第22話 マウント女 めぐみ

文字数 3,900文字

先月半ばに、右下の奥歯が欠けた。
二週間前、突然全身に酷い蕁麻疹がでた。
蕁麻疹に関してはブタクサアレルギ-なので、それが原因だと思った。
ただ、それにしては蕁麻疹の状態は今まで見たことないほどに酷くて、ブタクサだけが原因なのか疑問に思った。
奥歯は治療のため、歯医者通いを今も続けている。
その歯医者で担当医から言われた。
「強く噛みしめすぎが原因でしょう。何か強いストレスがありましたか?」
言われて、大きく頷いた。
めぐみのことが真っ先に思い浮かんだ。
蕁麻疹が治らないので、友人とのランチの約束をキャンセルしたのだが、その際にも言われた。
「蕁麻疹の原因に、ストレスが関係あるらしいよ」
私は先月までの三か月間、めぐみに対するストレスにひどく悩まされていた。
奥歯が欠けるほどの噛みしめも、酷い蕁麻疹も全てめぐみに対するストレスが原因だとすれば、納得できた。

三か月前、突然私はめぐみと組むことになった。
私が管理している仕事を、めぐみとやれとの事だった。
私が管理している仕事量が多いので、めぐみをヘルプで付けるとの体だった。
それは嘘ではなかったが『めぐみ』という人選には作為を感じた。
部署内でめぐみは問題児なのだ。
七十名ほどで構成された五チ-ムあるこの部署で、めぐみは二年間で三チ-ムと揉めた女だ。
背が高く、堀の深い顔立ちのめぐみは美人だが、とにかく口が悪い。
感情の起伏が激し過ぎて、怒りや不満をそのまま口に出す。
動作も荒々しく、ドアの開閉や物を置くときの音に配慮がなくて不快感をこちらに与えてくる。
こんなめぐみを私は押しつけられた。
管理者たちはみな、
「あなたなら上手くやってくれそう」
と言ってきた。
「嘘つけ! 自分たちが手を焼いて扱いづらいからだろう!」
そう思ったが、立場上拒否できなかった。
組み始めた当初、めぐみは大人しかった。
私の管理業務が大変なのが分かるから、処理や雑用は全て自分がやるからと謙虚に言ってきた。
意外に使える人かもしれないと思ったが、一か月後に転機がきた。
私が休みを取った日、私の代わりにめぐみがその日一日だけ管理業務をしなくてはならない。
前日からめぐみはそのことを不安がっていたが、やってほしい最低限のことをしてくれればいいから、そこを伝えておいた。
たった一日のことだ。
翌日出勤してみると、よりによってその日にクライアント様から数件の問い合わせがあったらしく、めぐみは全く対応できなかったらしい。
それを聞いて早速私が対応し、めぐみにもやり方を教えた。
不安をなくすために教えた。
が、めぐみの不安は、不安ではなかったのだ。
私にできて、自分ができなかったことに対する対抗心。
日々、管理者たちやクライアント様から問い合わせを受ける私への嫉妬。
張り切って架電した顧客とめぐみがいきなり揉めてしまい、電話を代わった私が上手く収めたことへの劣等感。
そういったものがめぐみの中でどんどんブレンドされて大きくなっていったのだ。
電話対応に関しては、私は他部署で六年間携わり、そこで応対品質ナンバ-ワンを獲っていたから、慣れやキャリアが違う、そこを意識してもしょうがないと伝えたが無駄だった。
そもそもめぐみはこの二年間で三チ-ムと揉めている女だ。
根本的に性格に難があるのだ。
めぐみは、私の想像以上に自尊心が高く、自分のミスを指摘されることに怒りを覚えるタチなのだ。
さらに、きっとめぐみは当初、私を見くびっていたのだと思う。
大人しくてポワンとした雰囲気の私を、自分より下にみていたのだろう。
「こいつなら、簡単。大したことない奴」
と思っていたのだろう。
実際、そんな風なことを言われもした。
「見た目や雰囲気と違って、仕事にはストイックですね」
と。
私的にはよく言われることなので、その時は特段気にもしなかったが、これがめぐみの本心だったのだ。
自分より下と見くびっていた私に歯が立たないと感じ始めたのか、二か月目からめぐみの態度がどんどん尊大になっていった。
「管理をやらせろ。処理件数を均等にしろ。絶対ミスしたくないから、自分の分のチェックだけはしっかりやれ。ミスは自分のせいじゃない」
何様のつもりだ?
このあたりから、私は日々めぐみへのストレスが強くなっていった。
管理をやらせてみたが、二日でアウトだった。
そもそも私が行っている管理業務は、部署で一番優秀な管理者でもできなかった業務だ。
ここでなら思いのままに言えるから書くが、私の人並外れた記憶力がないと無理な業務だ。
それをやらせろと言い、結局できなかっためぐみは、ますます私に対してマウントを取ってくるようになった。
毎日隣の席で、私が管理者たちやクライアント様からあれこれ頼りにされたり、そもそも皆が私に要件を問い合わせてくることが憎たらしかったのだろう。
私の事を、下にみているから。
なのに、勝てないから。
