20 熊野と熊野と熊曽・前篇

文字数 3,367文字

 熊野の地名の所以は、諸説があります。
 古事記の神武東征で、大熊が棲む地の説。大熊は蛮族のトーテムといわれます。
 もとは隠野(コモリノ)、籠野(同前)で、神が隠(籠)る地の説。
 もとは隈野(クマノ)で、川の曲がりこんだ地。または山の奥まった地の説。
 もとは隅野(グウノ)で、広い地、豊かな地。端の地、果ての地。
 なんとなく似たイメージがありますが、[隅]と[隈]は似た字、似た意ながら微妙に異なります。オオスミ国は、大隅国であり、大隈国でありません。[隅]は広い地、豊かな地、果ての地の、俯瞰のイメージ。[隈]は濃いと薄い、明るいと暗いの境目という意があります。同意異字の暈は、くらむ、ぼかすの意もあります。川の曲がりこんだ地、山の奥まった地。川上、山奥の入口。目の前のイメージ。先は神の棲む領域。歌舞伎で、境目をはっきりする、表情を見やすくする隈取という化粧があります。

 じつは出雲国の熊野(島根県松江市熊野)の地名が移された説もあります。
 熊野は音読でユヤ(ユウヤ)、またはイヤと読みます。能の演目にあります。
 ユヤは湯谷で、山間の谷の温泉。かつてユヤ(またはイヤ)と呼ばれた地名に熊野の字をあてた説。ふざけてますが、じつはほかに有名な地名があります。かつてフタラと呼ばれた地名に二荒の字をあてましたが、音読でニコウと読まれ、日光と書かれました。
 出雲国のクマノ(またはクマナリ)の地名と、紀伊国のユヤ(またはイヤ)の地名が合わり、熊野(イヤ)となり、熊野(クマノ)となった説。熊野(イヤ)が、揖夜神社に関わるか、湯谷に関わるかわかりません。

 出雲国の熊野大社(島根県松江市/式内名神大社/出雲国一宮/国幣大社)と、紀伊国の、熊野信仰の発祥地の熊野三山は信仰、神統が異なります。
 しかし出雲国の熊野大社は、一説に紀伊国の熊野本宮大社(和歌山県田辺市/式内名神大社/官幣大社)の元社といわれます。和歌山県御坊市熊野(イヤ)に建つ熊野(イヤ)神社の社伝で、出雲国から紀伊国へと熊野の神(熊野大神)の分祀の道中に出雲氏が当地に留めたと伝えます。祭神は、主神はイザナギ(伊弉諾神)とイザナミ(伊弉册神)、大日靈女神。何故か熊野の神スサノヲ(須佐男神)は配神です。

 出雲国の熊野大社の祭神はスサノヲ(家都美御子大神)。別名を熊野加武呂乃命。または伊邪那伎日真名子・加夫呂伎熊野大神・櫛御気野命。イザナギがかわいがる、神聖な祖神・熊野の大神、櫛御気野命。出雲氏の出雲国造神賀詞による神名。イザナミでなく、黄泉国(出雲国)に逐いやったイザナギ。なんとなく笑えます。
 紀伊国の熊野本宮大社の祭神はスサノヲ(家都美御子大神)。出雲国の熊野大社と同じ、御饌(ミケ)神、食物神といわれます。

 2社の元社名は熊野坐神社。祭神も熊野坐大神。熊野に坐す大神。
 紀伊国の熊野本宮大社は、元社地が熊野川の中州のため、熊野川が神体の地主神、自然神と考えられます。元社地は大斎原(オオユノハラ)、または大湯原。1400万年前の熊野カルデラの、たった1度の噴火で今も温泉が湧きます。地下から地上へと湧きでた黄色の泉は、木々を育てます。木ノ国。常緑の木の下の、底ノ国(黄泉国)に封じこめられた神の恵みは、今も続きます。
 出雲国の熊野大社は火の発祥の神社。日本火出初之社。しかし祭神は意宇川が神体の地主神、自然神と考えられます。摂社に、紀伊国の熊野本宮大社の関わる伊邪那美神社があります。

