第20話 佐吉、ウォークススルー、尼ヶ崎#2

文字数 4,303文字

「ロォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッツ!!」
 勇樹(ユウキ)の頭髪を掴んだ儘、天を見上げ佐吉(サキチ)が遠吠えすると、辺りの空気がびりびりと激しく震えた。其の恐ろしい迄の迫力に、勇樹と仲間二人は思わず両手で耳を塞ぐ。
「ひいいぃぃ」
 恐怖で(すく)んだ勇樹の口から、蚊の鳴くような声が漏れる。のみならず、公園に居た一般人も其の尋常ならざる獣の叫び声に一斉に此方を振り向いた。結果、突如として出現した人狼の姿に(みな)気が狂ったように悲鳴を上げ右往左往(うおうさおう)した後、蜘蛛の子を散らすようにばらばらと何処かへ消えていった。老人を痛めつけていた先ほどの外道も、狼男の姿を一瞥すると、苦々し気にチッと唾を吐いて足早に其の場を立ち去っていく。
「オオオオオオォオオオ… ……」
「ひいぃぃぃぃい」
 勇樹は昔、遠巻きに幾度か佐吉の獣人化を目撃したコトがあった。いずれも佐吉が高校生の頃であり、どれも佐吉が複数人を相手に喧嘩をしていたトキのコトだ。
 どんな力自慢であろうとも、六に鍛えても居ない(鍛えるのがそもそも面倒臭い)高校生の腕力等タカが知れている。只の人間がどれだけ束になって掛かろうとも獣の腕力に叶うハズも無く、いずれの場合も一瞬で勝負(カタ)がついた。其の光景を傍から見ていた勇樹には当時、佐吉に対する恐怖心は無かった。だが改めて面と向かい獣人と対峙して、心の底から思う。嗚呼、