私から言わせれば、そもそも論で、なぜ私を下に見るのかが分からない。
これだけの差を感じるならば、それはすなわち私がめぐみよりスペックが上ということではないか。
だから、対抗心や妬みを抱くのではなく、素直に認めればいいではないか、私の事を。
白旗を上げ、崇め奉ればいいではないか。
「凄い人だな。出来る人だな」
それでいいではないか。
でも、めぐみはそれができない。
私の想像以上の自尊心があるからだろう。
とうとう先月半ばにめぐみは、
「役職者でもないのに、管理業務を行うこと自体がおかしい」
と言いだした。
そしていきなり一番トップのセンタ-長に直談判しに行った。
私は止めた。
チ-ムの管理者を飛ばしてセンタ-長へ直談判は駄目だと。
めぐみは聞かなかった。
うちのチームの管理者は、あの『砂の手』である、ちかだから。
「あんな奴に言っても意味がない」
とめぐみは鼻息荒く乗り込んでいった。
同じ業務を行っている者として、私も同席させられた。
その場には、センタ-長と、センタ-長が呼んだ、ちかもいた。
この時点で終わった、と思った。
めぐみは直接センタ-長に訴えたかったのだ。
ちかを抜きで。
なのに、ちかがいた。
センタ-長が呼んだのだ。
めぐみは、揃った面子の前で言わざるをえなかった。
めぐみは言った。ひるむことなく、さも正論だという口調で。
私を管理業務から外せ、と。
管理業務はちかがやれ、と。
管理業務は管理者が行うべきだ、と。
確かに、一理ある。
が、チーム運営はチ-ムの管理者が決める。
その管理者であるちかが、私に任せているのだ。
さらに、部署で一番優秀な管理者も、私を指名している。
めぐみだけが不満を抱いていただけのこと。
単に、私との差が面白くなかっただけのこと。
さらに言えば、センタ-長はあの『ぼんくら男』だ。
めぐみの訴えを全く理解できず、江戸時代の農民の訴えを門前払いする奉行のように、
「なんで俺が呼び出されたのか、分からんねんけど? いまの体制に何の問題があるん?」
と口にした。
誰が相手でも、この『ぼんくら男』は同じことを言っただろう。
農民の決死の訴えを聞けるだけの度量が、この男にははなから無いのだから。
訴えが終わって、私たちだけが退席させられた。
『ほんくら男』は、ちかと二人で話をするという。
センタ-長とチーム管理者として、話をするという。
まあ、当然のことだろう。
この時のちかの怒り顔をみて、私は暗澹たる気持ちになった。
「ああ、また、地雷を踏んだな」
と思った。
ここに再入社して、ちかのチームになって、いきなりこの管理業務を覚え始めた今年の三月を思い出す。
一月・二月と、私は『砂の手』のちかを信じてあれこれ言った。
良くない点を指摘した。
そして三月始め、私は何の説明もなく、いきなり他チ-ムに追い出された。
あの頃、私は知らずに地雷を踏んでいたのだ。
ちかのお気に入りの子たちを悪く言ったのだ。
仕事ができないと。
効率が悪いと。
そして、私は飛ばされた。
この部署に来てほしいとちかに乞われ、わざわざ六年のキャリアをいったん捨てて、再入社してここに来た私を、ちかは飛ばした。
気に入らなかったから。
自分のやり方に文句を言ったから。
ちかは、そういう人間なのだ。
あの時は信じられなくて、私の置かれた状況が理解できなくて、ちかを恨んだり自分を嘆いたりした。
たくさんの人が私に同情し、慰めてくれた。
でも、それだけだ。
ここは、そういうところだ。
チ-ム内の全ての決定権はチーム管理者にあり、管理者からの要望の最終決定権を持つのはセンタ-長だ。
管理者は『砂の手』のちかであり、センタ-長は『ぼんくら男』だ。
そして、この二人は部署内で一番仲がいい。
最初から終わっている話だ。
最初から、詰んでいる話だ。
この、直談判に言った二日後に、私の休みが入っていた。
だからめぐみは動いたのだ。
自分の訴えが認められると思って。
要望が通って、翌日から管理業務はちかに移ると思って。
私は心の中で納得した。
「ああ、だから今日、いきなり直談判に行ったのか。翌日から管理業務をしなくてすむように。ちかよりセンタ-長に言えば、即決されると思ったのか」
私より十五センチ背が高いめぐみの背中を見つめながら、
「馬鹿な女だな」
と思った。
地雷を踏んだことに気づかないとは。
あれが地雷だと思わないとは。
めぐみの思惑通りにはいかないことが、会議室に『砂の手』と『ぼんくら男』の二人が残った時点で明白だった。
建前上は私のために、私の負担を減らすためにと言っていたが、本当は自分が難しい管理業務をしなくて済むために動いたのだと、この時私は悟った。
二日後に私の休みが迫っているから急いで動いためぐみに、巻き込まれてしまったな、と痛感した。

右下の奥歯が欠けたのは、この日の夜だった。






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