私と彼の因果の初めは (記手:秋元蓮)

文字数 3,155文字

 この文章を書くにあたり、まず投稿ジャンルに迷った。私にとっては彼と関わった時間は短く、それでも現実ではあるのだが、そのまま記すと統合失調症か薬物乱用を疑われるような話であるので、小説という体が良いのだろうと思った。
 「間さん」とは私が出逢ったテキ屋、(本人は「もどき」だと言っていた。「ほんとの神農にもタカモノシにも申し訳ねぇから、俺はあくまで半端もんです」と。)骨董商の老人である。平成の終わる少し前、ノストラダムスよりも後で世界の滅亡が囁かれていたりなんだりした数年後だか前だか忘れたが、元号が令和になる前だったというのは確かな記憶である。
 最初は、間さんとの話を個人的に書き留めていただけだったのだが、十年程を経て、ふと、色々な人達に知ってもらうのも良いかもしれないと思ったのだ。普通から少しずれてしまった人達や、怪しく楽しく悲しいものたちの、なんとなくの日常があったことを。
 子供の頃、祭りの屋台で声をかけてきた呼び込みのおじさんや、サーカスのピエロやライオン、道端に居た絵描きや、ガマの油売り、バナナの叩き売り、手相占い師、靴磨きが何処へ消えたのか知らない人は多いだろう。
 それから、路上を塞ぐ酔っぱらいを見下したり、義足の人から目を逸らし、金色の髪に目を潜めたり、いかつい男の腕の入れ墨に恐怖したり、そんなことを思ったことがある人には、少し嫌な話なのかもしれない。
 まぁ、この話を読んで一番嫌な顔をするのは、間さん本人かもしれないけれども。
 
