第5話 インテロゲイション#2
文字数 4,325文字
「… ……」
巽は先ほど佐吉に語り掛けた後、佐吉の動向を見守ったまま黙って居た。巽は行方を
「俺と違って、社長は大分とお人好しやからな。暫く、相手が話し出すまで待とうとする。あの人に任せたら、いっつも時間が
テツはパイプ椅子に深く
「テツさんより社長の方が遥かに血の気が多そうですが」
磔三は前のめりで両肘を膝にのせて、食い入るように巽と佐吉のやり取りを眺めていた。
「あのおっさんは、短気やけどお人好しなところがあんねん。眠たいけど、多分、思考が性善説なんやろな。」
「意外です」
「其処が良し悪しやな。こういう商売してると、一つの甘さが命取りになったりする。せやけど、あのどっか抜けたところが、あのおっさんの人徳にもなってンねん。只、」
「?」
「そういう、云わば猶予期間は人より長いけどな。あの人が、見切りつけた後は容赦ないで。」
「… ……怖そうですね。巽社長は、異能持ちなんですか?」
「いや、あの人は
「… …マジですか」
獣人と戦って勝てる人間が居る?磔三は、信じられなかった。
異能を持つ者の中でも、とりわけ獣人化できる能力というのは戦闘力が格段に高い。平たく云えば、その身に獣の身体能力を宿すからである。そして彼らを制圧するとなると、筋力であれ瞬発力であれ、それらを凌駕する力が必要である。果たして普通の人間にそのようなことが可能なのだろうか。ネットで流布される真偽のほどは分からない、熊と戦って倒した人間がいるというような与太話を磔三は不図、思い出した。
「マァ、せやけど、流石に今回の件はアウトやな。もう佐吉はアカンかもしれへん」
「アカン、とは?」
磔三はテツの横顔に聞く。テツは立膝に乗せた左手の煙草を口に持って行くと、深呼吸するように深く吸った。磔三の方は見ずに話しを続ける。
「元々、佐吉の悪癖は他所の事務所からも不満が上がってたんや。必要以上に相手を傷めつけ過ぎたり、約束を反故にしたり。此れは奴の若さにも関係するんやろうけど、所謂、自己顕示欲の肥大化ちゅう奴やな。つまり、扱い難い奴やった。せやけど今までは、奴の異能と
ウリ
が勝ってたから、皆ガマンして使ってたんや。ウチもそうやった。其処で今回の件や。此の「… ……」
「今回の件は、おそらく奴の
怨み
に起因してるやろう。佐吉には佐吉なりの正義があったんかもしれん。只、周りはどう見るかな。今回で奴の評価は地に堕ちた。そんな奴と今後一緒に仕事しよなんて誰も思わへんからな。つまり、此処から俺等が学べるコトは、日頃の行いが大事や、ちうこっちゃ。」テツは一通り話終えると、前を向いたまま顎で目の前を示した。其れに導かれ磔三も巽と佐吉に視線を戻す。
眼の前では佐吉が身体を震わせながら、巽の方を見上げていた。未だ痛みで身体の自由が利かないようである。
「… …… ……。お前のくすねたクスリは何処や。吐いたらワシも今回の件は水に流したる。はよ吐け」
ウソだ、と磔三は思った。店の看板を汚したようなヤツを放っておくワケがない。
腫れて殆ど開いていない右眼を、佐吉は巽に向けていた。口元が僅かに何度か動いたが、まったく声が出ていない。
「… ……… …」
「…… …なんや?」
巽が椅子から立ち上がり、大股を開いてしゃがみ込む。片膝をついて倒れる佐吉に耳を向けた。震える佐吉の口が、小さく言葉を紡ぐ。
「… ……… … そんなモン…… …
耳を向けていた巽の頭に、一気に血が上る。
巽は大きな腕を振り払うように葉巻を投げ捨てると、其の葉巻がテツの座っているところへ鋭く一散に飛んできた。テツが首をゆっくりと傾けて避ける。ばちっと鋭い音を立てて葉巻が壁にぶつかった後、力無く床に落ちた。
巽が佐吉の足と同じ太さの腕を突き出し、佐吉の胸倉を掴む。
佐吉の身体が玩具のように持ち上げられて、足元が完全に床から離れた。
「ほう。… …まだ、そんな減らず口、喋れるんやな」
今や眼下となった巽の顔を佐吉は見ている。巽の額には、どくどくと威圧的な血管が浮き沈みしていた。
「…… ……。… … ……ア、…アンタの会社、商売、… …できんように、なるな… …」
