第23話 砂の手 ちか

文字数 3,196文字

めぐみの直談判の翌日、予想通り、ちかに呼び出された。
「昨日のお話なんだけど、あなたの気持ちを聞かせてほしい」
と。
「ああ、来たな」
と思った。
わずかな救いは、めぐみより先に呼び出されたことと、ちかと二人で、という事だった。
「二人のほうが、本音が聞けると思って」
そう言われた。
願ったりだが、相手はちかである。
信用することはできない。
三月から五月下旬までされた仕打ちを、忘れられるはずがない。
だが、このままめぐみと組み続けることも耐え難い。
ちかは聞いてきた。
「管理業務、大変なのは分かっているのよ。誰にでもできる業務じゃないのよ。だからこそ、私はあなたにお任せしているの。全幅の信頼を置いているからなのよ」
ものは言いようだな、と思った。
今年二月までの私なら、それでもこの言葉を信じただろう。
お世辞、おだてと分からずに、舞い上がっていただろう。
ひと際難しい業務だ。
「私にしかできない? 当然よ。よく分かってくれてますね!」
などと、悦に入ったことだろう。
でも、今は違う。
全幅の信頼を置いている、それはすなわち放置、だ。
お任せ、ほったらかし、と同意語だ。
今なら分かる。
だから、ちかを信用することはできない。
ちかは、さらに続けた。
「めぐみはああ言っていたけれど、あなた自身はどうなの? 管理業務を実際に行っているあなたも、辛いと思っているの? 管理業務から外れたい? ただ処理するだけの人でいいの?」
ちかは上手いな、と思った。
人と違う業務をする貴族階級から、ただの平民へなり下がりたいのか、と聞いているのだ。
私の、人の優越感をうまくくすぐってくる。
せっかく貴族階級にいるのに、わざわざ自分から平民へ下りるなんで嫌だ。
本来平民の立場だが、選ばれて貴族階級にいるのに、しかも自分の意志ではなく、めぐみに巻き込まれて引きずりおろされてはたまらない。
相手がちかだから、自分の言葉を裏でどう利用されるかわからなかったが、私は意を決して本音を言った。
「いまのまま、管理業務を行いたいです」
ちかは顔を引き締めて言った。
「だったら昨日のあれは何なの? 私に事前の相談もなくいきなりあんなことを言い出して。すごくショックだったのよ」
ちかのショックなんてどうでもよかったが、ここが分岐点だと思った。
貴族階級で生き残れるか、平民としてまた飛ばされるか。
私は神妙に頭を下げた。
「お顔に泥を塗るようなことをして申し訳ありませんでした。めぐみのことを止めたのですが、聞かなくて」
そう言った途端、ちかの顔がほころんだ。
「やっぱりそうなのね! そうだと思っていたわ。あなたはあんなこと思っていないのよね?」
念押しされ、私は大きく頷いた。
それは本当だったから。
ちかは続けた。
「めぐみに巻き込まれたのよね? これからもあなたに全てお任せしていいのよね?」
私は再び大きく頭を下げて、ちかが欲しがっている言葉を言ってやった。
「ぜひ私にお任せください。私はちかさんを信頼してます。ちかさんの元でこれからも頑張りたいです」
ちかは、満面の笑みを浮かべた。
昨日のあの怒り顔とは別人だ。
「私こそ、これからもよろしくお願いするわね。私を信頼するって言ってくれて嬉しいわ。そう言ってくれたから聞くけれど、めぐみと組むのってしんどくない? あなたに対する言動が上から目線で酷いなって最近感じるのよ。他の管理者も言っているのよ。どう? めぐみと一緒で辛くない?」
どの口が言ってるのか、と私は腹の中で毒づいた。
そもそもめぐみを私に押し付けてきたのは誰だ?
問題児、狂犬と知ってて、押し付けてきたのは誰だ?
ちか自身であり、他の管理者たちだろう。
自分たちでは手に負えないから、逆らえない平民に押し付けてきたくせに。
本当に、ここの管理者たちは腐っている。
よくも、
「めぐみと一緒でしんどくない?」
だ。
しんどいに決まっているではないか!
昨夜、ストレスで奥歯か欠けてしまうほどにしんどいのだ!
「今さら何を!」
と、憤りを感じたが、ここは踏み外せないと思った。
今このタイミングを逃したら、私はずっとめぐみのストレスから逃れられない。
めぐみと組むことを回避できるのは今しかない。
そう思ったから、私は応えた。
「しんどいです。毎日しんどくで憂鬱です。なぜめぐみはあんなに偉そうなんでしょうか。ちかさんに対しても偉そうですよね。それはいけないことだと思います」
ちかは、聖母マリアのような微笑みを浮かべた。
「めぐみには、他チ-ムに行ってもらいましょう」
いきなりその発言がくるとは思っていなかった。
私と離してくれれば助かると思ったが、他チ-ムへ出すとは。
ある意味、さすがちか、だ。
「そのほうがいいでしょう? 同じチ-ムだと、やっぱり何かしら関わりがあるから、ストレスを感じると思うのよ」
私は、心の中でめぐみを分離した。
めぐみが他チ-ムへ行ってくれれば、何よりだ。
あんな女を庇う必要などない。
私はちかにはっきり言った。
「そうできるなら、そうして欲しいです」
ちかはにっこりと笑った。
「私に任せて。全力であなたが快適にお仕事できるようにするわ」
そう言ってちかは右手を差し出してきた。
私は文字通り『砂の手』を掴んだ。
私とちかは固い握手をして微笑み合って頷きあった。
密約の成立だ。
「ああ、こうやって私も三月に突然出されたのだな、こんな風にお気に入りたちとちかは密約を交わしたのだな」
そう、実感した。
私との密約が終わると、ちかはめぐみを呼び出した。
昨日の直談判は、めぐみの独断なのか私も同意見だったのかを聞いたらしい。
刑事が証言の裏を取るような行動に、ちかの怖さを感じた。
幸いなことに、めぐみは胸を張って直談判は自分だけの判断で私は付いてきただけだと言った。
私にあんな素敵な決断力はないから、自分が動いたのだと言ったそうだ。
めぐみにしてみれば、ちかに私の無能さをアピ-ルして、午後から管理業務をちかに移してもらえると思ったのだろう。
めぐみのバカ正直な証言によって、ちかは午後からセンタ-長と話をし、翌日からめぐみは他チ-ムへの異動が決まった。
ちかのチームが四チ-ム目だっためぐみは、最後の一つ、五チーム目に翌日から異動となった。
異動を言われて初めて、めぐみは自分の思惑が潰されたことを知った。

