見世物の話 (語:秋元蓮)

文字数 8,997文字

 間良哉氏は私の大変年の離れた知り合いである。彼に会いたいと思えば大抵、東京で開催中の骨董市に向かえば好いのである。彼は店を出している時もあれば、客として古品を物色している時もあった。 
 彼と最初に出逢ったのは二か月前、上野の不忍池での青空骨董市である。翡翠で作られた小物を八百円で購入した後、店主であった彼と話が弾んだ。彼は私の携帯電話に付いていた、桜や梅の模様のストラップに興味を示していた。私はその老人がいたく気に入った。それ以来、他の市などでも適当に出会えば挨拶を交わしていくうちに──向こうも年若い癖に骨董市場などを巡っている女が気になったのだろう──親交が深まった。
 私は間氏の本職を知らない。年齢も、恐らく六十は越しているであろうとしか言えない。身なりも、洋装だったり和装だったりする。ただ、いつも黒い外套を着ている。昔のインバネスコート、いわゆるとんびコートと呼ばれるタイプの外套である。黒がお好きなのですかと以前聞いたら、これは何と言うか、弔いみたいなもんですよと言われた。
 煙草の香りがするが、私の前で吸っている所は見たことがない。金に困っているようなそぶりも無いので、骨董はおそらく道楽であろうと勝手に見当を付けていた。しかし彼を私が敬愛しているのは、骨董が理由というだけではない。彼は民俗学や口承伝統、宗教信仰、民話や読本、発禁本といった、いわば古いものやアングラに幅広く通じていた。また、どういう訳か変わった職業の裏話、一般に言われる奇人変人の話を多く知っていた。それらを交えて話される蠱惑的な話の数々は私を虜にするものばかりであった。
 ある秋の日の夕方、縁日でその姿を見たのは全くの偶然だった。丁度一緒に学校から帰って屋台を巡っていた友人に別れを告げ、足早に人波を掻き分け着物姿の老人の元へ向かう。道沿いに架かっている提灯と立ち並ぶ屋台。肉の焼ける香り。水の流れる音。威勢のいい呼び込みの声。そんな祭りの賑やかしい空気の中、間さん、と声をかければ彼は私を認めて驚いた後、ゆっくりと一礼を返した。 
 辺りは薄ぼんやりと闇を纏い、提灯と屋台の裸の豆電球と歩く人々の洋服に照り返った灯りがほのかに辺りを橙色に染めている。秋の屋台を通り過ぎ、道路沿いの仮設のパイプ椅子に私と共に座り、間氏は息をついた。彼の目線は真っ直ぐに、私の持つ袋入りの金魚を眺めていた。携帯を握った右手にかかっている屋台で掬った金魚は、赤いひれを揺らめかせては袋の端へぶつかっており、その度にビニールの紐越しに決して快くはない感触を私の手に伝えていた。金魚ですか、と真顔で尋ねられ、はい金魚です。と返した。そのような気の利かない返事を気にも止めずに、彼の目は屋台へ向けられた。
「祭りを見て、暇潰しに来たのですが、若い人たちばかりで、思ったより混んでいました。」
 聞き取りやすい声でそう告げられる。骨董市以外で彼の姿を見るのは珍しかったが、神社の縁日ならばまあ納得である。彼は屋台の話にも詳しかった。そう言えば、飴細工をやったことがあるとか話していた気がする。
「私も友人と来ていたのですが、間さんをお見かけしたので此方へやってきました。」
 それはご友人に良かったのですか、と問われ寸分の逡巡もなしに首を縦に振る。彼のような語り手と私は、気紛れにちょいと声をかけふらりと別れる、言うなれば一期一会の重ね合いの関係である。できるときに話を交わしておかなければ、次に逢えるのは何時になるか分からない。そんな訳で友人に別れを告げ、彼のもとへ話を聞きにやってきたのだ。と言っても私が話を強要する訳でもないので、軽い世間話で別れることも少なくない。さて今日はどうであろう。
「金魚すくいは江戸の頃からあったそうですが、最近はこんな老人には見慣れぬ屋台も増えましたね。」
「そうですね。目新しい屋台が多く増えました。でも、飴細工やくじ引きなんかは、昔からあるものでしょう?」
 彼にとって、キャラクターの印刷された袋に包まれる綿飴や、籤の景品となっている俳優の写真やゲーム機などは馴染みのないものであろうことを思いながら、屋台の方へ目をやる。春の年乞いの祭りとも違って、秋の祭りは収穫祭である。だから、これが終われば後は寒々とした冬へ向かうばかりだ。それも相まってか、人は多く居るにも拘らず秋祭りはどことなく物寂しさを感じさせる。