佐吉の唾液と血で汚れた口元が、歪んだように笑う。
「……。… …馬鹿が」
テツが表情も変えずにポツリと独り言ちた。其れは小さく
ぼくっ、というこもったような、途轍もない重さを伴った音がした。床に目を落していた磔三が視線を上げると、其処には天井へ突き立つように身体をくの字に曲げた佐吉の姿があった。腹には巽の太い左腕が深々と突き刺さっている。
「ゲェッッ」
舞う吐瀉物。胸倉を掴まれ逃げる事も叶わず、続けて、同様の打撃が二発入った。佐吉の胃の中の内容物が全て、床へしこたまブチ撒けられた。
「どこや」
巽が地の底のような低い声で聞いた。激痛による朦朧で、佐吉の全身は細かく震えていた。
「…… ……。… … ……ぶ、… … ……ブルドックは、カエルが怖い… …」
巽の太い腕が大きく弧を描くと、佐吉の身体が操り人形のようにされるが儘となった。
振りかぶった腕が急速に速度を増し、巽が身体全体を使い壁に向かって佐吉を放り投げた。又、間の悪い事にテツと磔三が座っている方の壁に向かって、佐吉がぶっ飛んできたのである。
「マジかよッツ」
「… …!」
二人は飛び退くようにして
不意に、床に尻もちをついていたテツが云う。
「しゃ、社長ッ!こっちの壁も使うんやったら、最初にゆうとってくれよッ。俺等も
此の不意打ちには、テツも流石に肝を冷やしたようである。
「ワシが何処の壁使おうが、勝手やろがい」
巽は既に、つまり
「嗚呼、おっかねぇ。おい、磔三」
テツは立ちあがり、スーツのズボンを両手で軽く払う。
「はい」
「部屋、出るぞ」
「え?でも、まだ尋問が」
「阿呆か。あんだけボコボコにされても、
「… ……」
「向こうの部屋で、ビールでも飲もうや。」
「はい」
扉を開け部屋を出て行くテツに、少し遅れて磔三もついて行く。
部屋を出る間際、振り返ると、壁際に
気が付くと数時間、経過していた。巽商会の事務所のオフィスルームにテツと磔三は居た。部屋の中央の商談用ソファで向かい合って座り、テーブルの上には暫く飲んでいたのだろう、缶ビールの空き缶やつまみの屑が散乱している。壁際には個別のデスクが四つ並んでおり、扉から一番奥には、巽専用のデスクが部屋を見渡せるような位置に置いてあった。
テツが酔い目を時計にやると、時刻はもうすぐ十九時。彼是、巽と佐吉が部屋に籠ってから何時間経つだろうか。
オフィスルームと尋問室は壁を隔てて真横の位置になる為、大きい音ならば此方の部屋まで響いてくる。つい何時間前までは、休みなく壁にぶつかる音や、椅子が倒れる音等が引っ切り無しに聞こえており、テツと磔三は其れをBGMに酒盛りを始めた。だが、何時頃からか、気づいた時にはもう音は収まっていたのだった。
「… ………あれ?」
テツの間の抜けた声に、日本酒をグラスで仰っていた磔三が目を向ける。
「どうしたんですか?」
テツとは対照的に、磔三は全く酔っている様子は無い。
「
「あぁ、そう云えば。私も気が付きませんでした」
酔っていないが一人考え事をしていた磔三が答える。テツは横山やすしのようにズレたサングラスの儘、今しがた開けたばかりの缶ビールを持ち上げ大きな声で話し出した。危うい手元で缶の中からビールが少し零れる。
「おうい、
既に外に出払っていた社員三名も事務所に戻ってきていた。残りの事務作業があるのか、彼らは揃って其々のデスクに向かい何やら残務作業を行っている。其の中で
「えー、もう。一時間前くらいには、もう止んでたんちゃいます?そんなん知りませんわ、俺」
「…ちぇっ。なーにが、そんなん知りませんわ、俺。じゃボケ。ちゃんと音くらい聞いとけ、阿呆。そんなんやから、お前は… …」
すっかり酔いの回ったテツが、ぶつくさと管を巻くように独り言ちた。柿崎は、そんな酔っ払いの相手は面倒だと云わんばかりに、早々に会話を切り上げデスク作業に戻る。
「… ……。…… …
空のグラスを手で弄びながら磔三が云うと、ソファに肩を落として全体重を預けるように座っていたテツが、ピーナッツを投げ口に放り込んだ。
「そうやろな。… …てか、社長は何やってんねん。死体の横で休憩でもしとんか」