第9話  エスケイプ#3

文字数 4,482文字

「おい」
 佐吉(サキチ)がテツを見据えた儘、後ろに居る磔三(タクゾウ)に声を掛ける。既にテツは十(メートル)ほどのところまで迫っていた。
「… …はい」
「俺の知ってること、(さき)、共有しとく。…テツの異能は全身の鋼鉄化やけど、全身ゆうても、鋼鉄化できひんとこもあるみたいや。其れは眼ェと、…其れからおそらく内臓や。昔抗争があったトキ、異能化したテツが、眼から血ィ流してんの見たコトあんねん。其処から想定できるのは、多分、奴の鋼鉄化は、皮膚とか外被を鋼鉄にしよるんやと思う。だから鋼鉄化できんかった眼玉をヤられて傷ついた。おんなじように、身体の内ッ側もナマの儘の可能性がある」
 佐吉が迫りくるテツを正面に見据え、両手を少し広げた。其れから顔を真上へ向ける。視界の端に輝いているのは黄金に輝く丸い月。
「… …せやから、奴の内臓に…お前の毒を食らわしてやれば、…奴を

かもしれん。… …俺が、場を引っかき回すから、…ウマいコト、やってくれ… ……グゥウッッ」
 佐吉が苦しむように両手で身体を抱いて俯いた。俯いて影となっている顔面が、徐々に醜く突起してゆく。両手の指先から凶悪な鋭い爪が伸び、渦を巻くように身体全体を獣の体毛が覆っていった。
「…… …オーケイ。… …十分です、佐吉さん。…此の切迫した状況で、好い作戦(プラン)です。」
 磔三が自身の首元に銃口を当てて引き金を弾くと、装填されているカプセルにどろりと真っ赤な血液が充填された。
「ウガァアアアアッ」
 佐吉が顔面を左右に振りながら、激しく狂い(たけ)る。大きく開いた口からギザギザとした牙が垣間見えた。直ぐ眼の前まで迫っていたテツへの威嚇である。
「… ……(ジャンクス)がッ」
 眼の前に突っ立った佐吉に向かって、テツが左拳をフック気味に放り投げた。コンパクトで鋭い攻撃。其の速さは、普通人(ノーマル)の持つ可動速度を優に上回っている。もしかすると、テツの異能化は外被の鋼鉄化だけではなく、筋肉にも幾らかの能力向上を与えているのかもしれない。佐吉はギリギリまで拳の軌道を見た後、上空に飛んで避けた。獣人だからこそ可能な、人外に宿る反射神経のなせる(ワザ)だった。
「ガウッッ!」
 其の儘、中空から人狼の両腕がテツに襲い掛かる。右、左と鋭い爪の連撃がテツの顔面目掛けて繰り出されたが、其れをテツは両腕で防いだ。佐吉の硬質な爪がテツの鋼鉄の腕にぶつかり、金切りのようなヒステリックな金属音を辺りに響かせた。佐吉は身体を(ひね)ってテツの両腕を思い切り蹴り、テツから距離を置いてアスファルトの上に着地する。
 テツがゆっくりと両腕を降ろしていき、顔面を佐吉に向けた。
「…… …… …」
 テツは既に全身を鋼鉄で覆っていた。今も尚、行儀よくスーツを着込んではいるが、腕や胸、背中や太腿等、鋼鉄化した部分の所々が、服の上からもデコボコと隆起しているのが分かった。顔面も含め、此方から見えている肌のすべてが、鈍く黒い銀色がかっており、箇所によっては銅のように赤黒く変色しているところも見受けられた。
「… …えらい元気そうやないか、佐吉。こんな短時間で、流石、獣人の体力やな」
「グゥウウ…… ……」
 佐吉は四足の身体で横に移動しながら、テツの隙を伺っている。
「…… …せやけど、お前はちょいやり過ぎたわ。社長も、もうお前には愛想つかしてる。ほうやから、巽商会(ウチ)ではもう扱い切らんのや。今回の件のケツだけ巽商会(ウチ)でキッチリ拭いて、お前とはさっさと縁切らしてもらうわ」
「… …… ………」
 そして野生動物のように動く人狼から目を外したテツは、次に磔三を見た。
「… ……ほんで、お前や。磔三」
「…… …」
「お前の御陰で、中々に面倒臭いコトになっとる。… ……一つ聞くが、お前はどっかの組織の回しモンか?」
「…… …いえ。」
「ほな、単独でこんなコトやったんか」
「はい」
「理由は」
「長くなりますので、此処ではお話できません」
「…… …其れが、お前が東京から大阪(ココ)に来た理由なンか」
「はい」
 テツは片手を腰に当てて困惑するように溜息を吐いた。
「ほなナニか。お前は、お前の其の、…… … …よう分からん目的の為に、佐吉を引っ張って逃げた、ゆうコトか」
「はい」
「佐吉のコト狙ってのことか?」
(イエ)、彼とは昼間、初めて対面しました。」
 短髪の頭をガリガリと掻きながら、テツが困ったような表情をして下を向く。
「… …ったく。なんで、よりにもよって佐吉なんか選んだんや。しかも、此の混み入ってるややこしい時期に。……っても、そもそも紹介された磔三(コイツ)を面接したんは俺やし… …。あすこの紹介屋のオッサンは長い付き合いやから、巽商会(ウチ)を裏切って鉄砲玉(ヒットマン)送り込むようなコトするとは考えられへんし。… …ってコトは、此の現状招いた責任は、そもそも此奴を任命した俺にあるってコトか…」
「…… …… ……」
「なぁ、磔三。何があったンか、お前の事情は知らんけどな。此の佐吉(ガキ)を此処へ置いて消えてくれんか。お前はまだ大阪(ココ)に来たばっかの新参やし、其れで此の件は眼ェ(ツブ)ったる。悪いようにはせェへん。せやから… …」
 独り言ちるように話していたテツは、突如、何かに気づいたかのように頭を上げて磔三を見た。
 其処には沈黙した儘、然し口元に薄く笑みを浮かべた磔三の姿があった。テツに向かって、磔三が答えるように少し首を傾けた。
「… ………。… ……」
 テツは呆気に取られた表情をした後、小さく吹き出した。
「… …プッ……。 ……イヤ、スマン。

