3 熊曽国と日向国・後篇

文字数 4,238文字

 神話で、筑紫の日向に高天原の日神が生まれ、日神の孫神(天孫)のホノニニギが降ります。日新生誕と天孫降臨。
 日神生誕地は、古事記で筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原、日本書紀で筑紫日向小戸橘之檍原。天孫降臨地は、古事記で竺紫の日向の高千穂の久士布流多気、日本書紀で筑紫の日向の高千穂の槵日二上。

 筑紫は、九州全域(筑紫島)という広義の地名と、九州北域(筑紫国)の狭義の地名があります。
 日向は、日に向いた地を表し、特定の地名でありません。神話で、日向国は日の出づる方に向いた国とあります。宮崎平野の東方の、海の彼方に日が昇ります。
 しかし712年に古事記が、720年に日本書紀が、神話が書き上がる前の神代に、日向国はありません。持統天皇の時代に、宮崎平野を日向の地と呼び変えましたが、神代は熊曽の地の一部。

 生誕地の、橘は九州から紀伊半島までの沿岸に植る木。実る実。柑橘。野生の蜜柑(ミカン)の古名。非時香木実(時じくの香の木の実)といわれ、常緑の木で、香が強く、食べられないくらい酸味が強い実。のちに四姓のひとつになり、桃と同じく、神性のある実と考えられます。つまり橘の植る地は神性のある地。
 小戸は波食による岸を表し、つまり橘の植る波食崖。やはり特定の地名でありません。小戸の地名は日向国(宮崎県宮崎市)も、そして筑紫国(福岡県福岡市)もあります。ともに神話に合わせて小戸神社が建ってます。
 降臨地の高千穂も高い山を表し、やはり特定の山名でありません。

 生誕地のアワキの原(阿波岐原/檍原)、降臨地のクシフルの山(久士布流多気/槵日二上)が地名、山名となりますが、確定地(山)はありません。比定地は宮崎県宮崎市阿波岐原と、霧島連山の高千穂峰。日向国(宮崎県)となります。



 日神生誕のまえ、イザナギは黄泉国の穢を禊ぎ、海神の、スミヨシ(スミノエ)の三神とワタツミの三神が生じます。
 ワタツミ三神は安曇族の祀る神。筑紫国の志賀海神社(福岡県福岡市/式内名神大社/官幣小社)が総本社。福岡市の小戸神社の目前の志賀島に建ち、近所に多数の綿津見神社(和多津美神社/和多都美神社)があります。
 志賀島は大陸、朝鮮半島と国交、国防の要衝。漢委奴国王印(金印)が見つかりました。祭神の別名は筑紫斯香神。三韓征伐で、神功皇后に潮盈珠と潮乾珠を渡した阿曇磯良(磯武良/阿度部磯良)と同神といわれます。
 スミヨシ三神を祀る住吉(住江)族は、神話、史話に書かれてませんが、安曇族に近い海人族と考えられます。大阪府大阪市の住吉大社(式内名神大社/摂津国一宮/官幣大社)、山口県下関市の住吉神社(式内名神大社/長門国一宮/官幣中社)、福岡県福岡市の住吉神社(式内名神大社/筑前国一宮/官幣小社)。有名な住吉神社は瀬戸内海から九州北域までの沿岸にあります。
 まあ、三韓征伐で、神功皇后がスミヨシ三神を祀ったため、当然。

 住吉神社は、当然ながら日向国(宮崎県宮崎市/村社)もあります。創建2500年の古社。全国の住吉神社の元社といわれ、近所に小戸神社、江田神社、宮崎神宮があります。
 宮崎神宮は神武天皇の居宮の跡地に建ったといわれます。神武天皇の生誕地に建った狭野神社(宮崎県西諸県郡)、宮崎神宮、そして天孫降臨地と東征出立地に建った高千穂神社(宮崎県西臼杵郡)も古社といわれますが、神話とともに編まれた延喜式神名帳に江田神社以外は載ってません。当然、住吉神社も載ってません。式内社でありません。
 江田神社があり、宮崎郡(宮崎市)となり、宮崎神宮が建ちます。
 つまり神話の書かれた平安時代で、神代で大事な神社でありません。
 明治時代で大事な神社。



