩を振り返るようにした。そして、僅か数秒目を閉じ、諦めるような表情を浮かべ、斜め前方の空を眺めた。夕日が沈みかけている。それから、訝しげな慎一を差置いて頭を抱えた。
 ──裏庭に埋めていたのか、そしていよいよ、俺は俺として正気を保ってないらしいな。
「……学生さん。もう一度確認する、掘り起こされたんだな?」
 念を押すように尋ねる彼に、慎一は向き直り告げる。
「しらばっくれないでください。僕は、蓮ちゃんも、良哉おじさんも、貴方も──因果から解放されるべきだと思っている!」
 僅かに迷うような素振りを彼は見せた。その後、苛立ったように眉を寄せる。うっとおしいこった。そう呟きながら、僅かに老人の口元は笑っていた。地面に伸びた影が勝手に動き出す。慎一は目を見開いた。どこまでが自分の幻覚や妄想で、どこからが実際に起きていることなのだろう。自分は今、何に巻き込まれているのだろう。
「……あなたは──」
「学生さん、悪いね。」
 お前、いいとこまで行ってたよ。でもこれ以上はあんたが危ない。そう耳元で囁かれ、いつの間に距離を詰められたのだと、慎一は驚愕した。
「ちょっと、色々忘れてくれや。」
 老人の手が、自分の顔に伸びた。
 その記憶を最後に、慎一の意識は闇に落ちた。
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