第2話 異能の屑#2

文字数 5,594文字

 大阪府大阪市浪速区恵美須東一丁目十八ノ六。ミナミの繁華街から更に南下したところに、超然と立つ塔が存在する。明治期の儒学者、藤沢南岳(フジサワナンガク)が「天に通じる高い建物」と云う意味で命名した通天閣である。現在立っている通天閣は千九百五十六年に完成した二代目であり、今年で八十六年目を迎えている。其の佇まいを見れば既に経年劣化の影響が其処彼処に見て取れるが、其れにしては名物のネオンさえも今は光を灯していないのは周辺の治安と無関係ではない。

 

の事情を知るにはまず、軽く歴史を紐解く必要がある。
 かつて、通天閣周辺は大層治安が悪かった。理由は、隣接する西成区へ全国から日雇い労働者が流入した影響で、通天閣、つまり新世界周辺にも素行の悪い者が増えたからだ。そして、一度そういう雰囲気に飲み込まれ敷居が低くなった街には、際限なくその手の後ろ暗い人間が流れ着いてくるようになったのである。
 例えばどれくらい治安が悪かったかと云うと、夜二十時を過ぎると人気も店の光も消え辺りは真っ暗になり、通りを一人で歩けば追剝(オイハギ)に会い、深夜にマッチ売りの少女という謎の女が出没し、マッチを一本購入すれば其のマッチに火を着け火が消えるまでピーを見せてもらう事ができたのである。昼はと云えば青空カラオケ屋台が乱立しており、路上では酩酊者が地面で寝たり、路肩に小便を引っ掛けていた。電柱に向かって説教をする者や、遊女に扮した初老の男がカラオケの音色に合わせて狂乱すると云った、此処が此の世の最果てかと見紛う光景が目の前でぐるぐると展開せられていたのである。其れが二千三年、市の行政代執行によって一斉撤去され、綺麗に区画整理されたのを始まりとし、通天閣周辺は急速に無害な街へと変貌を遂げていった。其れから暫くは、地場を知らない頭ぱっぱらぱーな観光客が歩いても安心安全な場所となっていたのである。
 そんな或る意味、平和な時代が続いていたのであるが、二千三十年頃から通天閣周辺は思い出したように再び様相を変え始める。原因はかつての歴史と同様、大阪西成に漂着するように流れ着いた大量の(ジャンクス)共の台頭だった。
 奴等の力は通常の人間の力とは一線を画しており、一人でもヤクザの組事務所を丸々潰す事が出来る輩も存在する。そして、そんな力を持った連中を見逃すハズもなく、(ジャンクス)の存在が反社会的勢力にとって起爆剤(カンフル剤)となったのは最早疑いようのない事実だった。
 浪速区恵美須町から西成区に掛けては、そういった闇勢力同士の抗争が目に見えて激化していった。やがて、十年ほどの時を経て、通天閣周辺は再び異能都市の名に恥じない、(ジャンクス)共の跋扈(ばっこ)する危険地帯になり果てたのであった。このような恐ろしい場所に暮らす者と云えば、他府県でヤらかして行き場を失った日陰者や(ジャンクス)の類か、先祖代々住み続ける朴訥とした現地人のみである。