、と。明らかに特異な力を持った眼の前に居る人間は、

であった。
 勇樹は以前として耳を抑え眼を瞑り固まっていると、佐吉の手が勇樹の頭髪から離れた。が、次の瞬間には物凄い力で勇樹の身体が引き寄せられた。
「う、うああああああああぁあああ!」
 勇樹が思わず叫び声を上げる。ゆっくりと眼を開けると、直ぐ上に狼の尖った口があった。其処からチラチラと狂暴な鋭い牙が見える。勇樹は佐吉の胸元にがっしりと抱きかかえられて居た。そして、空いている其れ以外の手足で器用に四足で道を駆けている。公園内のアスファルトを蹴る度にぐんぐんと速度が増していき、勇樹の顔を幾筋もの風が通り抜けていった。
「ひいぃいいい、こわいぃいいいい」
 一匹の狼が物凄い速度で公園を駆け抜けると、眼の前に尼ヶ崎中央商店街(あまがさきちゅうおうしょうてんがい)のアーケードが見えた。道路を横断して、其の儘商店街の中へと突っ込んでいく。
 時刻は十五時過ぎ。夕方の商店街の中は多くの買い物客で溢れて居た。だが、佐吉は少しもスピードを緩めるコト無く、其処彼処(そこかしこ)に立ちはだかる客を右へ左へと器用に避けながら駆けて行った。其の度に勇樹の身体には物凄い重力が圧しかかった。もし此のスピードで振り落とされたならば、外壁や地面に激突して大怪我は必至である。其れは(さなが)ら、六に安全対策も取られて居ない死と隣合わせのジェットコースターであった。勇樹は万華鏡のように次々と目まぐるしく変わってゆく景色に圧倒されながら、絶対に振り落とされまいと必死で佐吉の服にすがりついて居た。
 勇樹の頭の直ぐ横を、物凄い速度でアーケード脇の鉄柱が通り過ぎる。買い物客や、此方に走って来る自転車が突如眼の前に現れ、激突するかと覚悟した次の瞬間には体勢がぐるんと変わり避けて居る。其の尋常では無い動きは小学生の勇樹の身体にはかなりの負担となって居た。ぼうっとする意識の中、此の儘勇樹が失神してしまうのかと思った刹那、猛スピードで走って居た佐吉が地面を蹴って飛び上がった。そして近くのアーケードの鉄柱にがしりと捕まると、其処に備え付けてあった梯子に手を掛けゆっくりと上って行く。
 梯子を上り切ると、其処はアーケードの屋根上であった。眼下にアーケードの天井部分が見え、其のアーケードに沿って点検用通路(キャットウォーク)が遥か向こう迄続いて居た。
 尼崎中央商店街は東西に渡って約一キロ続くアーケード商店街である。其の全てがアーケードで覆われている為、雨天時も傘を差す必要が無い。そのような構造上、配電設備や通信設備、その他諸々のケーブル類等がアーケード上部に集中しているコトも多く、メンテナンスの必要上、このような点検用通路(キャットウォーク)が設置されているのである。
 勇樹が恐る恐る正面に眼を向ける。すると、先ほどとは打って変わって眼の前には進行を阻む障害物は一切無かった。只、遥か向こう迄延々とアーケードの屋根が続いて居た。また、アーケードの高さ自体は地上から十数メートル程であり、其れ程高いモノでは無かったが、其れでも眼下に見えるアーケード沿いの道路迄は遠く、勇樹は大層肝が冷えた。
 佐吉は勇樹を抱きながら、少しの間立ち止まって遠方を見据えて居た。灰谷のコトを勇樹の兄に侮辱されたと感じた佐吉は、一刻も早く勇樹の兄、(ワタル)を痛めつけないと気が済まなかった。詰まりは平たく云うと、頭に血が上っていたのである。其の為、アーケード内の混雑を避けて行くのは(わずら)わしかった。誰も居ない点検用通路(キャットウォーク)を行けば、早々に渡の居るパチンコ屋へ辿りつくと考えたのである。
「グルルルル… ……」
 佐吉が喉を鳴らして勇樹の顔を見下ろした。其の視線に勇樹も気づく。
 勇樹の話では渡の働くパチンコ屋は三和本通商店街(さんわほんどおりしょうてんがい)のパチンコ屋と云うコトであった。三和本通商店街は尼崎中央商店街を抜けた先にあり、アーケードで連結されて居る。地元民である佐吉にとっては其処迄の土地勘はあるものの、パチンコ屋自体が複数ある為、渡がどの店で働いて居るかは分からない。獣人化により話すコトの出来ない佐吉は、勇樹を見てパチンコ屋への行先を案内するよう言外で指示したのである。其の意図は、小学生の勇樹にも十分伝わって居た。
「……… …… … … …あ、あかん。…… …お兄ちゃんの所に、行ったらあかん。…… …兄ちゃんの処に、行ったらあかんッ!」
 だが勇樹は、意外にも佐吉の胸元を掴みながら必死で訴えている。其の以外な行動に佐吉は少しく面食らった。勇樹は確かまだ小学五年生程であった。齢にすれば十一歳である。そんな子供が、眼の前で化け物に脅され恐怖に支配されながらも、自身を奮い立たせて兄弟のコトを庇う。そんなコトがあり得るのか、と。只、そんな疑念も瞬間的なモノでしかなかった。佐吉の本能は其の大半を渡への憎しみで染めて居た。其の気持ちだけが原子炉の如くにごろごろと身体中を燃やし続け、佐吉の足をまたゆっくりと動かしてゆくのである。