「祭りは賑やかだと思われますか。」
 辺りの喧騒に紛れつつも、決してかき消されることはない静かな声が耳を刺す。
「賑やかしくも怪しい雰囲気、ですね。祭りのあとは、かなり寂しくなりますが。」
 妖しい雰囲気、ですか。遠くを眺め間氏は呟く。彼の濁った瞳と白髪が、提灯の小さな灯りをいくつも抱えていた。先程と比べて周囲の闇が少し濃くなった分だけ、提灯の灯りの強さが増していた。
「貴方は──見世物小屋を知っていますか。」
 私は神妙な顔をして頷いた。見世物小屋。珍妙さや禍々しさを売りとして、非日常的な品や芸、動物や人間を見せる興行である。ただ、昔と違い身体障害者を晒し者にするような行為や動物を殺害するような芸は規制に向かい小屋も廃業に追い込まれ、今現在は数件あるかないかである。かくいう私も以前、父に連れられ一度ある神社で目にしたことがあるが、既におどろおどろしい雰囲気は薄れ、手品や歌、踊りといったもののみで、演者たちの異様に白い舞台化粧と入口の派手な看板は、滑稽さと珍妙さと廃れゆくものの物悲しさを秘めていたように思う。終わって人波に小屋を押し出されながら、父にちょっと不気味だったねと声をかけた。そうだな、と彼は私の顔を見て、苦笑いをしていた。
「父に一度、連れて行って貰ったことがあります。ただ、昔のようなものとはもう、違うのでしょうね」
 老人は少し首を傾け笑った。昔を知らない私が昔を口にするのが面白かったのだろうか。しかし、落語などでその話を聞いたりする。『六尺の大イタチ』との呼び込みを受けて入ってみれば、大きな六尺の板に血がついているだけなどといったものだ。そちらは、おどろおどろしいというよりも、インチキなネタという印象が強い。非日常的な品や芸、動物や人間を見せる興行と言いつつ、なかなかそれらを手に入れることも難しかったのだろう。
「今では色々と問題でしょうが、昔はまだ体に異常を持って生まれた方や、貧乏人の子供が売られてきた、といったことがありました。もっと昔や外国になると、健全な子供の手足を切り落として見世物にしたり、人間の解体を行っていたりしたとも言われています。全てがそうだというわけでもなく、嘘か本当かわかりませんが、そのような商売が成立するのは人間の好奇心が如何に強いかを感じさせます。」
「ええ。まあ今の時代それが禁止され、働かされていた人にとっては良い時代になったと言われていますが」
 そう返事を返しながらも、私もその好奇心の強いうちの一人である。聞きたいと思ったことは聞かずにいられないし、見たいと思ったことは見ずにはいられない。それが人間の本性である。しかし、晒し者にされる側はどうなのだろうか。彼等は自らの運命を嘆いただろうか。呪っただろうか。それとも──。
「矢張りそうなのでしょうかね。」
 ぽつりと呟きが帰ってきた。それから彼は続けた。
「きっと無理に晒し者にされ苦痛を感じていた方にとっては良かったのでしょう。でも同時に彼等が居た場までも、規制は奪いました。色々な場所は整然となり、雑多なものは消え失せた──私はあの人達には、もう逢えなくなってしまった。」
 老人は淋しそうに呟いた。そこには、私の知らない時代があった。
「枠に囚われることなく、自分がそれで良いと思う事を万人が出来たら良いのですがね。昔と比べて今は、便利ですが、不自由になりました。」
 これは私の勝手な印象ではあるが、間氏は規制や体制が好きではなさそうだった。人の生き方は個人が決めるもの。そう思っているきらいがある。彼の白色を含んだような、濁った瞳が私を覗き込む。と同時に背筋を何かが駆け抜けるような感覚に襲われる。私は少々、いや、大いに期待したのだ。皺のある、しかし精悍な顔が講談師のような、呪術師のような雰囲気を纏い。そして、彼の話が始まる。
「さぁて、此度もお聞きになりますか。老人の下らぬ昔話で御座います。」
 辺りの喧騒は薄れ、暴れる金魚も何もかも忘れ、私の意識はただ、彼の声一点に吸い込まれていった。
「見世物小屋と言えばこの間良哉には、忘れられないお人があります…」
 声に聞き入る内に、頭がうすぼんやりとしてだんだんと周囲の空気が朧になってくる。あたりの境界が朧になり、遠くから賑やかしい口上が聞こえてくるような気がした。

