17 罪と穢と・後篇

文字数 3,723文字

 罪は人の感情や都合で犯され、刑で罰せます。そして贖えます。モラル、ルール。
 スサノヲが犯した罪は、稲の神の高天原の日神へ不敬罪。刑罰で高天原を逐われます。追放刑。ヤマタノオロチを倒し、稲の神の巫イナダヒメを救い、罪を贖います。
 イザナギが犯した罪は、タブー(禁忌)を犯した罪。刑罰で伊弉諾神宮(淡路伊弉諾神社/兵庫県淡路市/式内名神大社/淡路国一宮/官幣大社)に閉じこめられます。贖罪で1500の産小屋を建てます。産穢のプロパガンダで大罪を贖いますが。
 子神の日神は高天原の日神と、皇祖神となりますが、親神イザナギは贖罪を許されず、無期禁錮刑。宮中祭祀も祀られません。
 伊弉諾神宮が願い、やっと恩赦で一品が与えられ、贖えます。
 神のイザナミが出産で死んだり、神のスサノヲが脱糞で楽しんだり、神のイザナギが人に恩赦で許されたり。笑えます。

 何故、イザナギは贖えない罪を犯したのでしょうか。
 時間や空間の不安定な境目に生じ、触れた心体も不安定となる穢。人の、神の感情や都合に関わらず、生死を分ける穢。穢を生じさせないためのタブー。タブーを犯した罪は親神も贖えません。
 贖えない罪を犯したイザナギ。神話の役目と考えられます。



 高天原の日神の聖化。無原罪懐胎。
 平安京の遷都により、桓武天皇は平城佛教(奈良佛教/南都六宗)に代わる、新たな佛教を広めます。そして平安佛教の天台宗が神道を大きく変えます。死が穢となります。
 神道は、人の精霊(祖霊)も獣の精霊も同じ精霊。同じ霊威、霊格。善人も悪人も同じ人の精霊。同じ霊威、霊格。神道は善悪を分けませんが、なぜか清浄(聖)と不浄(穢)を分けます。心の清浄と不浄はわかりますが、わかりにくい体の清浄と不浄。汚(ヨゴレ)でない、穢(ケガレ)。ゆえに神道はわかりにくい宗教といわれます。
 穢れた手を水で、穢れた体を塩で清め、穢れた自分を禊がなければならない、と。
 
 イザナミは国(島)を産み、神を産み、カガヒコを産み、血を出し、死にます。穢とともに黄泉国に閉じこめられます。穢れた黄泉大神に変えられます。
 イザナギは触った三穢を禊ぎ、清浄となり、日神が生じます。つまり高天原の日神は、生じた時から清浄の神となります。
 合わせて生じたスサノヲとツクヨミは罪を犯します。日本書紀の一書で、ツクヨミは保食神を殺し、高天原の日神へ不敬罪を犯します。ツクヨミも追放刑。

 神聖。神のように清浄な存在。聖なる存在。

 高天原の日神は、八百万の神を超えた神。自然の万事万象や万物の精霊や万人の祖霊を超えた超自然の精霊。穢れてなりません。触れてなりません。タブー(禁忌)。
 触れたとき、穢れたとき、タブーを犯したとき、イザナギと同じ超自然的刑罰(天罰)を受けます。親神ながら贖罪を許されず、無期禁錮刑。宮中祭祀も祀られず、無品。

 高天原の日神の聖化は、天皇の神聖化に嗣がれます。
 平安佛教の高僧は皇族や貴族が多く、自分都合思想を唱えます。さらに祭祀主の天皇に仕えるため、忖度と思慮で天皇の神聖化を謳います。天皇を神のように清浄(聖)な存在とするため、高天原の日神の聖化を謳います。
 さらに自分の祖神の、霊威の権威、霊格の格差のラベリング。清浄(聖)と不浄(穢)に分けます。人も清浄(聖人)と不浄(穢れた人)に分けます。



 穢は災(禍)と結ばれ、天皇の神聖化に関わります。
 しかし天災は、人や佛の感情も、佛教の都合も関わりません。大陸の災異思想は、長大な島弧と厖大な島嶼の島国に通じません。
 八幡神の大いなる威徳(神威)も、祟る神を塞げません。八百万の祟る神は順いません。スサノヲごとく農耕を妨げます。高天原の日神へ不敬罪を犯します。
 祟る神の恵む神化。御霊信仰。
 しかし祟り続けます。天災は続きます。天皇の神聖化、高天原の日神の聖化は危ぶまれます。天災は多数の生死を分けます。さらに社会秩序は不安定となり、反乱が起きます。内乱内戦、政争。天災で天皇の権威、高天原の日神の神威は危ぶまれます。
 天災、災は、どんな原因で起きるのか。恵む神は、どんな原因で祟る神と変わるのか。
 村や京と、外の境目。現世と、常世の境目。人の社会と、自然の境目に生じる、穢。
 時間や空間の不安定な境目に生じ、触れた心体も不安定となる穢。人や佛の感情も、佛教の都合に関わらず、生死を分ける穢。穢が生じると災が起き、穢が清浄(聖)な存在に触れると天罰、つまり天災が起きる、と。穢が、天災の原因、恵む神の祟る神化の原因となります。因果関係。



