19 聖と俗と・後篇

文字数 3,059文字

 神道を含めた宗教を考えます。めんどい、ややこしい事を考えます。

 聖俗二元論。
 聖と俗は、超自然と自然、非日常と日常を表し、宗教の根元といわれます。
 聖と俗を分ける為のルール(教義)があり、聖を際たてる為のタブー(禁忌)があります。ルールの共有方法、タブーの維持方法で宗教のイメージ(特徴)が決まります。
 聖は善でなく、自然の中の超自然、日常の中の非日常。当然、俗も悪でありません。

 聖と俗は、柳田國男のいうハレ(霽)とケ(褻)と似てます。
 晴だったり、曇だったり、雨が降ったりします。日常(褻)。あまり天気は気にしません。しかし雨が続き、やっと嬉しい霽。
 日常の晴と、非日常の嬉しい霽は何故か違います。
 晴だったり、曇だったり、雨が降ったり、自然の中でできる作物。雨が続き、やっと嬉しい霽。日は超自然的存在、恵む神となります。できた作物を日の神に供えて豊作感謝の祭。日の神に奉じる娘が選ばれ、やがて娘は日の神の巫となります。
 毎年、豊作を願い、種を蒔き、苗を植えます。日常(褻)。あまり楽しくありません。しかし育ち、実り、やっと収穫となります。食べられないような食物を揃えて今年も楽しい豊作感謝の祭。褻着を脱ぎ、華やかな霽着を着た日の神の巫が、日の神(のトーテム)の前で唄ったり、舞ったりします。
 しかし晴が続き、水がなくなります。日の神は祟る神となります。日の神は恵む神であり、祟る神であります。自然の中の超自然的存在。善神、悪神でありません。順うしかありません。日の神に隠れてもらい、雨が降るように日の神の巫が願います。
 台風の神スサノヲも、狼神も自然の中の超自然的存在。

 やがて宗教は大きく変わります。
 聖と俗を分けるルールは、善と悪、貴と賤を分けるルールへ変わります。聖と俗と、俗以下ができます。善や貴の聖。悪や賤の俗以下。境目の俗。
 善人や貴人の聖人。悪人や賤人。境目の、宗教に嵌まりやすい俗人。教祖は、いつのまにか聖人となり、パトロンの権力者や統治者も忖度と思慮で聖人となります。教祖に、権力者や統治者に順わぬ、まつろわぬ人は悪人や賤人。聖人の自分都合思想のルールで人は分けられます。ラベリング。さらに人で非ず、魔、鬼。
 聖を際たてる為のタブーは、俗人が聖人に昇る為のタブーへ変わります。そして俗人が俗以下の人に堕ちない為のタブーができます。

 獣も人も、善人も悪人も同格の原始神道も、平安佛教の影響で大きく変わります。
 ヒシリ。日を知った人。つまり日神を奉じる祭祀主の天皇。のちの平安佛教で高僧もヒシリと呼ばれ、[聖]の字が当てられます。皇族や貴族の高僧も、みずからが聖なる人となります。
 清浄な人、聖なる人。俗人以下の不浄な人、穢れた人。聖なる人の自分都合思想のルールで人は分けられます。ラベリング。さらに穢の多きモノ。穢れた人の血が混じらないよう、さらにルールが作られます。

 神話で、筑紫島は4つの国に別れて生まれます。1つの体(島)に4つの顔(国)の国魂(国魂神)という設定。神話を書いた時に、すでに4つの国(地域)がありました。
 白日別は筑紫国(のちの筑前国と筑後国)。豊日別は豊国(のちの豊前国と豊後国)。建日向日豊久士比泥別は肥国(のちの肥前国と肥後国)。建日別は九州南域、つまり熊曽国、日向国。[建]は建てる、始める、定める。そして北斗七星が指す。建(オザ)す。
 日没直後で、北斗七星の柄が指す方位を十二に分けます。十二直。つまり十二支の上に、北斗七星が建(タ)ったかんじ。尾指す、御座す。筑紫国に日が昇り、日没直後の日向国に北斗七星の柄が指します。大和国の始まり。
 十二直は暦注としてカレンダーに書かれてました。[建]は万物を建て生じる日。
 冬至の旧暦11月は真下(真北)を指します。北半球限定となりますが。
 十二支の始まりの孳(子)の方位に北斗七星が建(オザ)します。建子月。古代中国の暦(周暦)は冬至の旧暦11月が始まり(年始)。二十四節気の始まり。再生の、甦生の月となります。鎮魂祭を行い、新嘗祭を行います。宮中祭祀で最も大事な祭祀。明治6年に祭日となり、戦後の昭和23年に祝日(勤労感謝の日)となります。最も古い休日。