◇◇

 ……さあさあ、よってらっしゃい見てらっしゃい。御用もお急ぎもない方は、ずずずーっと中へお入りになって、ね。獣畜生から鬼子母神に至るまで、子を思わぬ親はないものを、四国の山中、先祖代々猟師にて、数多の獣を殺した罰か、かわいそうなはこの子でござい。親の因果が子に報い、生まれいでたるこの姿。顔はこんな美人さんで。ほら。だがまぁその胴体は、牛さながらの牛女。これは獣か人間か、はたまた件の末裔か。見るのは道楽。見らるるは因果。はい、どうかひと目ご覧になっていってやってください。哀れだと思って、頭の一つも撫でてやっておくんなさい。これも人の子、気味が悪いと目を逸らさずに、はいお代は見てから、お時間は取らせません。ほら奥様、かわいい子でしょう、哀れに思ってやってくださいね、初めから終わりまで、初めから終わりまでどうぞご覧ください。今なら一番前でご覧になれますよ。さぁさ中へ。ずずーっと中へどうぞ。
 ほらほら、むこうにいる兵隊さんが見えますか。敵を殺し味方を殺され、それでもアコーディオンを抱えて唄いますのは懐かしの唱歌や軍歌の数々。死んだ仲間の弔いに。そうそう、どうぞお入りください中へ。入り口はこちら。お代は見てから、見てからで結構です。見たところから見たところまで。インチキだったらお金はいらぬよ、見世物は見た所から見た所まで、中の人、もう少し詰めていただけますか。はい、
 ほらそこのお兄さん、迷うんだったら入りなさい。明日はもうここに見世物小屋がないかもしれない。ええ、どうぞ見ていってくださいまし……
 