 なにはともあれ、間さんの話をしようと思う。もし万が一、これを読んで彼等に心当たりがある人は、そっと思いを馳せて欲しい。私の諸々を知っている人は、「あの事なのかな」と苦笑いを浮かべて欲しい。出来事や彼等の名前は、分かる人には分かるように脚色、改変しているつもりだ。
 間さんの話をしよう、といったものの、まずは私が名乗るべきだろう。私の名前は秋元蓮。性別は女。間さんと出逢った時は高校2年生の時だった。   
 その時は父の病気だとか、進路だとか色々目の前の現実から目を逸らしつつ、ふわふわと過ごしていたと思う。夏の日だった気がする。従兄弟の堀沼慎一と言う民俗学専攻の院生に誘われて、上野公園の青空骨董市に行く予定だったのだが、生憎、彼が別の用事ができたらしく一人で不忍池に向かった。もともとアンティークなものが好きだった私は、地面やテントの下に並ぶ怪しげなものや古びたものをぶらぶらと眺めながら、照りつける太陽の光や浮かぶ蜃気楼を避けるために、あるテントの下で足を停めた。翡翠やトルコ石等の寒色系の色の石やアクセサリーが並んでいたためだろうか、そこの空気は涼しかった。
 白髪に一部茶色かがった髪が覗く、濃紺の着物姿に黒の羽織を纏った老人が、値踏みするように私をちらりと見た。若い小娘が一人で、冷やかしだろうと思われたのだろうと、気にせずにトルコ石を眺める。暫くそうしていると、視線を感じた。先程の老人だ。何かしてしまっただろうか。買わないのなら帰れとでも言うのだろうかと思い、慌てて近くの物を取り「これ、お幾らですか」と声を発した。老人の灰色に濁った瞳が瞬きをした。
「……一千円ですが、八百円で良いですよ」
 低く、謳うような声でそう言われ、思ったより安い事に安堵する。さざれ石のような小さな粒が紐に通され、長めの首飾りになっていた。じゃあ、ください。と言えば黙って頷かれる。こう言うところの店主は、目茶苦茶愛想が良いか無愛想かのどちらかが多い気がするが、彼は後者のようだった。だが後者のような人間のほうが、話せば色々面白かったりするものである。
「よくお店は出されるんですか?」
 金銭を渡しながらそう尋ねる。そうですねぇ、と彼は僅かに微笑みらしきものを浮かべながら、私の二つ折りの携帯電話に付いていたストラップを指差し、お嬢さんは、そういったものがお好きなんですかと尋ねてきた。今は亡き祖父の持っていた、梅の花の根付を付け替えて、ストラップにしていたものだった。そう話すと、古いものをそのように新しく作り変えて使うのは良いことですねと言い、購入した首飾りを皮の巾着に入れて渡してくれた。
 「骨董とか、レトロなものとか、アンティークとか伝統芸とか、サーカスとかが好きなんです。」
 そう私が告げると、彼は少し溜息をついた。客と話を広げたい質ではないように見えた。疲れているのだろうか、少し額を押さえるようにしながら口を開く。
「下町の風俗資料館なんかが向こうにあるでしょう、此処より涼しいですから、ご覧になったらどうですか」
 確かに、上野公園の不忍池の辺には、下町風俗資料館がある。ベーゴマやけん玉など昔の遊びが体験できるコーナーや、昔の家などが再現されたものだ。既に見たことがあるのですと言えば、それは失礼しましたと彼は肩を竦めた。ここのお店は普段はどちらにあるんですかと聞くと、彼は目を細くした。
「まぁ、私は完全に骨董商というわけでもないんですがね、店舗を持ってるわけでもなし、暫く四国の方に行ってたんですが、また東京に戻ってきましてね。流れ流れでなんとかやってます。屋台で飴細工なんかもやってました。」
 飴細工は私も大好きだ。祭りの屋台の飴細工師に弟子入させてくれとねだった小学生時代を思い出す。そう言えば、彼は肩を揺らして笑った。屋台の話や、骨董の怪談などがあれば教えていただきたいんですがと言う私の問に、彼は随分お喋りなお嬢さんですねと静かに言い放った。邪魔をしたかと思い詫びると、いえ、なんだか懐かしくてね。と彼は頭を掻いた。それから私の眼の前に、一枚の紙を差し出された。『玄桜堂 間良哉』と書かれた名刺の下に、電話番号が記されている。
「私は間と言います。もし何か査定や、古いものの処分があればご連絡ください。」
「ありがとうございます。間さん。私は秋元、秋元蓮と言います。季節の秋に元気の元、蓮の花の蓮です。」
 老人の瞳がまじまじと私を見た。何を考えているのか判別がつかない目だ。私の向こう側を見ているような。何か変なことでも言っただろうかと思っていると、こんな怪しい爺に、名前なんか容易く教えるもんじゃありませんと呆れるように言い放たれた。何だか私は可笑しくなった。そんな事を言ってくれるとは、悪い人ではなさそうだ。そんな事を思った。
 間さんとの出会いは、こんなような感じだったと記憶している。
 私は間氏の本職を知らない。過去についても、知っているのはごく僅かだ。
 いつも黒い外套やら羽織やらを着ていた。肌寒い季節にはずっと同じ外套を着ていた。昔のインバネスコート、いわゆるとんびコートと呼ばれるタイプの外套である。黒がお好きなのですかと以前聞いたら、これは何と言うか、弔いとか責任みたいなもんなんですよ、と言われた。
 きつめの煙草の香りがするが、私の前で吸っている所は見たことがない。金に困っているようなそぶりも無いので、骨董はおそらく道楽であろうと勝手に見当を付けていた。しかし彼を私が敬愛するようになったのは、骨董趣味が理由というだけではない。彼は民俗学や口承伝統、宗教信仰、民話や読本、発禁本といった、いわば古いものやアングラに幅広く通じていた。また、私の相談にもよくのってくれた。そして、どういう訳か変わった職業の裏話、一般に言われる奇人変人の話を多く知っていた。それらを交えて話される蠱惑的な話の数々は私を虜にするものばかりであった。そんな話をする度に、俺は半端もんなので、聞いただけですけどね、そう寂しそうに笑う人だった。
 これは、彼が生きてから死ぬまで、いや、「間良哉」という彼の、因果の話だ。そして、それは、私にも繋がる因果の話だ。

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