 聖人の自分都合思想のルールは、近代、いえ、現代も続きます。宗教の神の名の下で、国家の長の名の下で。昔の、他人の自分都合思想で作ったルールに順い、ほかの他人を逐いやったり、殺したりします。自分の感情や都合を抑えてまで。

 神社本庁の謳う神社神道は、いまだ高天原の日神が八百万の神の最高神。
 平安佛教のもと、昔の、聖なる人が自分都合思想で作ったルール。記紀神話。
 高天原の日神は、八百万の神を超えた神。自然の万事万象や万物の精霊、万人の祖霊を超えた超自然の精霊。穢れてなりません。触れてなりません。触れたとき、穢れたとき、イザナギと同じ超自然的刑罰(天罰)を受けます。

 記紀神話は神道の教義でありません。昔の、他人の自分都合思想で書いた寓話。
 神社本庁に聖なる人(教祖)はいません。中央政権へ忖度と思慮を気にする人だけ。



 ケガレは、気(ケ)が枯れた様といい、気を甦らせる為に祭(ハレの儀式)を行う説もあります。死穢、産穢、血穢も気の枯れた様で、殯小屋や産小屋は日常生活と離れ、気を甦らせる為の隔離(行動規制)といわれます。笑えます。

 という事で続きます。



 オマケの神社。

 古事記でイザナミは出雲国に葬られます。
 立烏帽子山(比婆山)の山頂にイザナミの墓所があり、竜王山の山麓に遥拝所としてイザナミ(伊邪那美神)を祀る比婆山熊野神社(広島県庄原市)があります。当社の後方に鳥尾の滝があります。別名は那智の滝。
 比婆山の山頂に奥ノ宮というイザナミの墓所があり、山麓に下ノ宮というイザナミ(伊邪那美之尊)を祀る比婆山久米神社(島根県安来市/式内小社)があります。山腹に、限定種の陰陽竹(ヒバノバンブーサ・トランキランス・マルヤマ・オカムラ)が見れます。持ち帰られませんが。
 
 イザナミは地の底ノ国、海の底ノ国に封じれますが、何故か山頂に墓所があります。
 また、山奥、つまり山頂は神(祖霊)が棲むといわれます。神は、山頂に降り、川を下り、人の住む里に来るといわれます。かつて遺棄葬があり、死体遺棄の罪悪感が祖霊(死霊)を神に祀りあげたと考えられます。山は一族の墓所。



 熊野那智大社の扇祭は、那智滝を模した扇神輿が、飛瀧神社御瀧本から熊野那智大社へと那智滝の神を迎える祭。扇に日を模した赤丸(日丸)が描かれたり、渡御の前後に田植舞や田刈舞などの田楽も奉じられたり、豊穣祈願祭と思われますが、じつは違います。道中で松明の火で清めるため、別名は火祭と呼ばれます。水(滝)と火の祭。
 祭に隠れ、こっそりと花窟神社から熊野那智大社へと夫須美大神を迎えてます。
 熊野那智大社の那智滝の岩壁も、花窟神社の岩壁も、熊野カルデラでできてます。ゆえに夫須美大神とイザナミは同神。一説にイザナミの火(またはカガヒコの火)と水を合わせる祭。

 熊野市は、大昔(大化の改新前)は熊野国の中心地で、昔(明治の廃藩置県前)は神宮の領地(神地)。
 さらに大昔。日本書紀の一書で、イザナミは紀伊国の熊野の有馬村に葬られたと書かれてます。葬られた地に、今は花窟神社が建ってます。祭神はイザナミ(伊弉冉尊)とカガヒコ(軻遇突智尊)。古社と思われますが、じつは明治時代の創建。扇祭が、創建のきっかけとなります。
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