第16話 騒音男と人狼#2
文字数 3,488文字
「どうや?結構、ワルないやろ?」
雑居ビルは計四階まである。一、二階は店舗やスナック等で犇 めき合い、3階からが住居だった。入口から少し行くと二階に上る階段がある。二階はスナックのフロアであり、幾つかの寂れたスナックが今も現役で経営している。かつて全盛期だった頃の思い出を残すかのように、二階への階段の脇には各スナックの名前一覧がかつての色使い 、下世話な主張とド派手な色彩で飾られているが、今となっては其処彼処 に襤褸 が出て埃に塗 れており、時代遅れの哀愁を漂わせていた。
三階より上層の住居エリアに行くには、二階の廊下を少し歩き、更に奥まったところにある薄暗い階段を上る必要がある。二階でさえも既に管理が行き届いていないのか、全体的に薄暗い印象を与えており、三階への階段に至っては管理事務所の手等期待できないと、住民が勝手に設置した裸電球が無造作にぶら下がり、薄暗い階段をちらちらと照らすのみであった。
そんな利便性とは程遠い大昔に建てられたビルであるから、態々 こんなところに侵入したいと思う輩も殆どおらず、他人が此の住居フロアに来るコトも殆ど無かった。そういう意味で、比呉が云った此のビルは安全だと云う主張は強 ち間違いでは無い。
比呉 の住居は三階にある。屋上へ行くには二階分の階段を上る必要があるが、其の所為で、昨日の戦闘で疲労した磔三 の足に更に幾分かの負荷を強 いるコトとなった。だから『どうや、結構ワルないやろ?』と云う比呉の言葉でさえも、磔三にとっては単に煩わしいとしか思えなかった。だが、そんな比呉の言葉をぼんやりと聞きながら、屋上へのドアを跨 ぐと。
其処には広々とした屋上が広がっていた。比呉が云っていたように、屋上の外周には、室外機やら貯水タンクがぐるりと取り囲むように設置されており、街の景色等は拝むコトが出来ない。だが、中央部分はそれなりの広さを確保しており、其処から空をみれば大きな青空が広がっているのだった。周りに建つビルも背の高さは此処と大して変わりが無い為、付近のビルの眼も気にする必要も無い。磔三は一瞬、其の光景に心を奪われ無言となった。比呉が煙草を吹かしながらくるりと此方を向いて後ろ歩きになると、磔三は其の視線に気づき返事をした。
「…… …あ、ああ。確かに、良い所ですね。」
「せやろ。」
比呉がまるで、自身のコトを褒められたかのように、誇らしげに笑みを浮かべる。磔三自身、其の言葉に偽りは無かった。忙 しない外界からの喧騒を遠くに聞きながら、何処か其の雑踏から切り離されたような穏やかな空間。街中に存在する、誰しもが一度は感じたコトがあるような静かで居心地の良い空間を、磔三は此の場所に感じて居た。
広場の中央には細長い灰皿が置かれており、其の周りには瓶ビールケースや襤褸々々 の事務ソファ等が統一感無く置かれている。比呉は瓶ビールケースの一つに腰を下ろし、磔三に向かって手招きをした。
「其処、座って下さい。客人用っす。」
そう云いながら、指し示すのは事務ソファだった。風雨に晒され、既に其処彼処は破れ生地は薄くなって居るが、一応は黒革である。磔三は小さく頷き、ソファに腰を下ろすと、ソファの懐は思いの外深く、命一杯身体を沈ませてしまう。自然と見上げる恰好となった磔三の顔、眼の中に真っ青な空が広がった。
「最高っしょ。」
比呉が磔三の様子を見ながら云った。磔三は比呉の顔を見た後、表情を緩ませ眼を瞑った。
「…… …確かに、此れは
「…… … …… … …」
少しの間があった。返事の無さに磔三が眼を開けると、比呉が眼を真ん丸くしながら此方を見ている。
「…… …… …どうしたんですか?」
「…… …否 。なんつーか、磔三さん、物腰も言葉遣いも丁寧やから、『ヤバい』なんて云うのが、予想外で。」
「なんですか、其れ。そりゃ、云うでしょう。ヤバいくらい。」
「マァ、そうなんスけどね。」
比呉の言葉に磔三の口から息が漏れた。比呉と云う男、意外と悪いヤツではなさそうだと磔三は思う。
「…… …… …其れで、昨日の話なんですが。」
「… …ああ。」
「………私は気を失っていて、昨日の夜どういう話があったのか、一切知りません。何があったのか。テツさんと、どういう話をつけたのか。教えて頂けますか?」
「構わないっすよ。」
昨日、磔三はテツに伸されてから全く記憶が無い。正に俎板 の鯉 と云う状況であった。だが、どう云うワケか命を拾うコトが出来た。今後、自身が此の大阪で引き続き活動を続けて行く為にも、事の次第を知っておく必要がある。
其れから比呉は、昨日起こった顛末を掻い摘んで磔三に説明をした。磔三から詳細について求められたトキは、比呉も分かる範囲で答えた。
