第1話 異能の屑#1

文字数 4,991文字

 二千四十年。日本全国には何時の頃からか、異能を抱えた人間が蔓延(はびこ)っていた。
 一口に異能と云っても、体質を根本から変化させる、或る一部の身体能力を飛躍的に上昇させる、何等かのエネルギーを作りだす等、其の内容は様々で、其の能力の全容を掴み取る事は難しい。とは云うものの、それらを簡単に云えば、此れまで当たり前とされてきたマジョリティイメージである人間を通常(ノーマル)とする、其の枠組みから外れた者たち。人間である身体を持ちながら、生まれつき人ならざる能力を持ち得た者たちの事を、何時しか人は『異能』と呼び始めた。
 此の現象について権威ある学者たちは、大気汚染や化学汚染、食文化による突然変異説を唱えたし、又、胡散臭い宗教家は、ついに人類に対する神々の罰が始まっただの、オカルトマニア界隈では地球外生物の拉致誘拐(アブダクション)による遺伝子改造だの、其々の分野が其々の分野で答えの無い答えをこねくり回して、此処が稼ぎ時だと云わんばかりに飯のタネを(こしら)えていた。
 望む望まないに関わらず異能を抱えた人間は、あらゆる所に居た。エリート企業にも居たし、平凡な学校にも居た。そして異能を抱えた彼らは、生まれた時からある選択を強いられる事になる。其れは生まれ持った異能を社会に発揮して生きていくか、ひた隠しにして生きていくかだ。そして、其の選択をする際の指標となるのが、本人の異能力の種類だった。
 自身の

異能力が社会的に価値があるもの、逆に無価値なもの、又、美しいもの、逆に醜悪なもの、と云った、社会の価値基準にそぐわないかどうかで、彼らの其の後の人生への姿勢(スタンス)が変わるのである。異能を持ったとしても幸運であるか不幸であるかは人によるのだ。
 そして、そんな異能を持った人間たちの中で(ジャンクス)と呼ばれる者たちが居た。
 彼らは生まれつき異能を持ちながら、其の能力を自己の欲望のみに使い、時には他者を蹴落とす。人が人である為の唯一の基準、理性(リーズン)がぶっ壊れてしまった人間たち。人格が破綻してしまった者も少なくない、彼らのような人間は、当然のように表舞台で生きていく事は叶わず、必然的に日陰に身を(ひそ)めていく。闇に身を堕としていく。太陽が落ちた後の裏社会が彼らの住処となる事は或る意味必然だった。


