第21話 友だちではなかった

文字数 3,744文字

今の会社に入社した時に、智香子先輩と出会った。
智香子先輩は新人研修の担当者だった。
この会社に入社したことを早々に後悔するくらい仕事内容は酷かったし、業務を教えてくれる先輩たちはパワハラ一歩手前の人たちばかりだった。
こんな状況において、智香子先輩だけが私たち新人に優しかった。
研修中、どんなに頑張っても否定や責めの言葉ばかり投げ捨てられる中、智香子先輩だけは、
「よくできているわよ。頑張っているわね」
と、肯定や褒めの言葉をくれた。
私たち新人にとってそれは、最高の癒しと励みの言葉だった。
智香子先輩が、女神様のように思えた。
私は必然的に智香子先輩を慕うようになり、入社二か月後には、智香子先輩とプライベートでお茶やご飯に行く仲になっていた。
お互いのことを、下の名前で呼び合うようになっていた。
その後、研修を何とかクリアした私は智香子先輩とは別部署に配属されたが、定期的に連絡を取り合い、数ヶ月に一度は晩ご飯を食べながら、お互いの近況を語り合ってきた。
そんな関係が五年も続いた。
私は智香子先輩のことを『先輩』というよりは『友だち』だと思うようになっていた。
それは智香子先輩も同じだと思っていた。
だから昨年末、智香子先輩の部署が繁忙期に突入し、キャリアの浅い部下たちばかりで業務が滞って困っていると聞いた時、力になりたいと思った。
「すぐにでもこちらに異動してきてほしい」
と言われて、すぐさま異動願いを出した。
智香子先輩の力になれるなら、そう思った。
『友だち』のためなら、そう思った。
異動願いが受理され、昨年末から私は智香子先輩の部署にいる。
五チームに業務が分かれているが、当然のように私は智香子先輩のチームに配属された。
ただ、もう一人同じ日に異動してきた人がいた。
この人もまた、智香子先輩が声を掛けた人だった。
私はこの寺田という人のことが、好きになれなかった。
自己主張が激しくガサツで、ミスは絶対に認めない人だったからだ。
私はすぐさま智香子先輩に、正直に言った。
寺田を抱えることは、後々リスクになるかもしれない、と。
「そうなのね。ちょっと注意しておくわね」
智香子先輩は大きく頷いてくれた。