 人によっては目を背け、ある親は幼い子供の手を引き足早に通り過ぎるであろう見世物小屋。くだらないもんだからやめろって、いやだ入りたい、そんなやり取りも聞こえる。当時も身体障害者を晒し者にするような行為や動物を殺害するような芸は規制に向かいつつあったが、その小屋は四十代程の女が客呼びの口上を、そんなことはお構い無しに述べている。
 良哉少年は、丁度友人たちと縁日をのぞきに来ていた。橙色の電球や提灯があちこちに並べられ、食べ物の匂いが少年たちの鼻腔をくすぐる。見世物小屋だって。入ろうか、いけないかな、怖いのか、そんなことはないよ、じゃ入ろう。怖気づいたかと思われるのが嫌な年頃の後期心旺盛な少年たちである。誰からともなく見世物小屋の入口へと歩き出した。
 小屋の中は大勢の人でいっぱいだった。高くなっている舞台と、地面。舞台から遠くなる後ろの方からでも見られるようにという配慮か、斜めになった台のようなものが誂えられている。舞台以外の場所はもう殆ど人で埋まっていて、大人が多いが自分たちのような子供も多く見受けられた。裸電球のいくつかぶら下がる照明の下、朱色に染まった小屋の壁。茣蓙の引いてある舞台の背景は赤いびろうどのカーテンと、ちらほらはみ出た小道具が見えた。熱気とぎらぎらした視線が辺りを満たしている。初めはおっかなびっくり周りを見渡し、舞台の上をちらちらと覗いていた少年たちもあっという間にその雰囲気に取り込まれた。観客が一体となって決して立派とは言えぬ、しかし紛う事なき舞台の上になにかが現れるのを今か今かと待っている。
 木製の小さな椅子が置かれ、松葉杖をつきながらアコーディオンを抱えた陸軍上等兵の風体をした男が現れた。彼が椅子に座れば、小さな拍手が観客からまばらに揚がる。彼の右足は木材だった。傷痍軍人の姿も珍しくなっていたのか、幾人かは息を呑む。
「えー、南方戦地から負けて帰って参りました。山田太郎でございます。」
 低く嗄れた声に続いて、アコーディオンの音が、初めは微かに、やがて大きく小屋へ流れ出す。良哉少年は、彼のかつては銃を握っていた手が奏でる音を聞いた。物悲しい曲調の調べだった。さほど若くもない軍装の男の喉から、低い調べが流れ出す。

モンテンルパの夜は更けて
つのる思いに やるせない
遠い故郷 しのびつつ
涙に曇る 月影に
優しい母の 夢を見る

きい、と椅子が音を建てた。一度指が鍵盤からはなれ、また異なる調べが流れ出す。

今日も暮れゆく 異国の丘に
友よ辛かろ 切なかろ
がまんだ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日もくる 春が来る