 二千四十年、現在。通天閣周辺、新世界。
 そんな邪悪な土地だとは露知らず、(まれ)に迷い込んでしまうは哀れな子羊、もとい、愚者(フール)共が居た。
 気が狂った値段だけの下品な洋服と宝石に身を包んだマダムと云った女が二人。年齢は四十過ぎくらいか。何をどう勘違いしたのか、或いは純粋に迷ってしまったのか、いずれにせよ其の表情からは少しも内省している様子が見られない、呆けた面をへらへらさせながら、酔うているような方向も定まらない足取りでゴミの散乱する道を歩いている。
「アラ、奥様。此処は一体どういった所なんでございましょう。」
「ですワネ、奥様。あたくしも、こんなトコロ、初めて来たモノで、まったく見当もつかないんですワ。タダ… …」
「只?」
「奥様、もしかして、アレ。あれって、良くテレビで見ます通天閣ってモンじゃござあせんコト?」
 片方のマダムA(仮名)がか細い骨に大きい粒の金剛石(ダイヤモンド)をぶらさげた指で、斜め遥か向こうを指さす。其の先には長年の間、補修作業が滞り、ヒビと煤に塗れた通天閣があった。ここ最近は営業を停止しており、廃墟の塔として此処に存在しているのみである。つまり此のマダムたちは既に魔都大阪の深部に知らず知らずの内に潜入していたのだった。辺りを歩く襤褸(ボロ)を纏った死んだ目の男たちが、()っとマダムたちに視線を送っている。彼らはマダムたちが身に着けている、見るからに高級そうな装飾品にくぎ付けだったのだ。そんな危険な視線を知ってか知らずか、マダム共は能天気な会話を続けている。
「マァ!あれが通天閣なんですわね。あたくし、初めて見ましたワ。近くで見るととても大きなモノですワネー。もっと近づいてみましょうよ!通天閣の足元まで行ってみましょう!」
 マダムB(仮名)が突如として小走りで走り出す。其のテンションに半ば圧倒されながらも、マダムAも久しぶりのマダム同士の会合に胸を躍らせ、追い付くように走りだした。
「やっぱり、芦屋から電車を乗り継いで難波まで来た甲斐がありましたワネ!こんな発見があるんですモノ!」
 マダムBが走りながら後ろを振り返りマダムAに語り掛ける。
「ですワ。やっぱり車の車内で眺めるだけでは、世界の広さは分からないですものね。自分の足で歩いて、地面と風を感じる。其れが重要なんですね」
「おっしゃる通りです!だけど、私たち、最初は道頓堀を目指してたんですよね。此処って、方角的には合ってるんでしょうか?」
「其れは分かりませんけれども、まずは通天閣でしょう」
「そうですね!」
 通天閣の足元についたマダム共は、地上から見上げて改めて驚きの声を上げる。四本の足を開いたように立っている通天閣は、下から見れば其の巨大さが余計に際立った。
 感心して呆けて立っている二人に向かって、唐突に不審者が話し掛けてくる。マダム二人はぎょっとして逃げ出そうとしたものの、話を聞くと其の男は焼き鳥の屋台をしており、焼き鳥食いませんかと云う。そういえば、普段は運転手付の車でしか移動しない自分たちが、慣れない徒歩により思ったよりもエネルギーを消耗していることに今しがた気が付いた。恥ずかしながら腹の虫が鳴っていることを自覚した二人は、眼を見合わせた後、男から焼き鳥を購入したのだった。手に取ってさっそくかぶりついてみる。
「… …おいしいですワネ」
「まさしく、本当に」
 口元を隠しながら、食い物にも満たされ、芦屋の有閑マダムはいよいよもってテンションはマックスの盛り上がりを見せつつあった。此処から、昼めしを一体何処で食べようかという算段が始まる。時刻はそろそろ十二時を回ろうとしていた。
「せっかく来たんですから、もう少し此の辺りを散策しましょうよ。其れに、大阪グルメっていうのを満喫するのも良いじゃありませんか」
 マダムBが提案する。マダムAは其の提案に全面的に同意した。だが、先ほどからマダムAは薄々感じていることがあった。其れは、何やら此の辺は自分達のような所謂、観光客といった人間が居ないと云うことだった。辺りを見回せば、鉄板焼き屋や串カツ屋、喫茶店等、食事を提供している個人店が幾つか見受けられるにも関わらず、道を歩いている人間は地元人しか見当たらない。其れに、何やら此の区域が全体的に、()えた匂いを発している。