 禊は物理的清浄。つまり見えない穢の見える化。川や海の水で体を濯ぎ、清めます。語源は、水濯ぎ、身濯ぎ、身削ぎといわれます。穢は、人の感情や都合による罪穢と、よらない汚穢があります。
 物忌は、殯小屋、産小屋などの時間的隔離で、禊と同じく人の感情や都合によらない穢を清めます。死穢、産穢、血穢。禊も、物忌も、穢が生じた後に行う事後策となります。

 穢が生じる前に、生じた穢が聖なる存在に触れない前に、穢が天災を起こす前に行う事前策が祓となります。天災以外の災(禍/厄)も祓います。
 穢が生じた時は、穢が聖なる存在に触れない前に。穢が聖なる存在に触れた時は、穢が天災を起こす前に、禊や物忌を行い、祓を行います。空間的祭祀。まあ、祓に関わらず、天災は起きますが。
 宮中祭祀は秘中の祓。最大の宮中祭祀は天皇交代時の大嘗祭。秘中の秘中の祓が、古今東西の祓が行われる祭典。いまだ行われます。

 現代の神社神道も、水で手と口を清め、拝殿で祓い、本殿に坐す祭神に願います。穢が聖なる存在(神)に触れないため、となります。



 神道は、ほかの宗教と異なります。
 原罪は、人の感情や都合による神へ犯した罪でなく、人の感情や都合によらない、関わらない、神も関われない穢。原罪の原因は、悪い心、弱い心でなく、時間や空間の不安定な境目に生じる穢。触れた心体も不安定となる穢。
 考えると、すごく人の都合の良い原因。
 蛇神に唆されたイブも、イブに諭されたアダムも、犯した原罪で追放刑となります。イザナギも犯した原罪で禁固刑となります。
 禁固刑の刑罰。1500の産小屋の贖罪。愛するイザナミの離別。イザナギの感情や都合で犯した原罪。もしかしたら高天原の日神の聖化のため、天皇の神聖化のため、犯さなければならなかった大罪ならば。



 天皇の神聖化と、天皇の権威を危ぶむ天災。
 最も危ぶむ天災は見えない疫神による疫病。そして高天原の日神による旱魃。
 日神も、恵む神であり祟る神。人に順わない、御せない神。人の感情や都合に関わらない自然神。しかし稲に必要な神。皇祖神。ゆえに天皇は、高天原の日神を離れた、遠い伊勢国に逐いやります。遠いから、離れてるから、しょうがない。
 一説に続く天災ゆえに天皇は親拝を行えないといわれます。笑えます。

 という事で続きます。



 おまけの神社でなく、神話。
 瀬戸内海は入江や島嶼ごとに様々な海人族が棲みます。淡路島を本拠地とした海人族が安曇氏とほかの瀬戸内海の海人族(住吉氏)に奉じる神と島を奪われ、または幼き王(優秀な指導者)を流され、殺され、島を逐われます。アタのハヤトの優秀な指導者のよう。

 淡道之穂之狭別島。淡路島とヒルコを考えます。
 幼き神ヒルコは海に流されます。日本書紀で天磐橡樟船で流されます。追放刑。
 ヒルコ(蛭子命)、イザナギ(伊弉諾尊)、イザナミ(伊弉冉尊)を祀る岩樟神社(兵庫県淡路市)。対岸の、流されたヒルコ(蛭子大神)を祀る和田神社(兵庫県神戸市/県社)、ヒルコ(西宮大神)を祀る西宮神社(兵庫県西宮市/県社)。そして九州南域のヒルコ(蛭児尊)を祀る蛭児神社(鹿児島県霧島市/大隅国二宮/村社)。天磐橡樟船が根づいた楠木の神木があります。
 ヒルコは、古事記で水蛭子、蛭子神、蛭子命。日本書紀で蛭児。穢れた字が当てられます。しかしヒコ・ヒメ、ヲトコ・ヲトメ、ムスコ・ムスメなどの古代の男女名から、高天原の日神の別名のオオヒルメ(大日孁/大日女)、つまり日の女神に対し、ヒルコは日の男神といわれます。または男の日神と日の巫神。ヒルメは高天原で神衣を織り、稲苗を植え、祭祀を行います。まさに高天原の巫神。巫神が日神に代わり、神宮に祀られます。日神を奉じる巫が奉じられる巫神となります。

 ヒルコの神話は追放説以外に、双子忌避説、貴種流離譚などの諸説があります。
 さらに住吉氏に代わり瀬戸内海の江(津)の警護を任される津守氏の祖神、ニギハヤヒ。ホノニニギとコノハナサクヒメの子神のホノアカリと同神といわれますが、ヒルコと同神といわれます。

 淡路島は朝鮮半島から瀬戸内海を経て畿内へと渡るとき、瀬戸内海の交易、警備の要衝となり、瀬戸内海の漁撈、海運の要衝となります。
 淡路島を本拠地とした海人族が奉じる神と島を奪われ、または幼き王(優秀な指導者)を流され、殺され、島を逐われます。もしかしたら高天原の日神の聖化のため、天皇の神聖化のため、奪われ、流され、殺され、逐われただけならば。

 子を流し、妻と別れ。イザナギの悲しい神話。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み