今日も昨日も 異国の丘に
思い雪空 陽がうすい
倒れちゃならない 祖国の土に
たどりつくまで その日まで

 歌の題名を述べるでもなく、演奏が終わればアコーディオンが余韻を残しながら閉じられる。子供達は皆、照明に照らされた茶色に光る彼の右足と、物悲しいメロディを神妙に見聞した。
 小屋の中は、舞台上のアコーディオンを弾く男の生み出す一つの空気に支配されている。突如、一転して軽快な音楽が流れ出した。舞台の横のカーテンが動き、上半身が裸の男が飛び出してくる。その男の胸からは、太い針金が突き出ていた。男は自分の手でその針金を掴み前後に動かす。横を向けば針金が男の背中から突き出て動いていた。一部からは悲鳴が上がった。手品だろうか。いや本物だよとの囁きが交わされる。
「さて皆様、お次はびっくり仰天、串刺し男でございまぁす。」
 やはり本物だろうか、と良哉の隣に居た友人が耳打ちをしてきた。わからないと小声で返し、舞台の上を見る。客席の熱気がぶり返し──渦を巻く。裸電球が小屋の隙間から僅かに吹き込む風に揺れ、人々の影までが踊り始める。針金だらけの串刺し男は、更にもう一本、鈍色に光る針金を手に持ち、それをずるずると飲み込んでいった。客席の一角から何度目かの悲鳴があがる。鼻からえずくように針金を引き出し、両端をくるり、と捻って、男は客席に笑顔を向けた。市松人形の目に似ている。良哉少年は唐突にそう思った。笑っている黒い、黒い瞳。彼は一礼して、跳ねながら舞台の裾へと消えていった。
「さて、串刺し男の演目はこれにて終わり、お次はめんこい牛女!見世物は見たところから見たところまで、お客さん、あんたずっといるでしょ、そろそろお帰んないさい、他のお客さまに迷惑だ、うちの一座に入るんならば、ずっといてくれたって良いけどねえ?」
 指を指された客は苦笑いを残し小屋から出ていく。舞台横の揺れるびろうどのカーテンから、ひょいと少女が顔を出した。
──目が、合った。
 ばちり、と音がするような瞬きを少女する。それから、つい、とカーテンから手を出した。四つん這いにでもなっているのか、床に。牛女って、四つん這いの女の子か、そのまんまじゃねえか、とヤジが飛んだ。
「ああほら、恥ずかしがり屋さんでねぇ、皆様ご覧くださいませ、この子の親は獣か人か、はたまた神か化物か……我々のように真っ直ぐ立てないで、生まれたときからほらこのように、名前を小桜、小桜太夫です!」
 ぺた、ぺたぺた。と少女は歩みを進めた。少女の全身が次第に顕になる。四つん這いで歩く紅い、短い着物のような服を着た娘。髪は黒く整えられており、肌は白く、唇には朱い紅がさしてある。しかし、その膝は、常人とは逆方向に曲がっていた。膝がつくような通常の四つん這いではない、膝が内側に折れて、まるで四本足の動物でもあるかのような──。
 それを理解した観客は、一度ばっと目を散らした。それから、視線は小屋中でいくつもいくつも絡み合い、やがてまた少女へと収縮した。おい、あれ、どうなってんだろ、との友人の声にも応えず、良哉少年はただ、ひたすらにその少女を見詰めていた。
 悪いところには、ひとではないものもいるのよ。怖いものがいっぱい。だから、危ないとこには近付いてはいけません──そう囁いた、母の声を思い出した。
 舞台の上で少女は動き、手鞠をついたり朱い着物の裾を振ってみせたりと可愛らしく動いている。人々は自分達とは異なるこの少女を、悼むように、憐れむように興味深げに眺める。その聴衆の声援や歓声はどことなくくぐもっていた。
──綺麗だ。
 少女は、そんな観客達を、小首を傾げて眺めていた。夏の夜のねっとりとした空気が更に粘度を増した。朱塗りの壁。裸電球。白粉のついた少女の顔。音質が良いとは言えない音楽。隣の男の脂汗の顔。灯の周りにひらひらと蛾が舞っている。
 ぱり、と少女が葉っぱを噛んだ。次に、蛇を首に巻き付け戯れ始める。細い蛇の真っ赤な舌が、少女の白い頬を舐める。少女の口が動き、蛇の頭を咥えた。観客から悲鳴が上がる。
 この子はとあるお人が持ってきたんですがねえ、山中で拾ったか、自分で生んだのか、産ませたのかは知らないが。化け物の子だと思って怖くてやってきたのか。嗚呼、かわいそうなはこの子でござぁい……ほら、このように蛇を咥えて……
 ぐるぐると世界が廻るような感覚の中で、真っ赤な口紅から覗く蛇の頭と、朱い着物に咲く桜の模様が目に残った。

