第10話 エスケイプ#4

文字数 3,762文字

 正対に構えたテツに、半狂乱のように両手の爪を尖らせ佐吉(サキチ)が飛び掛かった。
「… …ほんま(わら)けるくらい、単純な奴ッちゃで」
 構えた拳の後ろでテツが口角を上げ迎え撃つ。
 向かってきた佐吉の顔面目掛けて、重そうな鉄拳のジャブが飛んだ。ギリギリまで相手を引き付けた間合いと正確な軌道予測。テツの拳が佐吉の顔面を捉える完璧なタイミングだった。
「… …ガアッ!!」
 だが、テツの挑発に我を忘れるほど激高していた佐吉は、今やテツを狩ることだけを本能に刻み込んだ一匹の猛獣だった。佐吉の血走った両目が大きく見開き、脳からの緊急回避命令が獣人の全神経網を電撃のように駆け巡る。研ぎ澄まされた佐吉の感覚は、並みの獣人の反応速度を優に超えていたのだった。
 飛んできたテツの拳をなぞるように佐吉の身体が回転すると、灰色のパーカーの背中を無残に引き裂き鉄拳が空を切った。予想外の回避にテツは前のめりにバランスを崩す。
「… …うおっ」
 佐吉は避けた其の慣性を保った儘、伸ばした左腕で無造作にテツの頭を掴んだ。絶好だった。態勢が崩れたテツは今や全くもって無防備だ。異能による全身の鋼鉄化によって、テツへの外被からの攻撃では致命傷は見込めない。だから此の男に致命傷を与えるならば、其れは鋼鉄化の及んでいない眼玉への攻撃だ。忌々しい奴の両目に此の俺の鋭い爪をねじ込んでやる。佐吉は力の籠った右手を、テツの顔面目掛けて一気に突き出した。目つぶしするように人差し指と中指の凶悪な爪先が、質感まで見えるほどの明瞭さでテツの網膜に迫っていた。
「… …ッッ!」
 ガキッという硬質な音が辺りに響き渡る。
 瞼ッ!
 両目を瞑ったテツは、其の鋼鉄の瞼で辛うじて眼球への致命傷を防いだのだ。のみならずテツは目を瞑った儘、佐吉に掴まれている頭を無理やり後方回避(スウェー)させ、力を分散させていた。直ぐ様、鉄塊のように固めた左拳が、佐吉の真下からアッパー気味に飛んできた。佐吉がまたしても獣の反射神経を発揮して身を捩じる。
「逃がすかぼけェ」
 ギアが一段階上がるかのように、瞬間的にテツの拳の速度が増した。其れはコンマ何秒の世界だったが、逃げる佐吉の身体よりも早く、テツの拳が佐吉の鳩尾(ミゾオチ)に深々と突き刺さった。重いくぐもるような音が響く。
「ブハァッッツ」
 テツの頭上で真っ赤な吐血が飛散し、突き立てられた腕にくの字に折れる佐吉の身体。テツが(ヒビ)割れた顔面で悪魔的に口元を歪ませた。
「オラァッッツ!!」
 渾身の力を込めて鉄球のような拳が佐吉の顔面へぶち込まれる。衝撃をもろに食らった佐吉の顔がぐしゃりとイヤな音を立てて、身体毎遥か向こうへ飛んでいった。佐吉の身体が路肩にあった中華屋のゴミ箱にぶつかり、生ゴミが道にしこたまぶちまけられた。
「ふー。手ごたえありやな」
 テツが傷ついた両瞼を人差し指でなぞりながら云うと、瞼から鉄の角質が地面に零れ落ちた。其れから首に手を当てて、強張っていた首元を鳴らす。
 テツがぐるりと辺りを見回すと、気絶した磔三(タクゾウ)と佐吉から離れたところに、身体(ガタイ)の良い社員が口から泡を吹いて痙攣しているのを見つけた。テツがゆっくりと其方の方へ近づき、傍らにしゃがみこんで注意深く覗き込む。
「おい、高田(タカダ)。生きてるか」
 高田と呼ばれた身体(ガタイ)の良い社員の頬を叩いてテツが呼びかけるも、社員は依然として意識を失い反応が無い。磔三の毒がどれほど強力なのかは知らないが、其の姿を観察すると病院で早めに処置してもらった方が良いように思えた。とりあえずは

磔三と佐吉へも目を向けながら、流石に自分一人でコイツ等を運ぶのは難儀だなとテツは考える。
「どうせ、社長、事務所でぼーっとしてんねやろ。運ぶの手伝いに来さそ」
 テツはズボンのポケットから携帯を取り出し独り言ちた。
 事務所でも既に二名の社員が磔三の毒によって失神せられていたが、其れよりも今は此の周辺に転がる奴等を事務所に運ぶことが先決だった。元々、社員の少ない会社である。社長が現場に駆り出されることなど日常茶飯事だったが、そもそも会社自体、もう少し動ける人員を雇って居れば、こんな骨の折れる作業も下っ端に任せられるのにとテツは溜息をつく。
 路地道で一寸思案していたところで、手に持っていた携帯からコールが鳴り響いた。画面に表示された相手の名前を見てテツは苦々しい面持ちだったが、電話に出た。
「…なんや。今取り込み中やねん」
「電話に出れるってことは、フツーに時間あるってことでしょ?」
 毎度のことながら、人の事を見透かしたように柔らかくマウントしてくる物言いが、神経に触る。
「… …ちっ。お前が連絡してくると(ロク)なことあらへんねん」
「なによ。最近(チッ)ともあたしに会いに来てくれないじゃない」
「ああッ!?誰が誰に会いに行くやって?」
「あはは、冗談。そんなに血が上ると、健康に良くないよ」
 テツが携帯から顔を背けて、唐突に唾を吐いた。片手をポケットに突っ込みながら小銭を苛立たし気に握り、明らかに不機嫌になっている。
 其れほどまでにテツを不機嫌にさせる此の相手の女は、名を浅川ヒスと云う。飛田の青春通りにに

