15 人と獣と・後篇

文字数 3,214文字

 大陸に多いトーテムは鳥といわれます。とくに自然の少ない地域、地勢の変化の少ない地域のトーテム。さらに信仰(宗教)の神は日神(と月神と星神)。
 人が自然の中で最も自然の存在、最も自然の変化を感じるのは天候、天気。
 天を飛ぶ鳥がトーテムとなり、天を昇り沈む日が神となります。雨の少ない地域で、唯一、旱魃(旱と魃)が祟る神となります。なぜか月神と星神は配神、随神となり、地、雨は神となりません。なぜか鳥も神となれません。日神に使える、主神に順う使徒、神使となります。

 自然の多い、地勢の変化の多い日本列島。
 紀元前後の15000年も続いた狩猟や漁撈、採集社会(縄文時代)の間で、長大な島弧と厖大な島嶼の島国の中で、八百万の神は生まれました。自然、精霊からの人格神、そして人神や蕃神と習合神。
 すでに紀元前に農耕社会と変わった地勢の変化の少ない大陸。たやすく田畑を耕します。日本列島と自然に対する関わりかた、考えかた、順いかた、順わせかたの根元が異なります。

 じつは現代の神社神道(≠国家神道)と、古代の神道、原始神道(≠復古神道)は異なります。原始神道は、教祖もいません。教義もありません。まさに自然発生の、自然信仰、精霊信仰の宗教といわれます。
 15000年も、多様な自然の事物事象を、多種多数の万物を直接対象として崇めます。畏まります。神として崇めます。畏まります。
 人霊も精霊も同じ精霊。同じ霊威、霊格。善人も悪人も、聖人も俗人も同じ人霊。同じ霊威、霊格。ゆえに神道はわかりにくい宗教といわれます。



 壬申の乱で天武天皇を導いた、九州南域の山人族のクマソに近い県犬養氏。
 壬申の乱の前の大化改新(乙巳の変)で、九州北域の海人族の安曇氏に近い海犬養と稚犬養氏が蘇我入鹿を殺します。乙巳の変は天武天皇も関わったといわれます。
 狩猟の為に犬を飼いならす犬養部の氏族。のちに倉庫(屯倉)の管理、警護につき、警護の為に犬を飼いならしますが、やがて飼犬を放し、軍事氏族(飼犬)となります。
 飼犬になれなかった、いえ、飼いならされなかった、順わなかった犬養氏もいます。
 田畑を荒らす害獣捕殺の為に犬を飼いならし、神社や寺院で働きます。
 山で犬とともに狩猟を生業とした山人族が、狩猟だけで生きられず、里で犬とともに警護を生業とします。里の中心の倉庫(屯倉)の犬養部についたり、里の辺境の神社や寺院についたり。
 犬養部は27代安閑天皇により九州から関東までに多数の屯倉とともに設けられます。
 順った犬養氏の後裔は橘氏となりますが、のちに滅びます。

 順わなかった犬養氏の後裔は、一説にサンカとなります。やはり滅びます。
 サンカ(と呼ばれた民)は、九州から関東まで、1950〜70年代まではいました。
 三角寛の小説に書かれ、有名になりましたが、かなりいかがわしく書かれてます。



 江戸時代に、山に住む漂泊民、流浪民をサンカ(山家・山窩)と呼びはじめます。山に住む民でしょうか、語源はわかりません。地域により呼び名は異なります。
 サンカは家族(姻族)ごとに、狩猟を生業としながら、山々を移り住みます。同じく狩猟を生業とする、マタギと異なります。ほかの山人族と異なり、家族以外のサンカと同族意識はなかったといわれます。
 時々、狩猟だけで生きられず、山を降り、川漁、里の神社や寺院で箕(蓑という説もあります)、籠、笊などの竹細工の販売、修繕で現金収入を得ます。ゆえにミツクリ(箕作り)、ミナオシ(箕直し)と呼ぶ地域もあります。
 サンカのルーツは諸説があります。
 中央政権(朝廷)にまつろわず、王化に順わず、山に逐われた民の後裔説。
 地震や疫病で、飢饉で、戦乱戦火で、避難を強いられ、山に逃れた民の後裔説。
 芸能民や職能民の後裔説。
 そして中央政権(江戸幕府・明治政府)にまつろわず、王化に順わず、山に逐われた民の後裔説。
 サンカに関する伝説や記録も遺物遺跡も、わずかしかありません。九州中域から山陽道を経て紀伊半島の熊野川、山陰道を経て吉野川(紀の川)の流域に記録があります。そして埼玉県秩父地域。
 なぜか狼信仰(狼神信仰)の伝説の地に、サンカの記録もあります。