 無情にも勇樹の訴えは受け入れられず、佐吉は再び三和本通商店街を目指して駆け始めた。恐らく、後五百メートル程の距離だろう。阻むモノの無い点検用通路(キャットウォーク)(さなが)ら飛行機の滑走路の如く、佐吉の四足の馬力をぐんぐんと押し上げていった。再び勇樹の眼前の景色が、風と共に走馬灯のように通り過ぎてゆく。
 佐吉は駆けながらアーケードの脇から見える景色を、見るとも無く見て居た。今通り過ぎて行った路地裏の奥には、小さな公園がある。其処にはかつて一人の浮浪者が住んでいて、小学生の頃佐吉と比呉、そして灰谷はよく其の浮浪者に会って話をして居た。其の浮浪者は大層話が上手な男で、自身の体験した色々な身の上話を子供に面白おかしく語ったのである。浮浪者に会いに行く際には、灰谷は必ず駄菓子屋でビッグカツを買い浮浪者に与えていた。面白い話を聞かせてもらう為の謝礼であった。
 『人にエエ事教えてもろたら、お礼せなあかんのやで、佐吉』
 灰谷は小さな佐吉を見下ろしながら、何時もそう語って居た。隣では、比呉があまり興味なさそうな顔で鼻くそをほじって居た。
「…… …… … …………… …」
 思い返してみれば、今見える景色の何処も彼処も、自身の思い出が埋もれて居たのだった。向こうに見えるのは、かつて中学時代の学校同士の抗争で巻き添えを食らい、店舗が滅茶苦茶に破壊せられた中華料理店の跡地。また、異能を過信して恐喝を続けていて居た頃、或る日普通人(ノーマル)に返り討ちにされた屈辱の交差点。ブレーキが壊れた自転車で全力疾走のチキンレースをした狭い路地。そして、そう。すっかり忘れて居たが、此のアーケードの点検用通路(キャットウォーク)にも、深夜忍び込んだコトがあった。其の全ての場面には、何時も比呉と灰谷が居た。
 記憶は一瞬で多くのモノを見せる。不図気が付くと、自身の胸元を叩き続ける小さな拳に気が付いた。
「…… …… …くそッ!… …くそッ!…… …くそッ!」
 佐吉に抵抗を示すかのように、何時までも勇樹が声を上げている。佐吉は無表情で勇樹の行動を眺めて居た。
「…… … ………。………くそッ!くそッ!… ……… …くそッ!」
「…… … ………… ……」
「くそッ!」
 只ひたすらに呟いている其の勇樹の姿は、抵抗の意思とは別に、まるで不甲斐ない自分自身に向けられているようにも見えた。
「……… …… ……… ………」
「…… …………」
 其の内、大人しくなるだろう。身体も六に育って居ない子供に、今更どうこうできるワケも無い。俺は俺の思うが儘、灰谷正貴(マサ)を侮辱した此の子供の兄貴を痛めつける。其れだけが今の佐吉の望みであった。其の思いだけが、自身の足を一層前へと押し出して呉れる。駆ける足に一層力が入るのが分かる。そうして、佐吉が顔を上げ前を向いたトキ、小さな声が佐吉の耳に届いた。
「…… …… ……… …… …おれが… …… …… …代わりに死ぬから、」
 唐突な言葉に理解が追い付かなかった。佐吉は其の不意をついたような言葉で再び勇樹を見た。
眼の前には、眉にぎゅっと力を入れた勇樹が此方を真っすぐに見ていた。此の小学生は一体何を云って居るのか。また何時もの、子供特有の口から出まかせで、俺をからかって居るのか。ふざけやがって。其のあまりの突拍子の無さに、何故か佐吉の口から思わず笑みがこぼれた。
「…… … …。………おれが代わりに、死ぬから。… …せやから……… ……兄ちゃんには手ェ、出さんといてな。」
「…… … …… ………!… ……」
 佐吉の腕の締め付けが緩んで居たのは、何故だろう。まさか、小学生にそんな覚悟等あるハズも無い、と。心の中で焦りと、動揺と、その他諸々(もろもろ)の何かが作用したのだろうか。いずれにせよ、結果として、勇樹は身体を()じるように体勢を変え、佐吉の胸元からするりと抜けると、獣の身体を両足で力の限り蹴った。
「………ッツ!!」
 勇樹の身体がアーケードの脇に飛び出した。其処は、地上十数メートルの中空であった。
 勇樹の身体が、スローモーションのように重力に吸い込まれていく。身体を逆さまにして、此れから、頭を下にしてアスファルトに向かうのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

■氏名:相馬佐吉(そうま さきち)

■年齢:19歳

■異能:人狼

■性格:短気

■其他:満月を見て変身する。満月っぽいモノでも可。

■氏名:崖ヶ原 磔三(がけがはら たくぞう)

■年齢:22歳

■異能:毒血

■性格:冷静沈着

■其他:知人にカスタムされた通称『銃もどき』に血液を装填して銃撃する。

■氏名:浅田 百舌鳥(あさだ もず)

■年齢:31歳

■異能:外被鋼鉄化

■性格:マイペース

■其他:あだ名は鋼鉄(テツ)

■氏名:浅川 ヒス(あさかわ ひす)

■年齢:?

■異能:不老長寿

■性格:狡猾

■其他:苗字と顔がよく変わる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み