「…… …そ、其れは…… …。佐吉さんを救う為に、其れ程までのカネを… ……」
比呉はテツとの取引の為に、二千万円分の薬物 と現金一千万。合計すると三千万円ものカネを使ったのである。更には佐吉の替え玉も用意した。人間一人を救うと云うには流石に過ぎる程の用立てである。だが、当の比呉はそう云われても顔色一つ変えない。
「別にどうってコト無いっすよ。あんなカネくらい、直ぐに稼げるし。其れに、別に買いたいモンも特に無いし。」
「…… …… …。…… …それじゃ、やっぱり佐吉さんの為なんですね。」
「…… ……… …あー、マァそうかな。…… …でもそうやって、云われると。ちょい、
比呉が灰皿に灰を落しながら、ぽつりと云った。
「…… … …比呉さ……。… …康 さんは… …」
「ヤスシ。ちょっとずつ慣れてこー。」
「……はぁ。… ……康は、佐吉さんと付き合いは長いんですか?」
「…… …… …… …… …」
比呉が瓶ビールケースから立ち上がり、煙草を灰に押し付けると、ポケットからぺしゃんこのシケモクをもう一つ取り出して火をつけた。それからおもむろにコンクリートの地面に仰向けに倒れ込み、足を組んで煙草を吸い始める。
「…… …… ……」
「もう、大分長いかな。…… …尼ヶ崎 の小学校から一緒やねん。…… …ゆうても、佐吉っちゃんとは二個違うケド。ゆうとくケド、俺の方が年上やで。ほんで、もう一人俺と同学の灰谷 云うヤツ。灰谷正貴 ゆう名前や。俺と佐吉っちゃんと灰谷は、小学校の頃から何時も三人セットでつるんでてん。」
「…… …灰谷…… …。其れは、さっきの?」
灰谷と云う名は先ほど、部屋の中で佐吉と比呉が言い争った際、出て来た名だった。
「そうや。灰谷と佐吉っちゃんは、巽商会で一年くらい働いてた。それで、つい此の前のコトや。灰谷が、其の仕事中に死んでん。」
「…… …!… ……」
其のトキ、磔三は尋問室でテツに聞いた話を思い出して居た。
少し前に巽商会で請け負った殺し の依頼があり、其の際に一人死んだ異能力者が居ると。そして、其れは佐吉の友達 とのコトだった。詰まり、其の友達 こそが灰谷正貴 である。
「其の話、テツさんから聞きました。」
磔三が記憶を辿りながら云うと、地面に寝転がった比呉が眼だけを磔三の方に向けて答える。
「… …そう。…… …… …ほんで、佐吉っちゃんの手ェがつけられへんようになったンは、多分そっからやと思う。…… …暴走、ちゅうか、なんちゅうか。」
「…… ……… …」
「ここ暫くは、俺も佐吉っちゃんに会うてなかってん。せやけど、裏社会 って広そうで狭いやん。ウワサなんて、一瞬で広まるし。佐吉っちゃんが、巽商会とうまいコト云って無いコトも、よう耳に入ってきてたし、今回の件やって直ぐに分かった。」
「…… …… …だから、佐吉さんを救いに行ったんですね。」
「… ……替え玉探すん、結構苦労したんやで。以前から、眼ェつけてた奴を一昨日に殺してもってった。死体は新鮮じゃないと、使いモンにならへんからな。一応、俺も
そう云いながら煙草を吸う比呉の姿は、何処か自虐共とれるような冷めた印象があった。
「… …… …じゃあ、康は、灰谷さんに続いて、佐吉さんも無くす可能性があったんですね。だから、其処までの苦労をして、佐吉さんのコトを…… ……」
粗方の状況が分かったと思い、磔三が言葉を紡ぐ。だが、何故か其の言葉で場が張り詰めた感じがした。
「…… …… ……… ……。…… …」
「……… ……… …康?…… …どうかしたんですか?」
其の言葉で、比呉がゆっくりと話始めた。
「…… …… …… ………。… ……… ………灰谷は。……… …俺は、あの騒音男 は死んで同然の男やと思っとる。」
雑居ビルは計四階まである。一、二階は店舗やスナック等で
三階より上層の住居エリアに行くには、二階の廊下を少し歩き、更に奥まったところにある薄暗い階段を上る必要がある。二階でさえも既に管理が行き届いていないのか、全体的に薄暗い印象を与えており、三階への階段に至っては管理事務所の手等期待できないと、住民が勝手に設置した裸電球が無造作にぶら下がり、薄暗い階段をちらちらと照らすのみであった。
そんな利便性とは程遠い大昔に建てられたビルであるから、
其処には広々とした屋上が広がっていた。比呉が云っていたように、屋上の外周には、室外機やら貯水タンクがぐるりと取り囲むように設置されており、街の景色等は拝むコトが出来ない。だが、中央部分はそれなりの広さを確保しており、其処から空をみれば大きな青空が広がっているのだった。周りに建つビルも背の高さは此処と大して変わりが無い為、付近のビルの眼も気にする必要も無い。磔三は一瞬、其の光景に心を奪われ無言となった。比呉が煙草を吹かしながらくるりと此方を向いて後ろ歩きになると、磔三は其の視線に気づき返事をした。