 熊野カルデラのあと、山陽の二上山火山帯(瀬戸内火山帯)の火山活動は、何故か終えます。そして角盤山や三瓶山などの山陰の大山火山帯(白山火山帯)の活動が、何故か始まります。紀伊国の熊野から出雲国の熊野へと火山活動が移ります。
 出雲国の熊野大社と、紀伊国の熊野本宮大社(熊野三山)。
 ふたつの熊野の山の自然(地勢と気候)は異なりますが、ともに15000年も続く縄文時代の、自然発生の、自然信仰、精霊信仰。異なる自然で生じた似た信仰、神統と考えられます。原始神道。
 しかし1400万年前の熊野カルデラの、たった1度の噴火と、火山活動の移動という超自然的事象で2社の信仰、神統は別れます。
 そして精霊の棲む山は、住む人の祖神の棲む山と変わり、佛教の影響で変わります。
 原始神道のひとつ、山岳信仰の山は修行の山と変わります。山岳信仰が佛教(密教)と合わさった修験道。修験道の聖なる人の自分都合思想のルールで、2社は異なる信仰、神統となります。聖なる人のパトロンの、権力者や統治者の自分都合思想のルールで、2社はさらに異なる信仰、神統となります。



 紀伊国の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山。全国の熊野神社の総本社。熊野カルデラの中に建つ熊野信仰の中心。熊野信仰はどんな信仰でしょうか。
 熊野信仰は、精霊信仰の原・熊野信仰の時代、祖霊信仰の元・熊野信仰の時代、そして佛教(密教)の影響による現・熊野信仰の時代があります。
 山名で、訓読のヤマと、音読のサンがありますが、佛教に関わる山はサンと読みます。山号。ゆえに熊野三山は現・熊野信仰の神社と思われますが、じつは違います。原・熊野信仰の神社と考えられます。
 熊野三山は様々な神の展示場。原・熊野信仰の自然神(精霊や祖霊)、元・熊野信仰の聖なる人の祖神や氏神、現・熊野信仰の蕃神(佛)、出自のわからない神。



 熊野三山のひとつ、熊野那智大社は、熊野本宮大社、熊野速玉大社と異なり、延喜式神名帳に載ってません。式内社でありません。
 熊野那智大社は、もとは那智滝で滝行を行う道場、天台宗那智山青岸渡寺(和歌山県東牟婁郡)の一部。明治時代の神佛分離で別れ、現・熊野信仰の神社となります。
 ややこしくなりますが、もとは那智滝を神体とする、別宮の飛瀧神社(和歌山県那智勝浦町)。原・熊野信仰の神社。本殿も拝殿も、社殿は建ってません。オオクニヌシ(大己貴神)を祀ってますが、本来の祭神は、熊野カルデラが創った那智滝に宿る神(精霊)。自然神。
 境内摂社に御縣彦社があります。祭神は神武東征を導いたヤタノカラス(賀茂建角身命)。イザナミの見張番。扇祭で花窟神社の夫須美大神(イザナミ)が還らないよう、大神を迎えた後に寄り木を倒します。

 さらに熊野那智大社は熊野信仰と、観音信仰の中心となります。那智浜の海の彼方に観音菩薩の補陀落山(補陀落浄土)があり、別れた隣の青岸渡寺は今も修験道の道場。本尊は観音信仰の如意輪観世音菩薩。

 という事で続きます。



 おまけの神事。

 熊野那智大社の扇祭は、那智滝の神を迎え、花窟神社の夫須美大神を迎えます。夫須美大神はイザナミと同神。那智滝の岩壁も、花窟神社の岩壁も熊野カルデラでできてます。那智滝の神もイザナミと同神。
 何故、イザナミは2方から熊野那智大社へと来るのでしょうか。
 熊野本宮大社の祭神は、熊野川を神体とする地主神、自然神。
 熊野那智大社の祭神も、元宮の飛瀧神社の那智滝を神体とする地主神、自然神。那智四十八滝、さらに遡り那智川、那智山を神体とする自然神。
 多雨の那智山に広がる水源林は神秘な、神聖な地として今も残ってます。
 やがて自然神はイザナミという神名がつきます。
 イザナミは地母神といわれますが、最初に家に関わる神を、最後に火神と食物神を産みます。つまり自然の神の親神でなく、自然の中で生きる人の親神。祖神。
 那智の地の神がイザナミと変わります。
 人の手による火で、自然(の水)を順わせる扇祭。那智滝の神を、八咫烏帽を被った人々が松明の火で浄めます。
 火による文明と文明破壊、そして火の制御。
 カガヒコという神を殺し、火を手に入れ、自然を焼き尽くします。今も残る那智原始林。焼き尽くす前に天然記念物となります。笑えます。

 扇に日に模した赤丸(日丸)を描いたり、封じた夫須美大神(イザナミ)を曳きずりだしたり、還らないよう、曳きずりだした後に寄り木を倒したり。笑えます。
 明治政府により神道は国家神道と変わります。のちに戦争に負け、GHQにより現代の神社神道と変わります。しかし神話を教典とするかぎり、佛教の影響は残ります。復古神道は机上神道といわれます。
 いったい、原始神道はなんでしょうか。
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