謎解き、成らず (秋元蓮)

文字数 4,084文字


私は、とりあえず間さんのことは慎一さんに任せて、彼の言っていた「三太郎さんと小桜さんの墓」がある慈庵寺についた。
古そうな寺だった。いつからあるのだろう。入口に入り、砂利の敷き詰められたところから伸びる石の階段を数段上がると、墓石がいくつか見えた。曇りガラスの建物がある。事務所らしきところだろうか、そして本堂。
人は居るのか。辺りを見回してみる。竹箒の音がして、私はそちらに歩を進める。矍鑠とした老僧が、竹箒を片手に水桶を持っていた。水桶を置き、足音で気がついたのだろうか、こちらを向いた。次の瞬間、彼の目は見開かれた。
「……お前。」
険しい顔の僧侶は、私を見るなり顔を顰めた。何かしただろうか。檀家以外は入ってはならないと言う決まりでもあったのだろうか。
視線の強さに面食らい、私はおずおずと声をかける。
「……あの、すみません、間さん……という方に、ここに父の知り合いのお墓があると、伺って来たのですが、入ってしまって大丈夫でしたか?」
僧侶は、二、三度瞬きをした。それから小さく何かを呟く。やがて唇を笑みの形にして頭を下げた。
「申し訳ありません、人違いをしておりました……何方から、何方の墓が此処にあると?」
「間良哉さん……と名乗った方からなのですが、多分それは本当のお名前ではなくて、」
ここまで言ってから、随分と変な事を口にしていると自分でも思った。しかし、どうすることもできないのだ。
「三太郎さんと小桜さんという方の、お墓なのですが……」
僧侶は僅かに右上を見た。
「失礼ですが、お名前をお伺いしても宜しいですかな。」
厳かにそう告げられ、私は思わず背筋を正した。辺りは土と草の匂いに満ちている。
「秋元、蓮と言います。」
「……ああ、左様でございますか……」
彼の、私を見る目には既視感があった。父と同じだ。何処となく、憐れむような、怯えるような瞳。この僧侶も、何か知っている。私は父のノートを鞄から取り出し、それを突きつけるようにして続けた。
「ご存知ですか?私は、秋元良哉の娘です、三太郎さんと小桜さんのお話は、父の手記から知ったんです。それを私に渡してくれた人は、多分……」
「落ち着いてください。」
僧衣から、意外と確りとした掌がこちらに向けられた。その声に打たれたように、私は動きを止め、深呼吸をして、失礼しましたと頭を下げた。
「貴方が──どれに逢うたのか、私にはわかりませなんだ。だが。どれかに、若しくは貴方も──手記とやらは、貴方の御父上が、会田興行の三太郎と、小桜について書いたものなのですか。」
私は、黙って頷く。この人も不思議な雰囲気がある。間さんに似た……いや、間さんがこの人に似ているのか?それとも、似せていたのか。
「……お坊様は、ご存知ですか。」
「小桜の足を、あれはあの、桜の下に埋めに来ました。……そうですね、彼らの墓は──此処には有りますが」
迷うように、言葉を選び出すように、老僧は数言口を開き、噤む。
「しかし──その、冊子を読ませては戴けませぬか。」
私は頷いて渡した。立ち話も何でしょうと言われ、本堂の廊下──縁側のようなところに招かれる。座布団を出され、おずおずとそこに腰掛けた。
「……お茶でもお持ちしましょう。お時間は大丈夫でしょうか。」
お構いなく、と慌てて首を振るが、僧侶は奥の方へと消えた。妙なことに巻き込まれたものだと我ながら思う。しかし、だからこそ。この謎は解きたい。でないと、父にも何を言えば良いのかわからないままだ。慎一さんは間さんを探してみると言っていたけれども、そう簡単に行くだろうか……。
「どうぞ。」
いつの間にか現れた僧侶が、湯呑に淹れられた煎茶を出してくる。落雁か、干菓子も懐紙の上に乗せられている。盆の上の煎茶と菓子を眺めながら礼を言う。和三盆だろうか。甘く上品な味がした。いや、食べている場合ではない、我に返り僧侶に向き直る。
「………あの、二冊目で、最後の方に父が彼らに向けた手紙があって、その人達を探したいなと……」
無言でこちらを見詰める視線に、思わず言葉が尻すぼみになりながらノートを渡す。
「若い頃の顔というのは、まだその人そのものの味が出きっていないという事もありますが──貴方は本当に似ているのです。ある人に。」
彼はそう言いながらノートを手に取った。袈裟から、線香のにおいがした。白檀だろうか。伽羅?紫檀?私は香道については詳しくは無いのでわからなかったが、上品な香りだった。
「小桜さん、ですか?」
私は尋ねる。
「いいえ──寧ろそのもと、いえ、大元に。」
違うのか。どういうことなのだろう。彼は最後の方のページをぱらぱらと捲っていたが、やがて手を止めた。そして、無言で読み進めていく。
みし、と音がした。僧侶がノートごと、拳をきつく握りしめたのだ。皺が寄ったノートを慌てて彼はなぞった。
「……失礼致しました。申し訳ない。これは、貴方の御父上が書かれたのですね。そして、これを貴方に渡した者が居ると。」
「はい、そして、三太郎さんと小桜さんのお墓が此処にあると──」
「……ええ…そうですね、墓は。」
僧侶は、黙って私にノートを返してきた。廊下に腰掛けて見える庭には、桜のような大樹がある。
なんとなく、妙な雰囲気だった。嫌な気はしないが。黙りこくっている僧侶に私は声をかけた。
「……あの、私はそのノートを私にくれた方が三太郎さんなのではないかと思ったのですが」
正しくは従兄弟がそう思ったのだが。僧侶は眉根を寄せ続けている。
「やはり父には会いたくないのから嘘を吐かれたと思っていたのですが──お墓があるものならそれは勘違いですね」
暫くの静寂があたりに訪れた。風と呼ぶには緩やかな空気の流れが庭から肌を撫でる。ふと思った。この僧侶が何歳かはわからないが三太郎さんの事を知っているとなると結構な高齢のはずだ。そこまで年寄りには見えない。同年代なのだろうか。しかし、彼は先ほど三太郎さんと小桜さんの事を呼び捨てにした。
「……貴方が何者か、此方は知らぬのですが、私はあれらを知っている──上での話をします」
私は静かに頷く。
「彼奴は貴方達が大切なのですよ。色々、間違えてしまっているけれども。」
そう口にした僧侶の笑みは、何故だかどこか悲しそうに見えた。
それ以上は、彼は微笑むばかりで答えようとはしなかった。庭の木々が土の上に影を落とし、ただゆらゆらと揺れていた。風は、今日はそんなに強くない筈なのに。
「全ては虚しいと、言うてしまうのは簡単なのですがね。貴方はまだお若い。悔いてもよいですが、何卒──お幸せに過ごされますように。」
深い一礼に見送られて、門を出る。今度、慎一さんにも行ってもらおうかと思った。あの人は何かを知っている。でもそれは、私には教えてもらえなさそうだった。


