人の見ている世界というのは、結局のところわからない(語り手:堀沼慎一)

文字数 2,361文字

 突然だけど、僕の見ている風景は、どうやら『色』がおかしいらしい。色弱の、所謂P型とか、1型とかいうやつだ。赤色を感じる細胞が無いだか、なんだか。詳しい事は良くわからないが(自分のことなのに)、どうやら僕の見ている世界は、健常者と言われる人たちにとっては「味気ない」ものらしい。視覚の話なのに味覚の「味」が使われるのはなんだか不思議だ。味と言えば、僕の両親は『いろは食堂』と言う飲食店を経営している。彩りがどうこう、とぼやく両親が幼少期は理解できず、料理の色なんてどれも一緒じゃないかと言って彼等を怒らせたものだった。だが、赤いパプリカと黄色いパプリカとピーマンとの色に、対して違いはないと言う僕の言葉に、流石におかしいと思ったのだろう、医者へと連れて行かれた。 
 色覚異常のせい、と言うべきか、生来の性格と言うべきか、変わり者だった僕にはなかなか友達というものはできなかったが、その代わりに本を読むのは好きだった。文字は白黒で、写真なんかよりもよっぽど僕に情報を伝えてくれる。僕が見ることが出来ない「色」、例えばりんごは「赤」夕焼けは「オレンジ」、空は「青」。みたいに。その色に従ったクレヨンや色鉛筆の文字を選べば、僕は周りの人を失望させることは無いのだ。そう思うと、少し絵を描くのが楽になった。
 蓮ちゃんは6つ下の僕の従姉妹で、小さい頃はおじさんとよくうちの食堂に来ていた。絵を描く僕を見て、おじさんは褒めてくれて、高そうな色鉛筆をくれた。僕は喜んだが、開けてみてすぐ困ってしまった。その色鉛筆は、色の部分に何やら数字が書いてあるのだ。固まった僕を心配してか、蓮ちゃんとおじさんが目を合わせる。色の文字の話をおじさんにすると、彼は眉を寄せたあと、こう言った、
──見えるままに書けばいいよ、世界なんて人それぞれなんだから。
 それから、色鉛筆の蓋を締め、代わりにスケッチブックと、木炭を寄越した。まだ小学校の低学年だった僕に、それは凄く大人びて見えるものだったから驚いた。白黒の陰影で物事を写し取る、それは、僕の見えている世界を表すのに、少なくとも色鉛筆よりは自由だった。すごい!僕はそう思っておじさんに感謝した。彼はうちの両親と違って、商社のサラリーマンで多忙なようだったが、偶に親戚の集まりで話すと、なかなか面白く変わり者の僕にも優しかった。おじさんは偏見がなくていいねと言えば、歴史や文化を学ぶと、正しいものや変わったものなんてのは、時代時代で移り変わるんだって事がわかるんだよ、と笑った。それ以来、僕はデッサンと歴史学、民俗学の勉強を始めたのであった。と、そんなおじさんに育てられたものだから、蓮ちゃんも割と風変わりな女の子になった。オカルト話や文学論などを学びながら、仲良く遊ぶには丁度良い従姉妹なのだ。
 何の話をしようとしていたのだっけ。僕はすぐこうやって話があちこちに行ってしまうのだ。直したいものだが難しそうだ。あ、そうそう、たいてい「これはこういうものなんだ」って思い込んでるときは、それは間違いで、結局他人の世界はわからないけど、わかろうとする気持ちとか、寄り添おうとする姿勢とかは大事だよね、っていう話。
 そう、それで気になったのが、「さんさん」と呼ばれてるおじいちゃんのことだ。鋭い眼光、真面目そうな顔立ち、露天商。しつこい僕を軽くあしらいながら、なんだかんだ可愛がってくれる謎の老人。
 最近はこの辺りの怪談大好き民達の間で、枯れた老人の影が現れるなんて怪談が流行っているらしい。その話を面白半分で間さんにすると、初めはいつもの仏頂面で聞いていた彼がやがて首を傾げ、その老人の風体などを詳しく聞いてきた(この辺の事件や詳細については、また別の話で詳しく語ろう。)それから、まぁ出鱈目な話だろうと煙を吐き出して、笑った。
「そういや、今更なんだがあんた──煙草はイケる口かい?」
 彼はそう言って、煙草を一本差し出した。ピース。甘い味わいだったように思うので、彼が吸うのには少し違和感があった。Winstonとか、ああいう銘柄を戦後の人は嗜むイメージがあったから。
「Winstonとか、ゴールデンバットじゃないんですね」
「……バットも偶に吸いたくはなるが、これはなんか、昔世話になった人がね。まぁ、シケモク拾ってた頃とは随分、色々変わったが…」
 

。所謂吸殻集め。戦災孤児がやっていたやつ、とさんさんは笑いながら言った。
「見つからねぇように、足でちょいちょい蹴飛ばしながら歩くんだよ、ケチくせえが楽しかったぜ」
 ありがたく一本を貰い口に咥える。実は初めてだった。マッチを貰い火を近づけるが、火が点かない。彼は一瞬目を丸くしたあと、咥え口が逆だぜ、あと、吸いながら点けてみな。と肩を震わせながらそう言った。赤面しながら言われたとおりにする。噎せた。なんでこんなテンプレみたいな事を僕はやってるんだと思いながら、恥ずかし過ぎて下を向く。
「……煙草の煙のことを、紫煙、って言うだろ。俺にも別に紫には見えねえんだよな。」
 俺にも、というのは僕の色盲の話を覚えていたからなのだろうか。僕は煙や香を炊くのは弔いみたいだと思う。そんな事を言えば、彼は目を細めた。
「弔いねぇ……俺は、恨みを吐き出してんだよ」
 私怨だな、と彼は呟いた。面白くもない冗談を偶に彼は口にする。そんなに、恨みつらみがあるのですかと聞くと、彼は口元だけで笑った。
「俺ぁな、執念深い質なんだ。」
 そうなのだろうか、と思う。僕から見て彼は、割り切る所は割り切っているように見えるのだが。
 それでも、たぶん。
 僕がもだもだ抱えているこの気持ちがなんだかわからないように、彼にも色々思うところがあるのだろう、なんてことを、目に染みる煙と共に思った。





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