 異能都市大阪。大阪の事を人はこう呼ぶが、此れは好意的な呼称ではなく蔑称である。
 警察庁の報告によると、大阪は異能持ちによる犯罪件数が過去数十年間に渡って全国一位であり、道を歩けば異能に肩がぶつかり命がなくなると云う。此れは流石に言い過ぎであるが、異能持ちの大半が非道外道の類、泣く子も黙る魔都大阪、とは語られる内容の半分がデマで半分は真実である。
「コラ、佐吉(サキチ)
 小さな鉄板焼屋の、客も(まば)らな店内。カウンターの鉄板の上でお好み焼きを焼いている店の主人が、眼の前で焼きそばにがっつく男に声を掛けた。だが佐吉と呼ばれた其の男は、まるで主人の声が一切聞こえないとでも云うように、ただひたすらに焼きそばを食べるという行為を続けている。灰色のパーカーのフードで頭を(おお)っている為、髪型はおろか表情さえも分からない。が、握り箸で食っている様を見れば容易に育ちが知れるのであった。
「コラ!聞け、クソガキが」
 丸刈りに無精髭(ぶしょうひげ)を蓄えた主人がもう一度大声を出すと、佐吉は(ようや)く顔を上げ主人を見た。其れでも焼きそばを大量に含んだ口は動く事を止めず、両頬はリスのようにぷっくらと膨らんでいる。
「なんやねん」
「突然来て、一生懸命焼きそば食うのはエエんやけどな。お前、また(たつみ)怒らせたやろ。」
 サキチは引っ切り無しに口を動かしながら主人を見ている。
「…… ……」
「なんか云わんかい」
「巽って誰や」
「ちぇっ。誰ややあれへんで、ほんま。巽商会やないかい。お前がまた、薬の買い手が見つかったなんて適当なコト云うから、巽のオッサンぶち切れてンのやで」
「ああ。ブルドック(巽のオッサン)な。ちゃんと、ブルドックってゆうてくれな分からへんやん。ええねん、あいつは俺等に不義理したからな。」
 佐吉は本当に何でもない、と云った表情で言葉を返して、フードを脱いで頭を出した。出てきたのはくりくりと少しクセッ毛のある黒髪で、全体としてはまあるく整えられている。まだ十代後半と云った幼さの残る、やんちゃそうな少年の顔だった。
「いや、其れはそうやけどな。せやけど、巽商会を怒らせるのは、かなり不味いで」
「何が不味いねん」
「今までは、一応、お前の事も使える奴やと思て、大目に見てくれた所もあるんや。だけれど今回の件はもう、奴の堪忍袋の緒が切れたちうやっちゃ。今は一生懸命、お前の事探してるゆうて聞いてるで」
「アハ。おもろいやん。勝手に怒らせとけばええんじゃ、あんなブルドック。ええか、オッチャン、あの巽の野郎なんかな、何も怖い事あらへん。所詮、く・ち・だ・け。いっつも部下になんやかやと指図ばっかりして、自分一人では何も出来ひん奴なんやから。ウン。一年くらい腐れ縁で付き合い続けてた俺が云うんやから間違いない」
 口の中一杯に詰め込んでいた焼きそばを徐々に徐々にと減らしながら、佐吉が楽し気に云う。其れから口に箸を咥えながら、身を乗り出して奥にあったポットを掴み、コップに水を注いだ。
「ええか、オッチャン。あいつのおもろい話、色々あんねんで。此の前の夜なんかな、泉佐野の山ン中で待ち合わせしたんやけどな。あいつ、あんなブルドックみたいな顔してる癖に、幽霊が怖いんやって。しかも、それだけやったらまだしも、近くの小川やら田んぼやらから聞こえるカエルの声も気持ちが悪いとか抜かしやがるの。」
 佐吉は自分の話に夢中になりながら、コップの水をごくりと一気に飲み干した。其れから直ぐにまた、ポッドから空になったコップにぎりぎりまで水を汲む。
 主人はそんな佐吉の話に呆れながらも黙って聞いていた。
 其の時、店のスライド式のドアが開く音が聞こえたので、主人は入口の方に目をやった。
「… …!」
「なぁ、オッチャン。ブルドックがカエルを怖いってゆうてるねんで?其れってどんな冗談や?落語かっての。俺からしたら、怖がってるお前の顔の方がよっぽど怖いっちゅーねん」
「… …お、おい」
「とにかくな、アイツは吃驚(びっくり)するくらい肝ッ玉が小さいねん。あんなアホ、一人で何も出来へんわ、ほんま」
「おい、佐吉!!」
 其の普段ではありえない主人の声に、佐吉の眼も醒めたかと云わんばかり。目覚まし時計が突如反応するかのように、主人の方に顔を向けた。
「へ?どないしたん… …」
 云い終わらない内に、カウンターに座った佐吉の脇腹から大男が渾身のタックルをぶちかました。
「… …ごふッ」
 力も込めていない脇腹に、全力のタックルによる衝撃。軟体していた筋肉は、全くもって保護としての機能を果たさず、其の衝撃は直接内臓にまで届いた。
「… …ゲ、ゲェーッ」
 佐吉の身体は低い儘、椅子から振り子のように引き離され、店の奥の壁にしこたま全身をぶつけた。周辺にあったテーブルの上にある調味料やメニュー、並んでいた丸椅子が躍るように辺りに弾け飛んだ。店内に居た数人の客は、混乱しながらも蜘蛛の子を散らしたように店から逃げ出した。
 床に倒れ込んだ佐吉はあまりの激痛に身をもんどりうつ。其の強烈な痛みに声も上げられない。かすれた息と共に、切れた口の中から唾液と血液がだらりと床に落ちた。
 痛みの中、佐吉は震えながら正面へ目を上げると、其処には熊のように大柄なスーツの男が無言で佐吉を見下ろしていた。
「… ……。… …此れは此れは、巽のオッサンやないかい。… …ど、どないしたん。こ、こんな所まで」
 口元を唾液と血で染めながら、床に肩肘ついて佐吉が軽口を云う。店の主人は突然目の前で始まった暴力に脳の処理能力がついて行かず、只呆然と見守るしかなかった。