   ◇

「それからの演目はあまり覚えておりません。鶏だか蛇を食い千切る芸やら、手品やらもあったでしょうか。ただ、ぼやっとした頭で押し出されるように外に出て、夜の暗闇に友人と共に慄いたのを覚えています。」
 あの頃は私も若かった。そう間老人は笑って言った。
「……逆関節、ですか。」
 恐らく左様でしょうね、と祭の喧騒から離れた一角で呟かれ、私はすっかり溶けてしまったかき氷を一気に流し込んだ。針金を自ら串刺しにする男。もはや今は無き傷痍軍人。生まれつき膝の関節が常人とは逆の方向に曲がる娘。成程。確かに少年の頃に見たなら尚更心に残るのではないか。
「私の祖父は私が小さい頃、見世物小屋に連れて行かれると大変だから、あんな所には行くんじゃない、とか、そんなに悪さをすると見世物に売り飛ばすぞなどと、冗談か本気かよく解らない話をしていました。」
 私の言葉によって、老いた灰色の瞳が一瞬鋭く細まった。私は瞬きをする。次の瞬間にはもう間老人は何時もの表情に戻っていた。
「……人さらいの印象もありますからね。貴女のお祖父様は、何時頃、どのようにお亡くなりになりましたか?」
 数年前の夏辺りに病気で亡くなりました。そう告げれば、そうですか。と老人は神妙に呟いた。それから余計なことを聞いてすまない、といった風に頭を下げ、この年になると人様の死が他人事とは思えなくて、と苦笑いを浮かべる。
「私もそのうち閻魔様からのおよびたてがありますからな。」
と微笑んだ。間氏の笑みは不思議である。呆れたような、軽く息を吐き出すような笑い方だ。微笑みでもなく、煩くもなく、表情は崩れるが、面白いと思っているのかも判らない。
「その、小桜さんが、忘れられない方なのですか?」
「いえ、小桜太夫……見世物小屋では演者を太夫と呼んでいましたが、小桜太夫とその一座の、それぞれです。」
 間氏は私の腕の金魚を見た。金魚はビニール袋の水面に口を出しては、ぱくぱくと開く、閉じる、を繰り返している。先程の勢いはもう無い。もう駄目でしょうね、と彼は慈しむような眼で金魚を眺めている。言われた通り、明日の朝にはもう生きてはいないかもしれないと考えた。祭りの金魚は大抵短命である。きちんと飼えば長生きするらしいが、なかなか難しい。
「……祭がある所から離れた一角は、闇が覆う静かな場所である事はもうご存知でしょう。私は見世物小屋を出たあと、もう一度少女を見たくなって、真夜中に小屋のあった場所へ向かいました……私の記憶の中の見世物小屋はね、裸電球の光と、端にあるびろうどのカーテンと茣蓙や筵の上にある小桜の着物、そんな橙のような朱色のような色をしているのですよ。」
 間老人はそう言って大きく息を吐いた。
「……貴方に以前、私の連絡先はお渡ししましたよね。」
「ええ。」
 私は財布の中から、彼に以前骨董市で出会った時に渡された名刺を取り出す。
「はざま、りょうやさん。」
 私がそうゆっくりと名を呼ぶと、彼は何が可笑しいのか、少し笑った。以前から思っていましたが、私の父と名前の漢字が同じです。と言えば、まぁ珍しい名でも無し、それはご縁があるのですね、と微笑まれた。
「何か──気になることがあれば、其処の電話にでもかけてください。……しかし、随分話し込んでしまいました。若いお嬢様のお時間を爺の与太話でこんなに頂戴してしまって、申し訳ございません。」
 丁寧に頭を下げられ慌てて否定したが、言われれば辺りはもうだいぶ暗くなっている。屋台の光は更に強烈に輝いては居るが、人通りは子供の姿が減り、大人や帰宅途中と見受けられる人も増えていた。
「いえ、毎度、間さんのお話をお伺いするのは私には楽しみで、今回も気になります。間さんが何をご覧になってきたのか。」
「おや、そう言ってくださると話す甲斐もあると言うものですが、残念な事に──」
 老人は一旦目を伏せ、それから屋台の方に向き直る。
「彼等の興行はこの町で終わりました。」
静かな声が辺りを打った。夜風の冷たさにふと腕を組む。紅い提灯の灯りが、私と間老人の影を揺らめかせながら照らし出していた。この語り部の翁の目元は、帽子の陰になっていて影が濃く、上手く覗けない。私は、何者と話をしているのだろうか。ぼやけかけている遠くの提灯を眺めながら、ふとそう思った。
「あまり気分の良い話とも言えないのですが──実は、見世物小屋の人達との出逢いや思い出、そして別れの記された手記がありまして、」
 宜しければ、お持ちしましょうか。知っていただければ、彼らも喜ぶと思います。
 私は──何かに促されるように、首を縦に振った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み