9 八幡神と息長氏・後篇

文字数 2,767文字

 八幡神は、新羅国に、神功皇后に、住吉氏に関わります。
 神功皇后の三韓征討は、辰韓邦だけといわれます。辰韓邦は秦韓邦。秦国で労役を逃れた様々な民族が作った国。様々な小国の集まった連邦。つねに領地紛争が続き、辰韓邦のひとつ、斯蘆国が勝ち、新羅国となります。
 神功皇后も三韓征討で大きな幡を掲げます。八幡神は大きな威徳(神威)の神格化。

 しかし。
 神功皇后の三韓征討も、クマソの征討もツツノヲ三神の神託。八幡神は関わりません。
 ツツノヲ三神も、じつは神託の神。八幡神は神功皇后の死後に、欽明天皇によりツツノヲ三神に替わり、神託の神として祀られます。
 八幡神は、新羅国から豊前国へと渡った秦氏と支族が奉じる神。神功皇后が奉じる神でありません。息長氏が討った新羅国の蕃神、新羅神。

 任那国の復興を願い、百済国とともに新羅国と戦い、負けた欽明天皇。欽明天皇にとり八幡神は大きく祟る神。新羅神。何故、欽明天皇は八幡神を祀ったのでしょうか。
 
 大きく祟る神は大きく祀りあげて鎮めなければならない。または応神天皇の大きな威徳(神威)で封じこめなければならない。
 大きく祀りあげれば、大きく守る神となります。御霊信仰。

 麑島の噴火、クマソやハヤトの反乱、政争、内乱内戦、疫病、飢餓、地震、津波で、聖武天皇により八幡神は、さらに大きな神託の神となります。
 東大寺盧舎那仏像で、新羅国の鍍金技術や資金提供があり、新羅国の代表として八幡神が佛に跪きます。天ツ神は八幡神に頭を下げます。

 道鏡事件で天智系皇統に復し、約700年は麑島の噴火はありません。秦氏に山城国遷都を勧められ、約1000年も続く皇宮、平安京ができます。
 八幡神は桓武天皇により天智系皇統の守護神となります。



 神功皇后の母は新羅国の王族の女といわれますが、何故、母国を討ったのでしょうか。じつは新羅国に攻められた国の王族の女と考えられます。
 鹿児島神宮の社伝で、応神天皇の5世孫の継体天皇の時代に流れ着いた古代中国の唐国の王女オオヒルメ(大比留女)の子が八幡神と伝えます。
 応神天皇や継体天皇の時代、宇佐神宮の創建(550〜570年)、唐国の時代(618〜690年・705〜907年)、鹿児島神宮の遷祀(708年)を考えると、神功皇后は、息長氏は高麗国(高句麗国)の王族と関わります。



 近江国坂田郡が本拠地の息長氏。
 白鬚(白髭/白髯)神社の総本社、白鬚神社(滋賀県高島市/県社)があります。
 サダヒコ(猿田彦命)を祀ります。岬の神格化。航海を導く神。古事記の天孫降臨神話で、天孫ホノニニギを導きます。
 一部のシラヒゲ神社はシオツチノオジ(古事記:塩椎神/日本書紀:塩筒老翁)を祀ります。潮の神格化。潮流を司り、やはり航海を導く神。日本書紀の天孫降臨神話で、天孫ホノニニギを導きます。ほかに山のサチヒコや神武天皇に指針を伝えます。のちに製塩の神となります。なんとなくツツノヲ三神を思いだします。

 本来の祭神は比良山の山神と考えられます。
 琵琶湖は鉄鉱石が採れます。製鉄技術の優れた渡来人、息長氏が移り住みます。比良神が白鬚神と変わり、導く神サダヒコと合わさります。
 天智天皇は鉄鉱石と息長氏に導かれ、近江国遷都を決めました。
 シラヒゲ神社は、鬚(あごひげ)、髭(くちひげ)、髯(ほおひげ)があります。西日本は白鬚神社、東日本は白髭神社といわれます。白髯神社はあまりありません。
 新羅国に滅ぼされた高麗国(高句麗国)の王族、高麗王若光を祀る高麗神社(埼玉県日高市/県社)も白髭神社と呼ばれます。やはりサダヒコも祀りますが、本来の祭神シラヒゲの神の本性や神性はわかりません。
 あとで考えましょう。

