14 人と獣と・前篇

文字数 2,451文字

 日本列島は、南西諸島から北方四島(広義で千島列島)までの約3500kmの島弧。そして伊豆諸島や小笠原諸島などの約7000の島嶼。長大な島弧と厖大な島嶼により齎された多様な自然(地勢と気候)に、八百万の神が隠れます。



 天災(自然災害)は天帝(天皇)の不徳が成す。
 しかし天災は続きます。祟る神は祟り続けます。という事で逐いやった高天原の日神や皇祖神のタカミムスヒを省みず、返り見ず。無視で、八幡神とともに慈悲を求めて佛に跪きます。
 しかし祟る神は祟り続けます。天災は続きます。という事で天災は天帝の不徳でなく、いじわるな祟る神の仕業となります。責任転換。そして祟る神の恵む神化。御霊信仰。
 しかし大陸の災異思想も、長大な島弧と厖大な島嶼の島国に通じません。八幡神の大いなる威徳(神威)も、いじわるな祟る神を塞げません。八百万の祟る神は順いません。

 南洋諸島(東南アジア)や大陸の交易により齎された疫病。
 1822年。コレラは南洋諸島、大陸に近い西日本に齎されます。そして1858年。黒船来航により再び江戸に齎されます。コレラは蕃神コロリの仕業となります。コロリ憑き。ニホンオオカミの骨がコロリ落としに効くといわれます。再び狼神信仰。狼神はコロリを塞ぐ神となります。狼神は祟る神と、恵む神と、齎す神と、塞ぐ神となります。
 狂犬病、CDV、コレラ。疫病による補殺がニホンオオカミの絶滅原因。

 天災(自然災害)や疫病による飢餓。飢餓、社会秩序の不安定で起きる反乱。
 内乱内戦、政争は別として天災や飢餓は逃れません。

 祟る神、恵む神、齎す神、塞ぐ神は人の都合で創られた神。
 天災は人の都合と関わりません。無視。祟る神、齎す神を祀りあげても恵む神化、塞ぐ神化となりません。シカト。御霊となりません。
 自然は飼いならされません。飼いならされない神は狼(大神)となります。
 自然は順いません。八幡神も順えられない神を、人はどうするのでしょうか。



 動物界脊椎動物門哺乳綱サル目ヒト科ヒト族ヒト属(ホモ属)ホモ・サピエンス種。
 サル目の別称は霊長目。人は動物、生物の霊長(首長)で、優れた生物。ゆえに人はほかの生物と分ける、分けなければならないといいます。
 しかし生物分類として人は猿と同じサル目に属します。人も猿も同じサル目。さらに人も狼も同じ動物界脊椎動物門哺乳綱。人が優れた生物でありません。人が自然に選ばれた生物でありません。すべての生物は、棲む自然環境に応じ、進化(や退化などの変化)を行います。人も棲む自然環境に応じ、進化を行なった生物。生物進化の系統樹の枝に過ぎません。
 


 自然信仰(自然崇拝)。ナチュラリズム(ネイチャリズム)。原始宗教。
 山、海、日、月、星、雨、風、雷などの自然。動物や植物の生物、岩石などの無生物。万物を、多様な自然の事物事象を直接対象として崇めます。
 そして自然の中で超自然を感じたモノに畏まります。天災、豊穣や豊漁。続く雨天の後の日や月。続く晴天の後の雨。人に恵むモノも、祟るモノもあります。見えるモノも、見えないモノもあります。超自然を感じたとき、人は自然の事物事象に、万物に生かされてると改めて畏まります。超自然を感じたモノはトーテムとなります。
 優れた嗅覚や聴覚、勇猛、俊敏な狼。人にない強きモノ、ケモノ(毛物/獣)もトーテムとなり、畏まります。つまり自然の中で、万物の中で人は弱きモノと認めます。トーテムの前で、自然に順う、強きモノの霊威を自分に纏わせる祭祀が行われます。
 のちの精霊信仰(精霊崇拝)。アニミズム。自然の事物事象、万物に精霊(神霊)が宿り、神として畏まります。トーテムは神と化します。神格化。
 人の精霊(人霊)。多様な自然の事物事象の精霊。多種多数の万物の精霊。神道は精霊を八百万の神として畏まります。
 人霊も精霊も同じ精霊。同じ霊威、霊格。
 善人も悪人も、聖人も俗人も同じ人霊。同じ霊威、霊格。

 やがて人の自分都合思想で、霊威の権威、霊格の格差のラベリングが始まります。分類方法は人に選ばれるか。人に飼いならされるか、順うか。
 八百万の神も祟る神、恵む神、齎す神、塞ぐ神に分けられます。
 選ばれない神、飼いならされない神、順わない神はどうなるのでしょうか。

 という事で続きます。



 おまけの神社。
 熊野神社(山形県南陽市/県社)は、全国の熊野神社の総本社の、和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)と合わせて三大熊野といわれます。別称は東北の伊勢・熊野大社。なんとなく笑えます。
 そして。熊野三山も、全国の熊野神社も、主神でスサノヲ、配神でイザナギとイザナミを祀りますが、当社は主神で熊野大神イザナミ(伊弉冉尊)、配神でイザナギ(伊弉諾尊)とスサノヲ(素盞嗚尊)を祀ります。
 群馬県(毛野国=上毛野国=上野国)と長野県(信濃国)の県境(国境)の碓氷峠に本殿が跨って建つ熊野神社(群馬県安中市・長野県北佐久郡/県社)を合わせて三大熊野。別称は熊野皇大神社。ただし長野県だけの別称。なんとなく笑えます。
 県境の本殿に主神でイザナミ(伊邪那美命)とヤマトタケル(日本武尊)、配神で長野県の社殿に事解男命、群馬県の社殿に速玉男命を祀ります。ひとつの本殿に群馬県と長野県のふたつの本坪鈴と賽銭箱。ひとつの神社にふたつの社務所。境目の御守で有名。

 島根県の熊野大社(式内名神大社/国幣大社)は三大熊野でありません。熊野三山と、全国の熊野神社と神統が分かれます。さらにイザナミ(伊邪那美之尊)が葬られ、祀られた比婆山久米神社(島根県安来市/式内小社)。出雲国風土記で久米神社・熊野神社と書かれ、江戸時代までは熊野神社といわれました。
 平安時代の延喜式神名帳と明治時代の近代社格制度で官社に認められた島根県の熊野大社。延喜式神名帳で官社に認められた比婆山久米神社。近代社格制度で官社に認められた三大熊野。分けられた境目にイザナミが関わります。
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