な。…俺もヤキが回ったかもしれん。知らんうちに、社長の性格が伝染(ウツ)ッてたンかもな。イヤイヤ… …」
 テツが胸の前で両拳を(したた)かにぶつける。重い金属音を響かせながら磔三を正面に見据えた。
「…小手先ばっかで(ウルサ)いよなァ。何時の間にか年食ううちに、しょうもないコトばっかり覚えてもうてた。やりたいコトあンねっやったら、とっとと(ワレ)の力でねじ伏せたら…」
 磔三はテツの襲撃に備えるように半身になって構えた。右手には充填済みの拳銃もどきを握っている。
「… …エエッちゅうねんなッ!」
 テツが爆発的な瞬発力(スプリント)で距離を詰め、一瞬で磔三の眼の前まで迫ってきた。態勢を腰より低くしたテツが、長身の磔三の懐に潜り込む。ひび割れの目立つ顔面で、皮肉的に笑うテツと磔三の目が合った。予想外のテツの素早い動きに、磔三はまったく反応が出来ていない。鋼鉄に包まれた右腕が、深々と磔三の腹へもぐり込んでいった。
「… …グッ… …ハッ… ……」
 テツの踏み込みの速さは勿論異能化による身体能力の向上もあるが、意識的に相手とのタイミングをずらすことや、最短距離を走り込む等の経験則によるものが大きかった。要は戦闘(ケンカ)慣れしているのである。大きな鉛玉が容赦無く腹に衝突してくるかのような、生まれて初めて味わう衝撃だった。眉間に幾つもの稲妻のような皺を作りながら磔三の顔が苦悶に満ちる。あまりの激痛に、磔三は両手で腹を抑えながら地面に倒れ込んでいった。
「まだ寝るのは早いで」
 落ちる磔三の顔面を、テツの鋼鉄の左足がピンポイントで捉えた。肉の潰れるような音を立てて、磔三の身体が二(メートル)ほど向こうへ飛んで行った。
「おっし。… …んで、次」
 テツが後方を振り返るように勢いを付けながら裏拳を放つと、まるで其処にぶつかってきたかのうように人狼の顔面を鉄拳が捉えた。其の儘、勢いをつけて拳を振り抜く。
「ギャウッッッツ」
 傷ついた時の犬のような叫び声を上げて、佐吉の身体がアスファルトへ叩きつけられた。力の勢いはすさまじく、叩きつけられた後も佐吉の身体は地面を数十(センチ)滑っていった。
「…折角、恵まれた獣人の異能(チカラ)持っとっても、操る人間が阿呆やと、どうもしゃあないな」
 吹き飛ばされた佐吉は、フラつきながらも直ぐに四足で立ち上がり、荒い息を立てながらテツを睨みつける。
「ハァッ、ハアッ… …ハァッ… …」
 佐吉は磔三の方に一瞬眼をやる。此方側を足にして仰向けに倒れている磔三の顔は此処からは見えないが、気を失っているのか今のところ動く気配は無い。
 佐吉の獣人の戦闘力は高いものの、テツの鋼鉄化という異能相手には分が悪い。相手の肉体に牙や爪を突き立てて戦う人狼の力では、テツの鋼鉄の身体を貫くコトはできないのである。自身と同じような獣人の力を持った者共が、テツの異能に成す術もなくねじ伏せられていくのを佐吉は何度も目の当たりにしていた。ゲームで云えば、テツの鋼鉄化と云う異能は所謂、防御力が段違い(ダンチ)なのであった。
「…… ハァッ…… ハァッ……」
 佐吉がテツと直接戦うのは、巽商会で初めてテツと会った時以来、実に二年ぶりである。途中で(タツミ)に止められた為、大怪我には至らなかったが、此の時も手も足も出なかったのを覚えている。
「… ハァッ……」
 だが。つい先刻(さきほど)磔三に共有したテツの弱点。此れは今迄誰にも云わず黙っていたコトだった。次回、奴と再戦となったトキの為に、佐吉は秘密にしていたのだ。
 勿論、テツ本人は自身の弱点を知っているだろう。普段からも異能化の際は終始、顔面を覆うように鋼鉄の両腕を構えている。あれは間違いなく、鋼鉄化できない自身の眼球や口内を守っているからだ。
 佐吉は、四足歩行で獲物を眺めるように、テツの周囲をゆっくりと歩きながら考える。此処で肝要なコトは、

