11 かぐや姫と竹取の翁
文字数 1,939文字
竹取物語は、天武天皇(または文武天皇)と、壬申の乱の功臣がモデルといわれます。車持皇子のモデルは藤原不比等。息長氏のささやかな反抗。
息長氏の治める山城国綴喜郡大住郷(京都府京田辺市)にオオスミのハヤトが移り住みます。隼人舞で有名な月読神社(京都府京田辺市/式内大社/村社)があります。
竹取物語は、もとの物語、ハヤトの物語を息長氏が書き換えた物語といわれます。竹取物語は、竹取の翁の物語。主役はかぐや姫でなく、竹取の翁。かぐや姫の、もとの物語を竹取の翁の物語に書き換えてます。
かぐや姫は竹取の翁に婚姻を勧められます。帝にみそめられ、和歌をやりとりします。
かぐや姫が残した和歌の[君をあはれと思ひいでける]の[あはれ]を、愛おしい、慕わしいと求愛に応えたと帝は思ってますが、じつはかわいそうと拒んでます。帝に不敬にならないよう、あいまいな表現。
そして。かぐや姫は竹取の翁の行為も嘆きます。翁への感謝以上に、月の都への望郷が強くなります。息長氏の罪悪、または望郷を書いたのでしょうか。
ハヤトの月信仰と、強制移住による強い望郷の、もとの物語。
ハヤトの物語を、息長氏の自己本位と、忖度と思慮で書き換えられた物語。
*
偶然、720年にアタのハヤトの反乱が起き、藤原不比等が亡くなります。
偶然、729年に政争で息長氏に近い長屋王が殺されます。
長野県上水内郡にあった鬼無里村の紅葉伝承に、続篇があります。
隣の戸隠村で、紅葉の後裔氏族は大伴氏と伝えます。大伴氏は長屋王と親しかったため、藤原氏に滅ぼされ、隠れ住み、戸隠村となったといいます。
また、タヂカラヲ(天手力雄命)が開け投げた天の岩屋の戸が落ち、戸隠村となったといいます。のちにタヂカラヲの後裔氏族の大伴氏が移り住んだと伝えます。
偶然、733年に疫病で不比等の子の藤原四兄弟が亡くなります。
偶然に飢餓、地震が続きます。反乱、疫病、飢餓、地震、政争は、なにも因果関係はありません。
そして八幡神の神託で息長氏と藤原氏の攻防は、偶然に終わります。息長氏は藤原氏に滅ぼされます。八幡神の神託で天武系皇統から天智系皇統へと、偶然に変わります。偶然が続いたからこそ、神代も、現代も天智系皇統の守護神として祀られます。
八幡神は、息長氏の奉じる神でありません。藤原氏の奉じる神でありません。秦氏の奉じる神でなくなります。八幡神は、因果応報の神となります。
という事で続きます。
*
おまけの神社。
月讀神社(葛野坐月読神社/京都府京都市/式内名神大社)は、ツクヨミ(月読尊)を祀ります。松尾大社の摂社。壱岐島の月讀神社(長崎県壱岐市/式内名神大社・論社/無格社)の分祀で、本来の祭神は天月神命。神功皇后の三韓征討のさい、応神天皇の出産を遅らせた月延石があります。
壱岐島の月讀神社は、ツクヨミ(月夜見命/月弓命/月読命)を祀ります。本来の祭神は壱岐氏が奉じる月神、天月神命。月延石もありますが、本来の月讀神社は、じつは箱崎八幡神社(同市/村社)といわれます。
隼人舞で有名な月読神社(京都府京田辺市/式内大社/村社)、甘南備山の山頂にある神南備神社(甘奈備神社/同市/式内小社/村社)、山麓にある薪神社(同市/村社)は、オオスミのハヤトの奉じる月神が祀られます。さらに小川月神社(京都府亀岡市/式内名神大社/村社)など、大堰川の近所はツクヨミを祀る多数の神社があります。
壱岐氏や、オオスミのハヤトの海人族の月信仰。のちに月の神格化で、各族の奉じる月神が創られ、神話に合わせ、ツクヨミと変わりました。
今の九州南域、鹿児島県や宮崎県で、ソラヨイなどの十五夜神事、祭事があります。
罰で都に逐われたかぐや姫は月を見あげながら故郷を思います。
罰で都に逐われた、強制移住を強いられたハヤトも月を見あげながら故郷を思います。
残ったハヤトも月を見あげながら、討たれた故事を思います。
何故、月を見あげるのでしょうか。
ナチュラリズム(自然崇拝)の時代。
かつて人は月を見あげてました。日よりも月が神聖とされてました。
海幸は、海と月の恵み。月で暦を、潮の干満を、海幸(海洋生物)の生態を知ります。のちに月の神格化で月神が創られます。
農耕社会となり、日が神聖となり、やがて月を見あげなくなりました。
再び、月を見るのは、古代中国の唐国の影響。中秋節。中秋の月見。平安時代、畿内ではやります。ただし見あげません。池や湖、盃の水面に映る月を見さげます。
昔の九州南域、日向国、大隅国、薩摩国で、里芋の収穫祭、感謝祭がありました。山幸は、山と月の恵み。地を踏みしめながら、月を見あげながら、地(山)に月に感謝を伝えるため、踊り続けました。