一か月もたてば業務内容もだいたい把握できるようになり、そうなると、個人の出来・不出来も見えてくるようになった。
十三人のチームメンバーの中で、気になる人が出てきた。
中村・川本・須藤。
この三人は常に仕事が遅く、毎日残業していた。
いや、残業できるように時間を調整して、毎日二時間以上残業していた。
いつの間にか、寺田まで一緒になって残るようになっていた。
彼ら以外は他チームも含め全員定時で帰ることができているのに、だ。
会社からは一分刻みできちんと残業代が出る。
しかも割増である。
毎日二時間・三時間と残業しているからかなり稼げる。
中村・川本・須藤、そして寺田の行動は明らかに残業代を稼ぐためのものだった。
他のチームの管理者から、智香子先輩に問合せもきた。
「なぜこのチームの、しかも特定の者だけこんなに残業が多いのか?」
問われる度に智香子先輩は小柄な身体をさらに小さくして、
「みんな頑張っているんです。業務量が多くて、仕方がないんです」
と言っていた。
智香子先輩は優しいから、彼らを庇っていると思った。
「彼らはわざと残業している。智香子先輩の足を引っ張っている」
私は智香子先輩にそう言った。
智香子先輩は、再び大きく頷いてくれた。
「本当よね。他のみんなは定時で帰れているものね」
私は『友だち』として、智香子先輩の力になりたかった。
管理者としての智香子先輩の評価を、彼らのせいで落としたくなかった。
二月に入り、様子がおかしくなった。
三人で行っていた業務を、何の説明もなく突然私一人で行うようにされた。
繁忙期の真っただ中で、残件数はあっという間に千件を超えた。
智香子先輩はそれを知っているはずなのに、ヘルプはもらえなかった。
三月三日、私は千件の残数を抱えた業務とともに一人、他チームに追い出された。
何の事前説明もなく。
智香子先輩は普段通りの柔らかい口調で、
「今日からあちらのチームの座席に座ってね」
と言われた。
専用で使っていたパソコンやキャビネットは朝出勤した時点で移動されていた。
「寺田さんと中村さんが昨夜移動しておいてくれたのよ」
とも言われた。
しかも、座席だけ他チームに出されたが、在籍は智香子先輩のチームのままにされたことで、移動先のチームの一員にはなれず、だから私は移動先のチームの朝礼には出られず、かといって、智香子先輩のチームの朝礼に出ることは、
「あなたの座席はあっちだから」
と、智香子先輩自身から拒否された。
私は突然、智香子先輩から切り離された、完全に。
でも在籍だけは移さない。飼い殺し。生殺し。
これまでの五年間、密に連絡を取っていたLINEに何の連絡もなかった。
たまりかねて私がLINEを入れたら、
「あなたはよく出来る人だから、安心しているのよ」
との返事だけがきた。
私が聞きたいのは事の経緯だ。
智香子先輩の気持ちだ。
そもそも私をこの部署に呼んだのは誰だ? 
答えは、この仕打ちを見かねて声を掛けてくれた、同じチームの村田さんと野村さんと話せたことで判明した。
会社帰りにファミレスで落ち合った。二人から問われた。
「智香子先輩の気に障ることを、何かしたのか?」
と。
これは明らかに嫌がらせで、パワハラだと二人は強く言ってきた。
そう言われても、私には全く心当たりがなかった。
私とは逆に、二人は智香子先輩と仕事を通してのみ関わってきた。
その二人が口を揃えて言った。
「智香子先輩は、仕事ができない」
と。
私も今回改めて同じ部署で智香子先輩を見ていて、確かにそう思った。
智香子先輩は優しいだけで、仕事はできない人だな、と。
すると二人は核心に迫ることを言った。
「智香子先輩が優しいのは、お気に入りの人たちだけですよ」
と。
「中村・川本・須藤。あと、あなたと一緒に来た寺田。この人たちのことがお気に入りだから、この人たちの事を智香子先輩に悪く言わない方がいいですよ」
と。
私の頭と心がサーッと冷えていった。
私は村田さんと野村さんに話した。
私が智香子先輩に忠告した色々なことを。
まさか彼らが智香子先輩のお気に入りだとは思わなかったから。
あんなに仕事ができない人たちを、智香子先輩が気に入っているとは思っていなかったから。
私が話すと、二人は納得という顔をした。
「それですね! 間違いなくそれですよ!」
「思いっきり地雷を踏んでますよ!」
そう言われた。
地雷? 
そもそも、私は至極まっとうな意見を言っただけだ。
しかも私と智香子先輩との間柄である。
離れていても途切れなかった五年間の友情である。
それが、こんなことで切り離されてしまうというのか?
茫然としている私に、野村さんが言った。
「友だちと思っていたのは、あなただけじゃないですか? 智香子先輩はそこまであなたのことを友だちとは思ってなかったんでしょう」
その言葉に、村田さんが大きく頷いた。
そうなのか? そういうことなのか?
確かにそう思えばこの現状も、何のフォローもない智香子先輩の態度も納得できる。
村田さんと野村さんの話によれば、私が踏んだ地雷源たちのことを、智香子先輩は本当に気に入っているのだそうだ。
そして、智香子先輩自身が、稼ぎたいから残業をしたい人とのことだった。
村田さん曰く、
「仕事できない類友だと思いますよ。だから余計、あなたのことは友だちと思っていないでしょう」
とのことだった。
「私の部署に来て」
と頼まれて、実際異動してきた私の友情は、空中に放り出されてしまったのだ。
そういえば、智香子先輩が色んな所でよく言っていた。
「中村さんも川本くんも須藤くんも寺田さんも、ホントみんないい子だわ」
と。小首を傾げてそう言うのを何度も聞いた。
そしてやっと気づけた。
『いい子』と言う人の中に、私の名前がないことに。
それが答え。
それが智香子先輩の私に対する思いなのだ。
始めから私に対して友情なんてなかったのだ。
もろくも友情が崩れたのではなく、はなから無かったのだ。
だから呼び寄せておいて、気に入らないから放り出す。
「何の罪悪感も持ってないですよ、あの人は」
野村さんが、メロンソーダを飲みながら言った。
村田さんがカフェラテを啜りながら大きく頷く。
砂糖二杯入れたはずのホットコーヒーが、ブラックコーヒーのように苦かった。
顔をしかめた私に向かって、野村さんが言った。
「あんなババアのせいで辞めたら駄目ですよ。ババアに負けたら駄目ですよ。私たちはちゃんと見てますから。見る人は、きちんと見てますから」
「一人じゃないですから」
村田さんが続けた。
そして野村さんが付け加えた。
「かといって、私たちのことも信用したら駄目ですよ。私たちも人間なんでね。いつなんどき裏切るか分からないですからね」
村田さんが続けて言った。
「友情なんて、持たない方がいいですよ」
と。
私を慰めて励ましているのか、いないのか、不思議な事を言う二人のことを面白いなと思った。
二人のおかげで、もう少し勤めていようかと思えるようになれた。
そう思わせてくれた村田さんと野村さんに、私は淡い友情を感じつつあるが、でもそれは止めておいた方がいいのだろう。
 
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