だ。自身が弱点を知っているコトを知られない為に、此の情報は秘匿せねばならない。誰にも漏らしてはいけない。だから佐吉は今まで誰にも話さなかったのである。
そして、知らない振りをしてなんとか奴の眼球に近づく。近づきチャンスを見出して、必ず奴の眼球を此の鋭い牙と爪で貫いてやる。
「グゥウウウウウウ… …… …」
 直観的な思考で考えている内に、佐吉の感情の中に再び狂暴な野生が沸き立っていくに連れ、獣人の口からくぐもった鳴声が漏れた。
「へぇー。まだ、やる気なんやな。… …マァ、お前が素直に従ってくるとは思わんかったケド、今日はホンマ、昼間から偉い威勢がエエんやな。… …… …そんなに、巽商会(ウチ)に友達見捨てられたんが気に食わんかったか?えぇ?」
「… …… …! ………」
 其の言葉を聞いて、佐吉の胸の奥底のマグマのような何かが産声を上げたような気がした。
「… …… …」
 テツが其の佐吉の姿を観察するように凝視している。
裏社会(コッチ)に足突っ込んどるクセに、偉い情けないコトゆうとるやないかい。なぁ、佐吉。一つゆうとったるわ。此の世界ではな、死んでもうた奴が阿呆やで?なぁ。死んでもた奴は、生きる知恵がなかったンや。つまり、弱い奴やったんや。そんな阿呆、死んで当然やろ」
 佐吉の狼の瞳孔が、鋭く縦に開いた。
「グ、ガァアアアアアアアアアアッッツ!!」
 奥底に封じ込めていた感情が一気に溢れ出す。其れが咆哮となって、恵美須町の路地裏に響き渡った。佐吉の両手両足の五本爪がアスファルトの地面を恐ろしい程の力で蹴った。あまりの力で右足の小指の爪がバキッと折れ弾け飛ぶのも構わず、佐吉は全速力でテツの眼の前から襲い掛かった。

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登場人物紹介

■氏名:相馬佐吉(そうま さきち)

■年齢:19歳

■異能:人狼

■性格:短気

■其他:満月を見て変身する。満月っぽいモノでも可。

■氏名:崖ヶ原 磔三(がけがはら たくぞう)

■年齢:22歳

■異能:毒血

■性格:冷静沈着

■其他:知人にカスタムされた通称『銃もどき』に血液を装填して銃撃する。

■氏名:浅田 百舌鳥(あさだ もず)

■年齢:31歳

■異能:外被鋼鉄化

■性格:マイペース

■其他:あだ名は鋼鉄(テツ)

■氏名:浅川 ヒス(あさかわ ひす)

■年齢:?

■異能:不老長寿

■性格:狡猾

■其他:苗字と顔がよく変わる。

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