息長氏の治める山城国綴喜郡大住郷(京都府京田辺市)にオオスミのハヤトが移り住みます。隼人舞で有名な月読神社(京都府京田辺市/式内大社/村社)があります。
竹取物語は、もとの物語、ハヤトの物語を息長氏が書き換えた物語といわれます。竹取物語は、竹取の翁の物語。主役はかぐや姫でなく、竹取の翁。かぐや姫の、もとの物語を竹取の翁の物語に書き換えてます。
かぐや姫は竹取の翁に婚姻を勧められます。帝にみそめられ、和歌をやりとりします。
かぐや姫が残した和歌の[君をあはれと思ひいでける]の[あはれ]を、愛おしい、慕わしいと求愛に応えたと帝は思ってますが、じつはかわいそうと拒んでます。帝に不敬にならないよう、あいまいな表現。
そして。かぐや姫は竹取の翁の行為も嘆きます。翁への感謝以上に、月の都への望郷が強くなります。息長氏の罪悪、または望郷を書いたのでしょうか。
ハヤトの月信仰と、強制移住による強い望郷の、もとの物語。
ハヤトの物語を、息長氏の自己本位と、忖度と思慮で書き換えられた物語。
*
偶然、720年にアタのハヤトの反乱が起き、藤原不比等が亡くなります。
偶然、729年に政争で息長氏に近い長屋王が殺されます。
長野県上水内郡にあった鬼無里村の紅葉伝承に、続篇があります。
隣の戸隠村で、紅葉の後裔氏族は大伴氏と伝えます。大伴氏は長屋王と親しかったため、藤原氏に滅ぼされ、隠れ住み、戸隠村となったといいます。
また、タヂカラヲ(天手力雄命)が開け投げた天の岩屋の戸が落ち、戸隠村となったといいます。のちにタヂカラヲの後裔氏族の大伴氏が移り住んだと伝えます。
偶然、733年に疫病で不比等の子の藤原四兄弟が亡くなります。
偶然に飢餓、地震が続きます。反乱、疫病、飢餓、地震、政争は、なにも因果関係はありません。
そして八幡神の神託で息長氏と藤原氏の攻防は、偶然に終わります。息長氏は藤原氏に滅ぼされます。八幡神の神託で天武系皇統から天智系皇統へと、偶然に変わります。偶然が続いたからこそ、神代も、現代も天智系皇統の守護神として祀られます。
八幡神は、息長氏の奉じる神でありません。藤原氏の奉じる神でありません。秦氏の奉じる神でなくなります。八幡神は、因果応報の神となります。
という事で続きます。
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おまけの神社。
月讀神社(葛野坐月読神社/京都府京都市/式内名神大社)は、ツクヨミ(月読尊)を祀ります。松尾大社の摂社。壱岐島の月讀神社(長崎県壱岐市/式内名神大社・論社/無格社)の分祀で、本来の祭神は天月神命。神功皇后の三韓征討のさい、応神天皇の出産を遅らせた月延石があります。
壱岐島の月讀神社は、ツクヨミ(月夜見命/月弓命/月読命)を祀ります。本来の祭神は壱岐氏が奉じる月神、天月神命。月延石もありますが、本来の月讀神社は、じつは箱崎八幡神社(同市/村社)といわれます。
隼人舞で有名な月読神社(京都府京田辺市/式内大社/村社)、甘南備山の山頂にある神南備神社(甘奈備神社/同市/式内小社/村社)、山麓にある薪神社(同市/村社)は、オオスミのハヤトの奉じる月神が祀られます。さらに小川月神社(京都府亀岡市/式内名神大社/村社)など、大堰川の近所はツクヨミを祀る多数の神社があります。
壱岐氏や、オオスミのハヤトの海人族の月信仰。のちに月の神格化で、各族の奉じる月神が創られ、神話に合わせ、ツクヨミと変わりました。
今の九州南域、鹿児島県や宮崎県で、ソラヨイなどの十五夜神事、祭事があります。
罰で都に逐われたかぐや姫は月を見あげながら故郷を思います。
罰で都に逐われた、強制移住を強いられたハヤトも月を見あげながら故郷を思います。
残ったハヤトも月を見あげながら、討たれた故事を思います。
何故、月を見あげるのでしょうか。
ナチュラリズム(自然崇拝)の時代。
かつて人は月を見あげてました。日よりも月が神聖とされてました。
海幸は、海と月の恵み。月で暦を、潮の干満を、海幸(海洋生物)の生態を知ります。のちに月の神格化で月神が創られます。
農耕社会となり、日が神聖となり、やがて月を見あげなくなりました。
再び、月を見るのは、古代中国の唐国の影響。中秋節。中秋の月見。平安時代、畿内ではやります。ただし見あげません。池や湖、盃の水面に映る月を見さげます。
昔の九州南域、日向国、大隅国、薩摩国で、里芋の収穫祭、感謝祭がありました。山幸は、山と月の恵み。地を踏みしめながら、月を見あげながら、地(山)に月に感謝を伝えるため、踊り続けました。