祖父の家にはしばらく行けていなかった。父が幼い頃住んでいたという、浅草の浅草寺から少し離れたところにある、古いある程度大きな家。彼はここから、公園の方や四区の方へ通っていたのだろうか。
何となく、ノートを追体験というほどではないにせよ、父の残したものなどがあるのではないかと思い、秋元家に向かった。父にはまだ──何も言えていない。何を伝えればいいのか分からない。
片付けはほぼ済んでいたようで、これといったものは残っていなかった。父も入院し祖父も亡くなり、私達も引っ越した今、この家は売りに出すという。なんとなく、知っていた場所が更地になってしまったり、新しい人が住んだりというのは寂しいと思いながらも、少し家の中を歩く。懐かしい。この家もなくなってしまうのだろうか。更地になり、マンションが建つのだろうか。祖父の家は、墨と線香と古い紙の香りがする。昔の家の香りだ。慎さんも行くというので連れてきたが、家探しするでもなく私に附いて回るだけだ。最近彼は少し様子が変だ。間さんは何も教えてくれなかったし、詮索はしない方がよさそうだったよ、そんな風にはぐらかしたが、絶対に彼は何か知っている。
「慎さん、大人しいね。間さんに何を言われたの?」
「とりあえず、君に危害を加えたりはしなさそうだよ、でも、やっぱりちょっとおかしいよ、あの人」
 結局捜索は無駄足に終わった。最後に家の外観だけでも見ておこうと、建物の脇を通り裏庭へ向かう。
急に、慎さんが駆け出した。
庭の一角に、掘り返された跡がある。黒々とした大きな穴。
「………何、これ…?」
かなり深い。大きな甕が穴の中にあり、割られている。破片は穴の底に散らばっている。そう、丁度、人一人が入れそうな大きさの瓶。
──人、一人。
何が、いや、誰が埋まっていたのだろう。私たちはその穴の上で顔を見合わせた。
よく見ると中には、着物のような布が敷き詰められている。白い粉。灰のような。骨だろうか。おそるおそる、その着物を指先で掴んで持ち上げてみる。梅の模様の着物だった。ぱさりと音がして、黒い何かが滑り落ちた。
人の髪の毛。一束だった。
「……っ⁉」
私は着物を取り落とす。
──お祖父ちゃん、あのお庭の石はなに?
──ああ、あれはね……飼っていた猫が、死んだ墓だよ。
そんな会話をしたことを思い出した。
「これ、猫の墓って言っていた」
「……ここに居たんじゃないかな、小桜さん。そして、間さんーー三太郎さん、これを取り返そうとしてたんじゃないかな。」
だとしても。取り返して、それで何になるのだというのだろうか。そんな私の思いを見透かすように、慎さんは言った。
「人っていうのは、どうにもならないと思っていても、何かに縋りたくなる時っていうのがあるんだよ」
 暗い虚ろの穴に背を向け、僕もそのお寺に行ってみるから、蓮ちゃんはもう帰ってて。慎一さんはそう言った。私も行く、というと君じゃ駄目なこともある、そう彼は跳ねのけた。何かを恐れているように見えた。
「それと、ごめん、その着物、何色かわかる?」
私は、穴の底をもう一度確認する。父の手記が思い出された。地中で劣化しているが、それは確かに赤色だった。
一人で行かせて良かったのか、そう思いながら私は、慎さんの後姿を見送った。
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