 母国、高麗国のために新羅国と戦った神功皇后。
 百済国とともに新羅国と戦った欽明天皇。大きな国威の新羅国を、大きな威徳の新羅神を神功皇后の大きな威徳(神威)で封じこめます。
 同じく百済国とともに新羅国と戦った天智天皇。白村江の戦。秦氏の勧めた山城国遷都を断り、息長氏の勧める近江国遷都を決めます。
 しかし。天智天皇は亡くなります。息長氏は天智天皇の子の大友皇子(弘文天皇)を選ぶか、天武天皇を選ぶか悩みます。
 住吉氏は滅びました。
 息長氏は、一族のため、忖度と思慮が求められます。天武天皇を選び、導きます。大友皇子の自害で壬申の乱は終わります。
 しかし。天武天皇は、息長氏の統治下の近江国を離れ、大和国遷都を決めます。藤原京。神武天皇の橿原宮のあった奈良県橿原市に遷ります。

 初代神武天皇と、2代綏靖天から開化天皇までの8代の天皇は非実在。欠史8代。
 神武天皇と10代崇神天皇は同一であり、崇神天皇が初代天皇であり、大和王権が始まります。崇神天皇の皇統の伝統と正統を謳うため、神武天皇と欠史8代の天皇は創られた天皇といわれます。神武天皇と欠史8代の天皇を創り、崇神天皇の皇統の伝統と正統を謳い、さらに自身は崇神天皇の血統を継いだ天皇と謳うため、天武天皇は神話を創ります。

 一説に天智天皇と天武天皇は異父兄弟で、天智天皇は欽明天皇の血統、天武天皇はべつの血統といわれます。

 しかし。天武系皇統が絶えます。天智系皇統を継ぐ桓武天皇となります。
 15代応神天皇(河内王権)、26代継体天皇(越前王権)で皇統は替わりました。
 桓武天皇は応神、継体、欽明系血統を継ぎ、天智系皇統を継ぎます。
 現代に継がれる伝統と正統の血統、皇統。

 じつは大友皇子の即位は記録がありません。天皇の座、高御座に座ってません。
 1870年(明治3年)に漢風諡号弘文天皇が贈られ、天皇となります。
 


 住吉氏の奉じるツツノヲ三神。強い潮流を司る海神。夜の航海を守る星神。禊ぐ神。
 そして三韓征討を導いた星神。神託の神。一族のため、忖度のすえ、思慮のすえ、神功皇后を新羅国征討に導きます。しかし時代の潮流を見れず、住吉氏は滅びます。中臣氏、のちの藤原氏によりツツノヲ三神は、神託の神の座を八幡神に奪われます。ただの欲しがりな神となります。
 息長氏も中臣氏により逐われます。
 中臣氏は天智天皇とともに大化改新(乙巳の変)を行い、のちに天武系皇統の天皇に仕えます。文武天皇、聖武天皇の后は藤原氏の娘。

 一説に藤原不比等の実父は天智天皇といわれます。

 という事で続きます。



 おまけの神社。
 後裔氏族がサダヒコ(猿田彦大神)を奉じる神社は、じつは2社。
 まずは猿田彦神社(三重県伊勢市/無格社)を奉じる氏族。
 つぎは椿大神社(三重県鈴鹿市/伊勢国一宮/式内小社・論社/県社)を奉じる氏族。
 内務省神社局によりサダヒコを祀る神社の総本社は椿大神社となります。しかしサダヒコを祀る神社は猿田彦神社の分祀が多く、猿田彦神社が総本社といわれます。
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