12 滅びる橘氏と滅ぼす秦氏

文字数 2,889文字

 息長氏の血統は、葛城王(橘諸兄)を氏祖とした橘氏に継がれます。

 住吉氏、息長氏以上に謎の氏族、県犬養氏。壬申の乱で天武天皇を導いた氏族。狩猟や警護の為の犬を飼いならす犬飼部の氏族。のちに倉庫(屯倉)の管理、警護につきます。
 ハヤトの、狗舞と呼ばれた隼人舞。そして狗吠。
 強制移住の理由に、再乱防止と、悪霊を祓うハヤトの霊威があります。
 狗吠は、神社神道の警蹕(けいひつ)の原始。天皇の行幸時に畏まらせるため、ハヤトが大声を上げます。ミサキバライ。御先(天皇の前)で祓う、吠える狗。飼犬が仕える飼主以外に吠える、狗吠。見えない外敵(悪霊や悪気)を祓う霊威。

 犬飼部は6の氏族があります。
 九州北域の海人族、安曇氏に近い安曇犬飼氏、海犬飼氏、辛犬養氏、稚犬養氏。安曇氏は神武東征に従い、畿内に本拠地を移し、全国の海人族をまとめます。神功皇后の三韓征討、皇極天皇(重祚で斉明天皇)の新羅国征討に従います。

 九州南域の海人族、アタのハヤトに近い阿多御手犬養氏。阿陀比売神社(奈良県五條市/式内小社/村社)の建つ地は、かつて大和国宇智郡阿陀郷。強制移住を強いられたアタのハヤトの住む地。竈山神社(和歌山県和歌山市/式内小社/官幣大社)も、五條の阿太(古事記:贄持之子/日本書紀:苞苴擔之子)が奉じます。吉野川(紀の川)の阿陀之鵜飼、のちの鵜飼氏の氏祖。
 五條市は大和国と紀伊国を結ぶ交通の要衝。井上内親王を祀る御霊神社、南朝の後村上天皇時の首都・賀名生、江戸時代の天誅組の本陣・桜井寺などもあります。
 つまり要衝のため、様々な反乱、反逆の首謀者が集まり、首謀者が討たれたあと、様々な悪霊が集まります。阿陀比売神社の神威、アタのハヤトの霊威で祓います。

 そして九州南域の山人族、クマソに近い山人族系の県犬養氏。
 葛城王の母の県犬養三千代は天武、持統、文武、元明、元正天皇に仕えます。とくに元明天皇に気にいられ、橘氏(姓)を賜ります。子の葛城王も賜姓を許されます。四姓で、臣籍降下で賜る源平と異なり、藤原と橘は恩賞で賜った姓。
 日神生誕地の橘。橘の植る地は神性のある地。非時香木実。大きな権威の藤原氏を、大きな神威の橘で封じこめます。
 のちに三千代は藤原不比等に嫁ぎ、前夫の子の葛城王とともに藤原氏を助けます。
 藤原四兄弟の死後、葛城王は政を軽々と熟します。
 しかし752年の東大寺盧舎那佛像の開眼供養会ののち、政局は変わります。
 秦氏が中心となり建てられた智識寺のひとつ、河内国の智識寺(太平寺廃寺/大阪府柏原市)に納められた盧舎那佛像。秦氏は政(マツリゴト)に関わらず、自己本位な行為もなく、忖度と思慮もなく、ただ、聖武天皇に見せます。聖武天皇が魅いり、東大寺の盧舎那佛像のモデルとなります。そして開眼供養会。新羅国の代表として、八百万神の代表として八幡神が、慈悲を求めて佛に跪きます。天ツ神は八幡神に頭を下げます。
 開眼供養会ののち、復した藤原氏に、橘氏は滅ぼされます。
 住吉氏は、八幡神にツツノヲ三神の神託の神の座を奪われ、滅びます。
 息長氏は、八幡神に魅いり、肖りますが、突き放され、滅ぼされます。
 天武系皇統は、八幡神の神託で絶えます。