 神武天皇の東征後の居宮は畝傍橿原宮。跡地に明治天皇の勅使により橿原神宮(奈良県橿原市)が建ちます。近所に陵墓があります。

 神武天皇の父神のウガヤフキアエズ(ウカヤフキアハセス)、祖父の山のサチヒコ、曾祖父(天孫)のホノニニギの居宮はわかりませんが、陵墓はわかります。
 延喜式神名帳とともに編まれた諸陵式に載ってます。日向国とあります。ゆえに日向三代の神となります。しかし神話を書いた時代に日向国はありません。日向の地はありますが。神代に日向の地はありません。熊曽の地はありますが。
 かつて熊曽の地は、宮崎県(日向国)と鹿児島県(薩摩国と大隈国)のため、陵墓の比定地は宮崎県も鹿児島県もあります。神話で、薩摩国も大隈国も、日向三代の神に関わる地名はあります。
 薩摩半島野間岬。神話の笠沙之御前(吾田の笠狭碕)といわれます。
 ホノニニギとオオヤマツミの娘神コノハナサクヒメが会った地に、小さな漁村がありました。神話に因んで1922年に笠砂村となりました。しかし2005年に南さつま市になります。町名だけが残り、町内にある野間神社の社伝に天孫降臨地と伝えます。
 もし、天孫降臨地が薩摩半島ならばオオヤマツミの本貫地も薩摩半島。
 ぜひ、[武神彼氏2]の[13姫の犯した罪と罰]を読んでください。

 さてと。
 ややこしくなりました。休憩。調べればわかりますが、蘊蓄。最初の蜜柑。
 すっぱい柑橘と同じく、甘い蜜柑も九州から全国へと広がりました。
 さらに蜜柑といえば温州蜜柑。中国の温州(浙江省温州市)の原産と思われますが、じつは在来種。薩摩国(鹿児島県)の原産。
 さらに温州蜜柑が全国に広がるまえ、紀伊国(和歌山県)のすこしすっぱい紀州蜜柑が広がってました。紀州蜜柑が温州蜜柑に替ります。マダケとモウソウダケの関係。
 じつは温州蜜柑は紀州蜜柑が原種といわれ、琉球国のクネンボと紀州蜜柑が合わさり温州蜜柑となります。
 さらに紀州蜜柑は紀伊国の原産と思われますが、じつは外来種。なんと温州の原産。江戸時代に熊本県から和歌山県へと来ました。のちに鹿児島県でクネンボと合わさり、温州蜜柑となります。蜜柑の産地、温州に肖って温州蜜柑となります。
 さらに一説に徐福の出立地は温州。蜜柑以外に米、茶、竹も有名。じつは稲作のルーツといわれます。山と海の囲まれ、方言も中国語の中で変わってます。なんとなく九州南域に似てます。
 さらに九州南域も徐福伝説があります。
 ややこしくなりました。止めましょう。考察を続けます。



 天孫降臨のあと、神武天皇は日向の高千穂宮から筑紫の岡田宮へと遷り、海人族の安曇族を従え、東征を行います。神武東征。高千穂宮の跡地に高千穂神社が、岡田宮の跡地に岡田神社(福岡県北九州市)が建ってます。岡田神社も式内社でありません。当然ながら高千穂宮も、岡田宮も、神武東征の神話に書かれた居宮。明治政府が神話に合わせた非実在の古代天皇の居宮。高千穂宮の跡地は槵觸神社(宮崎県西臼杵郡)の説もあります。槵触山という、地図にないほどの低山の山腹に建ちます。

