第1話 はじめに

文字数 3,145文字

5月31日まで更新していた『女の光と影』というタイトルのアトリエ。

【エッセイ賞】の募集を知り、応募するためにアトリエを立ち上げた。
【エッセイ賞】に応募しようとするくらいだから、書くことが好きで、
「いつか○○に」
という妄想を抱いていることは隠せない。

7歳の時から日記を書き始め、10歳の時に小説らしき物を書き出し、18歳で初めて投稿文が全国紙の読者欄に掲載されて以来、いつか○○に、という思いが心の片隅に今もある。
初めて自分が書いた文章が活字になった時の喜びは、私にとって極上の麻薬となった。
全国紙で実名掲載。18歳という若さもあって、周囲の反応は凄かった。
『書く』という行為そのものの歴でいえば、その時点ですでに11年のキャリアがあることになる。
同年代と比べたらそれなりのクオリティだったし、全国紙の読者欄の投稿者の中では18歳というのはかなり珍しかっただろう。
そもそも掲載されることが難しいと言われるのに、私の投稿文は毎月のように掲載された。
試しに『女性限定、一日一人』の、最難関といわれる読者欄に投稿してみたら一発で掲載されたから、私の妄想はさらに大きくなってしまった。
全国紙の場合、掲載前には必ず本人確認や内容について厳密な確認の電話が来るのだが、皆さんから、
「毎回素晴らしい原稿をありがとうございます」
とか、
「いつもお世話になっております」
と言われるようになり、常連感が半端なかった。
掲載されると謝礼が届くので、それもまた魅力だった。
新聞だけではなく、雑誌にも投稿を始めると、より簡単に掲載された。
雑誌は新聞より審査が甘めなのか、投稿すれば全て掲載されるような感じだった。
打率9割といったところか。
雑誌によっては、確認電話がない場合もあるが、半分くらいは新聞社と同じく掲載前に電話が来た。
雑誌編集の方は新聞社の方より饒舌で、皆さん口々に私の文章を褒めてくれた。
もの凄く褒めてくれた。
こうなってくると、もう私の思考は止まらない。
20歳の時に、
「いつか○○に」
という思いは、手の届く範囲にあるように思ってしまった。
すでに社会人として働いていたけれど、仕事している時間がもったいないと思い始めてしまった。
本腰を入れて毎日書けば、半年くらいで○○になれると本気で思ってしまった。
大企業に勤めていたのに、私はあっさりと辞めてしまったのだ。
今となっては、当時の私をぶん殴ってやりたくなるが、その時は本気で○○になれると思い込んでいたのだ。
誰か本気で止めてほしかった。
いや、父は必死で止めてきたし、先輩や同僚たちからも、なぜ辞めてしまうのかと聞かれたけれど、半年か、遅くとも1年後には○○になって華々しくデビューしているであろう私を見てほしいと本気で思っていた。
なんて浅はかな事をしてしまったのだろうと、今になって後悔ばかりしているけれど、あの当時はその決断以外の選択肢は考えもしなかった。
「若い今こそチャレンジするのだ!」
鼻息も荒く、そう思っていた。
新聞社や雑誌社の方々からの称賛の言葉が、私の背中を押してしまった。