 八幡神は、地主神に、神託の神、偶然の神、因果応報の神、天智系皇統の天皇の守護神の神性を合わせます。
 秦氏は政に関わらず、自己本位な行為もなく、忖度と思慮もなく、天智系皇統の天皇に付き従います。滅びません、一族は滅ぼされません。
 秦氏の奉じる神は、地主神に、稲神、酒神の神性を合わせます。祭(マツリゴト)で先住民をまとめます。生き続けます、一族は残り続けます。
 秦氏の奉じる神の神性は、本性はなんでしょうか。



 松尾大社の祭神はオオヤマクイの神(大山咋神)。松尾山の山神。松尾大社は、文武天皇の勅命で秦氏が建てたといわれます。
 オオヤマクイの神は、スサノヲの孫神、豊穣の神、さらに塞神、岐神といわれます。
 日吉、日枝、山王神社の総本社の日吉大社(日枝神社/滋賀県大津市/式内名神大社/二十二社(下八社)/官幣大社)の祭神と同神。
 天智天皇の皇宮(大津京)遷都にあたり、守護神として大神神社(三輪神社/奈良県桜井市/式内名神大社/大和国一宮/官幣大社)のオオモノヌシの和魂(大己貴神)を西本宮に祀り、オオヤマクイの神を東本宮の祭神に祀ります。もとは牛尾山(八王子山)の山神。天智天皇により日吉大社に遷ります。

 桓武天皇は近江国出自の最澄に天台宗を学ばせます。日枝山(比叡山)に天台宗総本山の延暦寺が建ち、のちに平安京ができます。
 最澄の天台宗、平安京の遷都は、道鏡事件で天武系皇統を逐いこんだ平城京の佛教(南都六宗)と、息長氏などの天武系皇統の従臣の排除。

 じつは日吉大社の創建も秦氏が関わります。
 オオヤマクイの神は日枝山の山神となり、788年に延暦寺が建って天台宗の守護神となり、794年に平安京が造られて皇宮の鬼門(東北)の守護神となります。
 オオヤマクイの神は大津京と平安京の、天智系皇統の皇宮の守護神。
 860年に八幡神の神託で石清水寺の境内に石清水八幡宮が建ちます。石清水寺は神宮寺となり、佛僧が神職を務めます。八幡神は皇宮の裏鬼門(南西)の守護神となります。
 八幡神も天智系皇統の天皇の守護神。八幡神は神託で政(マツリゴト)を動かします。

 秦氏は政に関わらず、自己本位な行為もなく、忖度と思慮もなく、天智系皇統の天皇に付き従います。滅びません、一族は滅ぼされません。
 秦氏の奉じる神の神性は、本性はなんでしょうか。



 日吉大社も、松尾大社も、オオヤマクイの神とともにイツキシマヒメを祀ります。イツキシマヒメは伏見稲荷大社の祭神ウカノミタマヒメ(宇迦之御魂大神)と同神といわれ、やはりスサノヲの娘神。豊穣(稲作)の神に奉じる娘神も、豊穣の神。
 さらに雄略天皇が建てた神宮外宮(豊受大神宮/三重県伊勢市/式内大社)のトヨウケヒメ(豊受大神)も同神といわれます。八幡神に奉じる巫に救われた雄略天皇。
 八幡神の神威は高天原の日神に、天武系皇統の皇祖神に及び、奉じる一族の権威は、権力は神宮に及びます。

 という事で続きます。



 おまけの神社。
 豊受大神宮(外宮/三重県伊勢市/式内大社)はトヨウケヒメ(豊受大神)を祀ります。じつは創建時期や由来は古事記、日本書紀に書かれてません。社伝で、477年に21代雄略天皇が高天原の日神の神託で、伊勢国度会郡にトヨウケヒメ(等由気大神)を祀ったと伝えます。もとは度会宮といわれました。
 さらにトヨウケヒメは日本書紀に書かれてません。古事記で、イザナミが死ぬ前に産んだ最後の子神、和久産巣日神の子神と書かれてます。さらに奉じる度会氏は、外宮中心の伊勢神道で、トヨウケヒメは国之常立神(日本書紀:国常立尊)と同神。息長氏の祖神を祀る山津照神社(滋賀県米原市/式内社/県社)の祭神と同神。
 日本書紀で最初に生じた神、古事記で神世七代の最初に生じた神。根元神。
 高天原の日神よりも上位の神。ゆえに外宮先祭。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み