生息している花魁であり、テツとの関係性から示唆される通り異能持ちである。
「…クッソが。」
「怒ンないの。また、時間が合ったら遊びにおいでよ。最近ヒマなんだ」
「誰が行くかボケ。… …ほんで、要件はなんやねん」
 ヒスとの関係についてはいずれ語るべきときに語られるとして、今まさにテツは眼の前のタスクを早急にこなす必要があった。ダラダラと取り留めのない女の話には付き合って居られないのである。テツはさっさと電話を切りたかったが、ヒスの電話は予想外のものだった。
「あんた、今、厄介事抱え込んでるやろ」
「… …」
 テツは、またかと思った。
 此方の動向が瞬時に此の女の耳に入っている。此の今の(タツミ)商会の状況のみならず、昼間の通天閣での悶着も当然知っているのだろう。何故そんな情報をヒスが知り得ているのかと云えば、此の花魁には強烈な信者が多数いるからだ。そして、其の信者共が恵美須町界隈にも点在しており、自身の見聞きした情報を直ぐ様ヒスへ共有するのである。そういう訳で、此の浅川ヒスという女は色々な情報を掴んでは自身にも一つ噛ませろと云わんばかりにユスってくる事が多々あり、過去にテツも面倒に巻き込まれたコトがあったのだ。
「お前の知ったことやない」
「東京モンと揉めてンねやろ?先刻(さっき)聞いたわ」
「ちっ。先刻(さっき)って何時やねん。つい今しがたのコトやろがい。クソ女が」
「あたしの情報網甘く見んといて。巽商会の事なんか、筒抜けやねんからね。てゆうか、今日はあんたに忠告しとこうかなって思って」
「忠告?」
「あんたのトコに来た東京モンの事よ。そいつ、あんま相手せん方がええで。」
「… ……」
「あたしの連れにあっちの子も居てるねんケド。んで、つい一ヶ月くらい前に死東京(シトウキョウ)でヤラかした奴が居てるんやって。」
「死東京で?」
「あんたンとこに居る奴が、多分ソイツ。関西に逃げたって云われてたらしいねんけど、どうやら大阪に入った事が濃厚なンやって。」
「なんで、そいつが巽商会に居るとか、そんなこと分かンねん」
「其の逃げた奴の異能が毒殺なんやって。見覚えあるンちゃうの?」
「!」
 毒殺の異能。磔三の異能は痺れ毒だ。
 昨日、佐吉を確保した際に巽から問われた時、磔三は確かに自身の異能で人を()れると答えていた。異能の種類は多種多様を極めるものの、此処まで強力な「毒」の異能持ちも珍しい。とすれば、やはり浅川ヒスの云う通り、死東京でヤラかしたと云われる奴は磔三の事なのだろうか。
 死東京(シトウキョウ)について。
 異能の蔓延る、つまり平たく云えば

は日本全国を探しても大阪が群を抜いているものの、東京にも異能をもった連中は存在している。そして、勿論(ジャンクス)も居た。そんなどうしようもない屑共は、大阪ほどではないが、東京23区内の一極集中的に独自のコミュニティを形成しており、最早治外法権の様相を呈している場所で生息していた。それこそが、通称を死東京(シトウキョウ)と呼ばれた、忌み嫌われ誰も近寄らない弱肉強食の地なのである。そんな場所では警察等も多大な労力を払って治安を改善しようとは思わず、裏で共生の道をとる事を選択していた。つまり、そうなる事で犯罪の温床となっていたが、其れでも相対的に見れば東京の治安は

のだった。
「あたしは、あんたの事思って云ってるんやで。あんま分けわからん奴に関わらんほうがええで」
 ヒスの事だ。テツのコトを親身に心配しているような発言をするも、実際のところは耳障りの良い言葉で恩を売っているだけであり、其れが此の女の(したた)かなところだと云える。だが、其れを捨て置くとしても、ヒスのくれた情報は確かに有益なものだった。紹介屋の爺さんが崖ケ原磔三(ガケガハラタクゾウ)を紹介してくれた事は偶然、だと信じたいのだが、いずれにせよ此れ以上磔三と関わる事が、果たして巽商会としてリスクでは無いのか。こいつ等の身柄(ガラ)を抑えるのは果たして得策なのか。テツは唐突に判断を迫られた。
 テツがそうやって一人思案して押し黙っていると、浅川ヒスは痺れを切らしたのか、それじゃ、一応忠告したからね、と云ってさっさと電話を切ってしまった。
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登場人物紹介

■氏名:相馬佐吉(そうま さきち)

■年齢:19歳

■異能:人狼

■性格:短気

■其他:満月を見て変身する。満月っぽいモノでも可。

■氏名:崖ヶ原 磔三(がけがはら たくぞう)

■年齢:22歳

■異能:毒血

■性格:冷静沈着

■其他:知人にカスタムされた通称『銃もどき』に血液を装填して銃撃する。

■氏名:浅田 百舌鳥(あさだ もず)

■年齢:31歳

■異能:外被鋼鉄化

■性格:マイペース

■其他:あだ名は鋼鉄(テツ)

■氏名:浅川 ヒス(あさかわ ひす)

■年齢:?

■異能:不老長寿

■性格:狡猾

■其他:苗字と顔がよく変わる。

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