 此処迄で、此の地場の危険性に気が付けばよかったのであるが、其処は温室育ちの有閑マダム。其処までの危険察知能力(アンテナ)は持ち合わせていなかったようで、はやるマダムBに巻き込まれる形で、直ぐにそのような考えは何処かに吹き飛んでしまった。
 有閑マダム共は、昼めしを何処で食べようか店舗を見ながら相談する。
「ネェ、奥様。やっぱり、大阪と云えば、お好み焼きじゃありませんこと?」
「ああ!確かに。お好み焼きとか、たこ焼きとか、食べたいですわね!」
「でしょう。其の辺を見てみれば、たこ焼きの屋台とかもありますでしょう。ああいうのも、良いのですが…」
「少々、歩き疲れましたものね。」
「そうなんです。ですから、何処かお店に入って、ゆっくりしたいですわよね」
「何処か、美味しそうなお店、ありますかしらねぇ」
 辺りを見回しながら、二人はお好み焼きとたこ焼きを食べる店、すなわち鉄板焼き屋に焦点を定めて探し始める。此の辺りには、大きな店舗というよりも、昔ながらの個人が経営しているお店が大半を占めていた。素朴な見た目の個人店が軒を連ねる。
 其の中で一つの店がマダムBの目を引いた。何の変哲もない店である。
「奥様、此処、如何でしょう?」
 聞かれたマダムAが、外に置いてある食品サンプルやメニューを眺めると、其処にはお目当てのお好み焼きやたこ焼きがあった。値段も非常にリーズナブルである。ただ、他の店とまったく違いがない店であった為、マダムBが此の店を薦めた理由を計り兼ねた。
「確かに、美味しそうですね。ですが、何故、此処を選んだのですか?」
 疑問を持ったマダムAの表情を受けて、マダムBは得意げに返答をする。
「だって、ホラ」
 マダムBが後ろを指さすので、其れにつられてAも振り向く。
 其処には、少し距離を置いて通天閣の全身があった。此の鉄板焼き屋の窓際席に座れば、通天閣を眺めながらお好み焼きが食べられるのである。最高のロケーションに間違いなかった。
「うわぁ。良いですね!」
「でしょう!多分、何処のお店に行っても美味しいとは思いますよ。ですので、後は其れ以外の条件で探そうと思ってまして。通天閣見ながらご飯食べるの、最高でしょ?」
「はい!」
 マダムAはこういう時いつも、もう彼是二十年程の付き合いであるマダムBに対して敬意と尊敬の念を抱くのであった。此の人は何時も私をひっかきまわして、何処までも知らないところへ連れて行ってくれる。引っ込み思案の私を連れて、新しい世界を教えてくれる。まったく自分と違うバイタリティを持ったマダムBに、心の底から感謝しているのだった。
 マダムAはそう考えて、自分も積極的にならなければと考えていた。往々にして、人が自身の欠点を改善していくのは、此のような些細な瞬間からである。
 マダムAは素早く行動に出て、鉄板焼き屋の玄関の前に立った。今度は自分がイニシアチブをとって、彼女の恩に報いよう。私だって芦屋の富裕層の端くれだ。高級な鉄板料理のお店ならば、此れまでも何度も行っている。おそらく、鉄板焼き屋の所作についてはマダムBよりも自身の方が詳しいはずだ。そう考えたマダムAは、先導を切ってお店のドアを開けた。マダムAの後ろに続く形でマダムBも待つ。
「こんにちわ、ごめんくださいまし… …」
 ドアを開け、店内の光景に目を向けたマダムAの顔面に、大きな毛むくじゃらの塊が物凄い速度でぶち当たった。
 マダムAの頭と身体が、其の衝撃で後ろに吹き飛ぶ。其のマダムAの吹き飛んだ身体にマダムBも衝突し、マダムBは明後日の方向に吹き飛んで、後方3メートルの薄汚れた地面にうつ伏せに倒れ込んだ。マダムAの身体は鉄板焼き屋の正面にある駄菓子屋の店に、弾丸のように飛び込んだ。駄菓子屋の中で小さなお菓子が四方八方に飛び散って吹き飛んだ。マダム共は既に気を失っているのだった。彼女らの死体に群衆が群がって行った。どうなるかは火を見るより明らかだったが、此の物語に関係のない彼女()の事(など)、最早どうでも良いことだった。