 各社は花窟神社と同じく、明治政府と関わり、霧島連山の修験道に、そして熊野信仰に関わります。日向国、いえ、熊曽国と熊野国は熊野信仰で結ばれます。やっと熊野信仰。

 そして岡田宮の跡地。
 じつは九州北域を治めるための大事な地。大事な地に、クマソの奉じる大事な神社が建ってました。

 という事で、式内社でない岡田神社を考えます。続きます。
 合わせて九州南域住人の感想、九州北域住人の神社と神話のトンデモ考察を求めます。



 おまけの神社。
 鹿児島神宮(鹿児島県霧島市/式内大社/大隅国一宮/官幣大社)と、鑰島神社(鹿児島県霧島市/村社)。
 鑰島は 鹿児島の語源といわれます。ややこしいため、まずは前説を。

 ホノニニギとコノハナサクヒメの子神は三神。
 古事記で、一子は火照命(ホデリ/海のサチヒコ)、二子は火須勢理命(ホスセリ)、三子は火遠理命(ホオリ/山のサチヒコ)。日本書紀で、一子は火闌降命(ホスソリ/海のサチヒコ)、二子は彦火火出見命(ヒコホホデミ/山のサチヒコ)、三子は火明命(ホアカリ)。神武天皇も彦火火出見命といわれます。山神(オオヤマツミ)と海神(オオワタツミ)の神威、海のサチヒコを負かし、日向の地を治める権威の襲名と考えられます。
 三神の1柱はニギハヤヒといわれますが、あとで考えます。

 という事で。
 鑰島神社の主祭神は海のサチヒコ(火闌降命)。山のサチヒコ(火遠理命)を祀る鹿児島神宮と対になる神社。鑰島神社の社伝で、鹿児島神宮の焼失後の1097年に鹿児島神宮の鑰(鍵)を納め、社名を鑰島神社と改めたと伝えます。鍵は釣針。

 じつは鹿児島神宮は、本来は鹿児島湾の桜島を神体とする神社といわれます。
 桜島は、薩摩半島と大隅半島に囲まれた籠島(麑島)といわれ、鹿児島神宮の祭神は、桜の神格化のコノハナサクヒメのいわれます。籠島は、鹿児島の語源といわれます。そして島津氏の意向で神体が隠され、祭神が変えられました。
 薩摩国一宮で、大日孁貴命を祀る枚聞神社(鹿児島県指宿市/式内小社/国幣小社)、同じく一宮で、天津日高彦火邇邇杵尊を祀る新田神社(鹿児島県薩摩川内市/国幣中社)。天津日高彦火々出見尊などの4柱を祀る鹿児島神社(宇治(氏)瀬神社/鹿児島県鹿児島市/国史見在社/県社)、彦火火出見尊などの7柱を祀る鹿児島神社(下宮神社/鹿児島県垂水市/村社)など、鹿児島県の主な神社の、本来の祭神は地主神といわれます。2社の鹿児島神社も桜島を神体とする神社といわれます。

 島津氏は謎の住吉(住江/スミノエ)族に関わります。安曇族が移る前の瀬戸内海の海人族といわれます。
 複雑な地形の江(入江)ごとに分かれて住んでたため、同族意識が弱く、安曇族に治められます。祀る神のスミヨシ三神は、潮流の強い瀬戸内海の海路を司る神。
 とくに大三島を含む芸予諸島は瀬戸内海の中心にあり、海路が複雑、難関のため、住吉族で操船の優れた族長が住んでました。当然ながら祀る神はオオヤマツミでありません。
 のちに江は津(湊)となります。神功皇后の下賜で、住吉族は津を守る氏族、津守氏となります。一説に津守氏はホノニニギとコノハナサクヒメの子神の1柱、ニギハヤヒ(ホアカリ)の後裔といわれます。ややこしい。あとで考えましょう。

 島津氏は渡来氏族の秦氏に関わります。秦の始皇帝の後裔氏族といわれます。
 秦氏は神功皇后、応神天皇の時代に豊前国から山城(山背)国へと移った氏族。松尾大社や伏見稲荷大社に奉じます。神話や、奈良県と京都府の寺社に大きく関わる氏族。
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