あれから随分と時間が過ぎた。
今も時々、新聞や雑誌に投稿文が掲載されることがあり、その度に確認の連絡が来る。
今はもう電話連絡は稀で、基本はメールで来る。
そこには大抵、文章を褒める言葉が書かれてある。
「素晴らしい原稿」
とか、
「選考作品の中でひと際光る」
などなど。
昔と変わらぬ称賛。
冷静に考えれば分かることだ。
ある程度良いから掲載するのであって、電話口で言う言葉やメールに書いてある称賛の言葉は、掲載するにあたっての、枕詞なのだ。
挨拶の一つともいえる。
それをいちいち真に受けてはいけないのだと、今の私は承知している。
でも、あの当時の私は間に受けてしまい、会社を辞めて1年くらいひたすらに書いていた。
いや、ひたすら、ではなかった。
1日数時間、短い時は1時間くらいだけ書いて、あとはずっと本を読んでいた。
映画やアニメもよく観ていた。
要は、ただの引きこもり生活を送っていた。
打率9割を自信にして。
新聞や雑誌への投稿文は掲載される。
しかし、肝心の小説はさっぱり箸にも棒にも掛からなかった。
そもそも一次選考すら通らない。
毎月の収入は、謝礼金のみ。
良くて数万円。数千円という月も多々あった。
これでは生活していけない。
実家暮らしだったけれど、それでもこれは足りなさ過ぎる。
失業給付金の支給が終わり、貯金が無くなってしまい、私はまた渋々働くことにした。
本当に、渋々だ。
もうすぐ○○になるのに、そう思っていたから。
仕事を辞めて時間があった時、大して書かなかったくせに、いざ働くことを再開したら、やっぱり書く時間がなくなり、それを理由に書くことから遠ざかってしまった。

そうして時間が過ぎてしまい、○○になる、なれるという私の思いはしぼんでしまった。
消えてしまったと思っていた。
ただ、書くこと自体は止められず、細々と日記やエッセイを書いてはいた。
エッセイは、たまに賞を頂くことがある。
その度に、ほんの少しはあるのかな? と思うときがある。
ほんの少しの『才能』のかけら。
でもそれはやっぱり、気のせいなのかもしれないと、思い直す。
今現在に至っても、私は○○にはなれていない。
もう恥ずかしくて、具体的に○○を表現できない。
比較的早くから○○を目指してきて、その尻尾すら掴めなかった。
いつか○○になれる、というのは、私の場合、ただの幻想だった。

年とともに諦めることが上手くなり、書くことはもう、自己満足の域に達している。
心に溢れてくる感情を、文章で外に出しているだけ。
でも、過去に文章について何かしらの感想や反響を味わってしまっている分、誰かに読んでほしいという下心が残っていて、このサイトにたどり着いた。
こうしてアトリエを開いて自分の文章を上げられるのは、とても有難い。
さらに、日々誰かが読んでくれていることを知れるのが、至福の喜びとなっている。
さらにさらに、誰かがアトリエをお気に入り登録して下さった。
その方に読んで頂くためにも、新作を更新しようと思っていたけれど、お気に入り登録して下さったタイミングが、【エッセイ賞】の締め切り日と重なってしまった。
【エッセイ賞】の選考対象になるためには、6月から更新してはいけない。
アトリエは〈完結〉にして、手を加えてはいけない。
せっかく登録してくださった方ができたのに。
何とも歯がゆい思いが交差した。
自分が○○にはなれないことは痛感している。
ならば、選考を捨てて、登録して下さった方を大事にすべきではないか?
読んでみたいと思った方を大切にしたい。

数日悩んで、結局私は○○の尻尾を追いかける方を選んでしまった。

こうして新しくアトリエを立ち上げたのは、再び読んでほしいという思いからだ。
私には小説を書く才能はないと思う。
友人に読んでもらっても、感想は惨憺たるもの。
「エッセイは凄く良いのにね」
と、よく言われる。
ならば、エッセイを武器にして○○の尻尾を追いかけてみようかと思ったら、
「逆じゃない? 有名人が書くから読みたいと思われるけれど、素人が書いたエッセイに需要なんて無いと思うよ」
と言われてしまった。
ああ、そうか。そうだよね。
至極まっとうな意見で、頷くしかなかった。
でも、お気に入り登録して下さった方がいた。
有難く、とても嬉しかった。
その方に、再び読んでほしくて、このアトリエを立ち上げた。
願わくば、1人でも多くの方に読んで頂けたら、と思う。
何とか読める程度の文章で書いていこうと思う。
ただし内容は、女の、いや、私のドロドロとした感情を表現しているので、良い気分にはならないかもしれないけれど、読んで頂けたら、という願いをこめて、また新たにエッセイを上げていこうと思う。


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