 道端に吹き飛ばされた佐吉(サキチ)は、地面でごろりと身体を回転させて四つん這いに立った。口元からはぁはぁと荒い息をもらす。牙には若干の血のりがこびりついているのは、巽のものだった。
「グゥウウウウウウウウウッ」
 小さく

ような低い音がサキチの口から洩れる。
 佐吉は既に人狼だった。人の形をしてパーカーと黒いスキニージーンズに身を包んでは居るが、其の顔は狼の其れ。身体の見える部分は全て体毛に覆われており、両手両足には凶悪そうな長い爪が生え揃っている。佐吉は獣人化する異能の持ち主だった。
 続いて鉄板焼き屋の扉から肩を抑えたスーツの大男、つまり(たつみ)が姿を現した。抑えている肩のスーツは無残に破れ、生地を赤く染めていた。其れでも巽は大して表情を変える事もなく、肩を負傷した方の左腕を佐吉の方へ延ばす。手には拳銃が握られていた。
 無言で佐吉に照準を定め、的確な動作で巽が引き金を弾く。
 短く破裂するような発砲音が周辺に鳴り響いたが、佐吉は其れを瞬時に飛び退いて避けた。巽が追いかけるように照準を佐吉に再び合わせる。其処から、途切れることなく連発の射撃。辺りに幾度も破裂音が響き渡る。だが、其のいずれも佐吉を仕留める事はできなかった。
 巽はゆっくりと佐吉との距離を詰めながら、空になった弾倉を入れ替える。そして再び発砲。牽制をしつつ、右手の腕をポケットに突っ込み、携帯を取り出すと、発砲を続けつつ何処かしらに電話を始めた。
「… ………。……おい、まだか?… …クソガキが暴れ回って手がつけられん。早よ来い」
 巽が淡々と状況を伝えているが、通話の相手は向こうでも会話をしているのか、一向に要領を得ない。
「おい、聞いとんのか、テツ」
 『… ……ああ、聞いてますよ、巽さん。今、見えてきましたわ。』
 其の返答を聞いて、巽が振り向くと、通天閣をバックに二人の若いスーツの男がゆっくりと此方に近づいてくるのが見えた。咥え煙草のサングラスの男が、携帯を持っていない方の手を巽の方へ挙げて振っている。
 『やっぱ、めんどそうスね。あのガキ』
「ゆっくり歩かんと、早よ来いって。ワシ肩、噛まれたんや」
 『あらあら、其れは災難で』
「ほんで、其の隣のんが、新入りか?」
 『はい、そうですねん』
 テツ、と呼ばれたサングラスの男は、少しサングラスを上にずらして直に隣の男の顔を見た。其の視線を受けるように、線の細いが長身の男は、涼しい顔でゆっくりと頷いた。
「直ぐ、いけるか?」
 テツの呼びかけに、男が答える。
「問題ないです」
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登場人物紹介

■氏名:相馬佐吉(そうま さきち)

■年齢:19歳

■異能:人狼

■性格:短気

■其他:満月を見て変身する。満月っぽいモノでも可。

■氏名:崖ヶ原 磔三(がけがはら たくぞう)

■年齢:22歳

■異能:毒血

■性格:冷静沈着

■其他:知人にカスタムされた通称『銃もどき』に血液を装填して銃撃する。

■氏名:浅田 百舌鳥(あさだ もず)

■年齢:31歳

■異能:外被鋼鉄化

■性格:マイペース

■其他:あだ名は鋼鉄(テツ)

■氏名:浅川 ヒス(あさかわ ひす)

■年齢:?

■異能:不老長寿

■性格:狡猾

■其他:苗字と顔がよく変わる。

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