めぐみが五番目のチームに異動させられて一か月が過ぎた。
ほんの一時、めぐみと上手くやれていた時期があっただけに、今回の異動に関して私にあれこれと聞いてくる人がいる。
ちかの、気に入らない者は飛ばすことを知っている人は、めぐみもその目に遭ったと思うだろうが、何人かの人は私がめぐみのことが嫌になり、ちかが要望を聞いたのだと裏で話をしているらしい。
私がめぐみを裏切って、ちかに泣きついた、と。
半分は当たっているから、反論はしない。
経過はどうあれ、私は『砂の手』を掴んだのだ。
『砂の手』と分かっていたが、掴んだのだ。
『砂の手』のあやふやさより、めぐみから受けるストレスの方が辛かったからだ。
追い出されためぐみのことを、可哀そうと言う人がいる。
でも、もともとそれらの人たちも、問題児めぐみのことを嫌っていたのに。
めぐみのことは嫌いでも、何かあると面白おかしく噂が広まる。
多分いまは、めぐみをサクッと飛ばしたちかよりも、めぐみを裏切ってちかに泣きついた私のことを悪く言う人の方が多いだろう。
でも、そいつらに言ってやりたい。
あなた達は、めぐみのマウントに耐えられるのか? と。
あのストレスに耐えなければならなかった私の気持ちが分かるのか? と。
ここに正義の味方はいない。
いるのは、押し付けと噂と悪口を言う者だけ。
まあ、どこも基本、そうなんだと思う。
だから今回、私はちかに感謝している。
マウント女を飛ばしてくれて感謝している。
私にはその権限がないが、ちかには、それがある。

たとえその手が、掴んだ端から消えて無くなる『砂の手』であっても。




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