「…… …あ、ああ。確かに、良い所ですね。」
「せやろ。」
比呉がまるで、自身のコトを褒められたかのように、誇らしげに笑みを浮かべる。磔三自身、其の言葉に偽りは無かった。
広場の中央には細長い灰皿が置かれており、其の周りには瓶ビールケースや
「其処、座って下さい。客人用っす。」
そう云いながら、指し示すのは事務ソファだった。風雨に晒され、既に其処彼処は破れ生地は薄くなって居るが、一応は黒革である。磔三は小さく頷き、ソファに腰を下ろすと、ソファの懐は思いの外深く、命一杯身体を沈ませてしまう。自然と見上げる恰好となった磔三の顔、眼の中に真っ青な空が広がった。
「最高っしょ。」
比呉が磔三の様子を見ながら云った。磔三は比呉の顔を見た後、表情を緩ませ眼を瞑った。
「…… …確かに、此れは
ヤバい
。」「…… … …… … …」
少しの間があった。返事の無さに磔三が眼を開けると、比呉が眼を真ん丸くしながら此方を見ている。
「…… …… …どうしたんですか?」
「…… …
「なんですか、其れ。そりゃ、云うでしょう。ヤバいくらい。」
「マァ、そうなんスけどね。」
比呉の言葉に磔三の口から息が漏れた。比呉と云う男、意外と悪いヤツではなさそうだと磔三は思う。
「…… …… …其れで、昨日の話なんですが。」
「… …ああ。」
「………私は気を失っていて、昨日の夜どういう話があったのか、一切知りません。何があったのか。テツさんと、どういう話をつけたのか。教えて頂けますか?」
「構わないっすよ。」
昨日、磔三はテツに伸されてから全く記憶が無い。正に
其れから比呉は、昨日起こった顛末を掻い摘んで磔三に説明をした。磔三から詳細について求められたトキは、比呉も分かる範囲で答えた。
「…… …そ、其れは…… …。佐吉さんを救う為に、其れ程までのカネを… ……」
比呉はテツとの取引の為に、二千万円分の
「別にどうってコト無いっすよ。あんなカネくらい、直ぐに稼げるし。其れに、別に買いたいモンも特に無いし。」
「…… …… …。…… …それじゃ、やっぱり佐吉さんの為なんですね。」
「…… ……… …あー、マァそうかな。…… …でもそうやって、云われると。ちょい、
こそばゆい
かも」比呉が灰皿に灰を落しながら、ぽつりと云った。
「…… … …比呉さ……。… …
「ヤスシ。ちょっとずつ慣れてこー。」
「……はぁ。… ……康は、佐吉さんと付き合いは長いんですか?」
「…… …… …… …… …」
比呉が瓶ビールケースから立ち上がり、煙草を灰に押し付けると、ポケットからぺしゃんこのシケモクをもう一つ取り出して火をつけた。それからおもむろにコンクリートの地面に仰向けに倒れ込み、足を組んで煙草を吸い始める。
「…… …… ……」
「もう、大分長いかな。…… …
「…… …灰谷…… …。其れは、さっきの?」
灰谷と云う名は先ほど、部屋の中で佐吉と比呉が言い争った際、出て来た名だった。
「そうや。灰谷と佐吉っちゃんは、巽商会で一年くらい働いてた。それで、つい此の前のコトや。灰谷が、其の仕事中に死んでん。」
「…… …!… ……」
其のトキ、磔三は尋問室でテツに聞いた話を思い出して居た。
少し前に巽商会で請け負った
「其の話、テツさんから聞きました。」
磔三が記憶を辿りながら云うと、地面に寝転がった比呉が眼だけを磔三の方に向けて答える。
「… …そう。…… …… …ほんで、佐吉っちゃんの手ェがつけられへんようになったンは、多分そっからやと思う。…… …暴走、ちゅうか、なんちゅうか。」
「…… ……… …」
「ここ暫くは、俺も佐吉っちゃんに会うてなかってん。せやけど、
「…… …… …だから、佐吉さんを救いに行ったんですね。」
「… ……替え玉探すん、結構苦労したんやで。以前から、眼ェつけてた奴を一昨日に殺してもってった。死体は新鮮じゃないと、使いモンにならへんからな。一応、俺も
消し屋
の端くれですから。」そう云いながら煙草を吸う比呉の姿は、何処か自虐共とれるような冷めた印象があった。
「… …… …じゃあ、康は、灰谷さんに続いて、佐吉さんも無くす可能性があったんですね。だから、其処までの苦労をして、佐吉さんのコトを…… ……」
粗方の状況が分かったと思い、磔三が言葉を紡ぐ。だが、何故か其の言葉で場が張り詰めた感じがした。
「…… …… ……… ……。…… …」
「……… ……… …康?…… …どうかしたんですか?」
其の言葉で、比呉がゆっくりと話始めた。
「…… …… …… ………。… ……… ………灰谷は。……… …俺は、あの