 桜島(麑島/籠島)の噴火から、ハヤトの反乱、疫病、巫の神格化の娘神(姫神)、八幡神の神託。秦氏と息長氏。狼信仰と狼神信仰、犬信仰と犬神信仰。犬養氏の後裔氏族の橘氏、そしてサンカまで。
 イザナミ考は、熊曽国から、なぜか熊野国へと戻りました。なにか見えないモノ、境界に坐すモノに誘われます。

 という事で。もうちょっとだけ、見えないモノを考えます。続きます。



 おまけの神社。[2 熊曽国と日向国・中篇]の続き。
 サンカと同じく、昔は瀬戸内海に、エブネ(家船)に住む海の漂泊民、流浪民がいました。今も芸予諸島の豊島に、かつてエブネに住み、五島列島で漁撈を生業とした民がいます。本貫地は九州西域(肥前国=佐賀県・長崎県)と考えられます。
 ほかの海人族と異なり、瀬戸内海の複雑な地形の江(入江)ごとに分かれて住んでた為に同族意識もなく、家族ごとに漁撈を生業としながら、海々を移り住んだ瀬戸の民。
 のちに瀬戸内海は安曇氏が治めます。多数の海人族は順い、犬養部についたと考えられます。順った瀬戸の民もいます。
 順わなかった瀬戸の民は逐われ、江を津守氏に奪われ、エブネとなります。
 エブネは順わなかった、江を奪われた民の後裔という説もあります。
 中央政権にまつろわず、王化に順わず、海に逐われた民。

 そして。
 順った民の後裔は瀬戸内海を治めます。大山祇神社(愛媛県今治市/式内名神大社/伊予国一宮/国幣大社)。オオヤマツミ(大山積神)を祀ります。
 さらに順った民の後裔は安曇氏に率いられ、黒潮で紀伊半島から伊豆諸島、伊豆半島へと渡ります。三嶋大社(静岡県三島市/式内名神大社/伊豆国一宮/官幣大社)。オオヤマツミ(大山祇命)とコトシロヌシ(積羽八重事代主神)を祀ります。
 イザナギは黄泉国の穢を禊ぎ、スミヨシ(スミノエ)の三神とワタツミの三神が生じます。ワタツミ三神を祀る安曇氏と、スミヨシ三神を祀る住吉氏は近い海人族と考えられます。住吉氏は瀬戸内海を離れ、犬とともに全国の江に移ったと考えられます。犬養氏。
 三嶋大社を北限に、オオヤマツミを祀る神社は西日本に多く、三嶋大社の以北でオオヤマツミを祀る神社は、三嶋大社の分祀、または近代創建の神社といわれます。
 神話で、コノハナサクヒメは親神オオヤマツミに富士山とともに東日本の山々を譲られます。コノハナサクヒメと住吉氏は関係があるのでしょうか。

 日本列島は、千島列島、日本列島、南西諸島(琉球列島)、そして伊豆諸島や小笠原諸島を合わせた約7000の島嶼でなります。列島はプレートの境界に生まれます。プレートの境界は、地震と噴火が絶えまなく起きます。伊豆諸島や小笠原諸島も、海洋プレートの境界に生まれた列島で、噴火、地震、台風、津波が絶えまなく起きます。
 日本列島の富士山と伊豆諸島は、かつて富士火山帯で結ばれてました。
 約7000の島嶼に住む人々は天よりも地(山や海)に、最も自然の存在、最も自然の変化を感じたと考えられます。そして自然を崇めます。畏まります。神として崇めます。畏まります。噴火、地震、台風、津波の少ない大陸に住む民と、日本列島に住む民は、自然に対する関わりかた、考えかた、順いかた、順わせかたの根元が異なります。



 やはり同じく同族意識が弱かった、なかった九州南域のハヤト。

 所有権がはっきりとできない海や海の幸。じつは山や山の幸の所有権もはっきりとできません。自然は、国ツ神はだれのものでありません。人の、猿の、狼のものでありません。

 しかし天ツ神は自分のもの(統治下)と言い、突然と襲い、有無を言わさず、所有権(統治権)を奪います。
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