「最後に、なんか云う事コトあるか?」
 巽と呼ばれた角刈りの男は、無表情を変えずに佐吉に云った。
「… …カハッ。…… …云うコトて、なんや… …」
「…… …… ……」
「… …あ。…イッコ、あったわ。アンタに云いたいコト。」
「…… ……」
「… …性的趣向って奴は、個人の勝手やろけどな。せやけど、会社の若い衆の手を握ったり揉んだり舐めたりするンは、今のご時世、訴えられるコトもあるから、気ィつけた方がええで」
「サキチッ!!」
 この期に及んで此奴は一体何を云い出すのかと、店の主人は思わず我を忘れて佐吉を咎めるように大声を上げた。だが時既に遅し。巽は其の大柄の巨体から伸びている右腕を真上に振り上げており、上空でコレマタ大きな拳骨を力の限り(こしら)えていた。其の爆弾が、今にも佐吉の顔面に振り下ろされようとしている。
「此処で殺す」
 主人は、心の中でひいと悲鳴を上げた。自分の店で殺人事件が起きるなんてコトは本当に止めてほしかった。そんな店には金輪際もう誰も見向きもしてくれなくなるだろう。
 拳骨が佐吉目掛けて力の限り振り下ろされる。落ちてくる砲丸投げの球のような拳を、佐吉が頭をなんとか左に動かすと、耳の横を風切る音が通り抜けた。直後、爆発するかのような衝撃音が頭の後で響き渡る。佐吉は床に大穴でも開いたのかと思った。
「… …ッぶねェー」
 なんとか巽の一撃を避けたコトで安堵したのも束の間、巽の拳と床の間に小さなネックレスが挟まっているコトに気が付いた。佐吉のネックレスだ。巽の馬鹿力から繰り出される拳によって、片方のチェーンが無残にも千切れてしまい、繋がっていた真ん中の丸い銀細工が何処かに飛んで無くなっていた。
「あ。やっべー… …」
 佐吉がネックレスに気をとられた瞬間、佐吉の胸倉を掴んで巽は立ち上がった。
 片手で持ち上げられた168センチほどの佐吉の身体が宙に浮かぶ。
「…く、クッソ!離せや、此のブルドック野郎ッ!」
「クソムカついて、危うく殺すところやった。とりあえず、貴様は事務所に連れて帰る」
 佐吉は力の限り身体をばたばたと動かすが、比較的細身の身体では巽の大柄な身体はびくともしない。巽は暴れる子供等お構いなしに、佐吉の身体を引きずっていく。なんとか抵抗している身体を持って行かれようとした時、佐吉が必死で主人に叫んだ。
「お、おっちゃんッ!店、店の中で、何かッ。丸い、月みたいなモン、ないか?!」
「は?!ま、まるい月?」
「せや。丸いモンや。なんかあるやろ。はよ!」
 巽は最後の悪あがきをしている非力なガキのコト等、物の数にも要れていない様子。無言で佐吉を掴んで玄関の方へ足を進めている。佐吉の踏ん張る足は、身長(タッパ)が足りない所為で()っとも力が()もらない。
「そ、そうやなぁ… ……。あの、上に掛かってる時計とか、どや?一応黄色やし。真ん丸お月さんみたいとちゃうか?」
 主人が恐る恐る、店の真ん中に位置する、もう彼是二十年前くらいに購入したと思われるしがない部屋時計を指さした。確かに黄色くて丸い形をしている。長年掃除もされない儘飾られている所為で、外観は油でどろどろだ。
「……ッ。… ……おお。そう云われてみれば、丸くて黄色く見えなくも… …ない… ……」
 --ドックン--
 がうっ、と唐突に聞こえた、到底人の声とは思えないまるで獣のような声に、巽と主人はびくっと息を呑んだ。巽の足がぴたりと止まる。
「…なんの声や」
 と言葉に出した瞬間から気がつく。
 今自分が掴んでいる、佐吉。今しがた聞こえた声は、明らかにコイツが発したのだと確信した。何故なら、佐吉の身体が細かく震えながら、奇妙な変態を遂げようとしていたからだ。
「…ちっ。(ジャンクス)が。」
 パーカーに覆われた部分は分からないものの、手の甲、上胸から首、そして、顔。おそらく、全身のあらゆる体毛が、嵐のように波打ちものすごい速度で白い肌を覆い尽くしていく。やがて、真っ黒い体毛が身体を覆いきると同時に、鋭く長い爪が生え揃った両手が、胸倉にある巽の太い腕を掴んだ。
「…ロロォオオオ… …」
 巽はここまで近くで佐吉の顔面を見るのは初めてだった。何故なら、此の顔をした佐吉を見た人間は、漏れなく命を落とすからだ。
「… …くっ」
 巽の太い腕に、佐吉の両手の指が食い込む。
 巽を見上げている佐吉の顔は、既に人間の物ではなかった。狼のように飛び出た鼻と大きな口。涎が、溢れる口の中には、狂暴な鋭い牙が並んでいた。
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登場人物紹介

■氏名:相馬佐吉(そうま さきち)

■年齢:19歳

■異能:人狼

■性格:短気

■其他:満月を見て変身する。満月っぽいモノでも可。

■氏名:崖ヶ原 磔三(がけがはら たくぞう)

■年齢:22歳

■異能:毒血

■性格:冷静沈着

■其他:知人にカスタムされた通称『銃もどき』に血液を装填して銃撃する。

■氏名:浅田 百舌鳥(あさだ もず)

■年齢:31歳

■異能:外被鋼鉄化

■性格:マイペース

■其他:あだ名は鋼鉄(テツ)

■氏名:浅川 ヒス(あさかわ ひす)

■年齢:?

■異能:不老長寿

■性格:狡猾

■其他:苗字と顔がよく変わる。

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