1 熊曽国と日向国・前篇

文字数 3,195文字

 えーと。
 [イザナミ考]は続きます。さらに私見と独学のトンデモ考となります。
 [イザナミ考]は、舞台を熊野国から熊曽国(古事記:熊曾国/日本書紀:熊襲国)へと移します。改めて熊野国に戻りますが。



 神話で、筑紫島は4つの国に別れて生まれます。1つの体(島)に4つの顔(国)の国魂(国魂神)という設定。神話を書いた時に、すでに4つの国(地域)があり、ムリな設定が強いられます。笑えます。
 白日別は筑紫国(のちの筑前国と筑後国)。筑紫という地名は九州全域(筑紫島)という広義と、九州北域、つまり筑紫国という狭義があります。
 別(和気)は、高貴な血統を別けた人(または神)に付けられる尊称。

 豊日別は豊国(のちの豊前国と豊後国)。建日向日豊久士比泥別は肥国(のちの肥前国と肥後国)。建日別は九州南域、つまり熊曽国。熊曽国は、じつは国名でなく、地名。クマソの住む地。一説に肥後国(熊本県)球磨郡から大隅国(鹿児島県)曽於(囎唹)郡までが熊曽の地。クマとソオでクマソ。
 持統天皇の時代に地名は熊曽から日向へと呼び変わります。キッカケはわかりませんが、日向も地名。宮崎平野の東方の、海の彼方に昇る日が見えるため、日向。

 クマソの反乱が起き、征討、分断、統治のために日向の地は、702年に霧島連山を国境に唱更国(のちに薩摩国)が、さらに713年に薩摩国は大隅国が分けられます。そして霧島連山の北麓の地域が日向国となります。日向国と薩摩国と大隅国は分断、クマソ(ハヤト)は相互監視を強いられます。
 従ったクマソをハヤトという説と、山人族のクマソと海人族のハヤトという説があります。古代中国(漢国)で兵役を唱更といい、従わなかったクマソを討つ、従ったクマソ、つまりハヤトの国。のちに唱更は防人という兵役に変わります。
 しかし720年にクマソ(ハヤト)の再乱が起きます。一説に倭国大乱。征討、分断、統治、そして再乱防止のため、721年に多数のハヤトは大和国に強制移住を強いられます。とくにアタ(薩摩国)のハヤト。反乱の首謀者はアタのハヤトと考えられます。山幸海幸の神話。

 紀伊半島に、神武東征の神話に合わせた神社があります。
 竈山神社(和歌山県和歌山市/式内小社/官幣大社)は、神武天皇の長兄の彦五瀬命(五瀬命)を祀ります。
 阿陀比売神社(奈良県五條市/式内小社/村社)の建つ地は、かつて大和国宇智郡阿陀郷。強制移住を強いられたアタのハヤトの住む地。竈山神社も、当社も神武天皇に従った五條の阿太(古事記:贄持之子/日本書紀:苞苴擔之子)が奉じます。吉野川(紀の川)の阿陀之鵜飼の始祖。のちの鵜飼氏。強制移住を強いられたアタのハヤトが、時代を遡り、神代(神話の時代)で神武天皇に従います。タイムワープ。笑えます。
 五條市は大和国と紀伊国を結ぶ交通の要衝。井上内親王を祀る御霊神社、南朝の後村上天皇時の首都・賀名生、江戸時代の天誅組の本陣・桜井寺などもあります。
 つまり要衝のため、色々な反乱、反逆の首謀者が集まり、首謀者が討たれたあと、色々な悪霊、怨霊が集まります。阿陀比売神社の神威で鎮めます。

 静火神社(和歌山県和歌山市/式内名神大社/村社)は静火大神を祀ります。奉じる鵜飼氏は、本来の祭神は火神カガヒコと伝えます。

 712年に古事記が、720年に日本書紀が献上。つまり日向国は神代に作られてません。神話を書いた時代に作られました。

 日向国は宮崎県に、薩摩国と大隅国は鹿児島県になります。

 宮崎県と鹿児島県に大人弥五郎という巨人神話があります。ダイダラボッチは山や谷を、湖や沼を、国を作りますが、弥五郎のモデルは国を奪われたクマソ(ハヤト)の指導者、反乱の首謀者といわれます。一説にヤマトタケルの西征神話で討たれたクマソタケルといわれます。また、弥五郎は御霊の訛語で、弥五郎の巨大人形を担いで邌り歩く祭は八幡神の放生会が始源といわれます。
 祭で弥五郎は人々に担がれます。担がれた弥五郎は何を思うのでしょうか。担ぐ人々は何か思うのでしょうか。

 再乱を起こす力を失ったクマソ、従ったハヤト。
 やがて霧島神社の祭神を変え、明治維新を行います。そして神話(日向神話)を、史話(明治維新)を誇らしく語ります。
 しかし弥五郎を語る人はいません。笑えません。



 1197年に島津忠久は、大隅国、薩摩国、日向国の守護職に任じられます。
 島津氏は、鹿児島県、宮崎県の神社に影響を与え、県民教育に励みます。

 竹は大陸から九州南域の熊曽の地(薩摩国)、紀伊半島の熊野国を経てアタのハヤトの強制移住とともに畿内へときました。筑紫は竹斯、または竹紫。
 ハヤトの竹具は在来種のマダケを使いました。アタのハヤトとともに畿内へ来ました。
 しかし竹具の具材は、外来種のモウソウチクに代わります。モウソウチクは島津氏が寄せたといわれます。全国各地のマダケの竹林はモウソウダケの竹林に代わり、竹害を及ぼします。まさに破竹の勢い。樹林の阻害、土壌の悪化による水害など。

 霧島連山の再度の噴火で遷った霧島神社。延喜式神名帳に日向国の式内社とあり、本来は霧島連山の北麓(宮崎県)側に建ってました。霧島神社は、論社のうち霧島岑神社(宮崎県小林市/県社)、東霧島神社(宮崎県都城市/県社)、霧島東神社(宮崎県西諸県郡)の1社となります。
 しかし島津氏の意向で霧島連山の南麓(鹿児島県)側の霧島神宮(鹿児島県霧島市)が比定社となります。霧島神宮はホノニニギ(饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊)を祀ります。御朱印に[天孫降臨地]と添え書かれます。クマソ(ハヤト)の地に聳える霧島連山の高千穂峰。何故、天神(天ツ神)が祀られたのでしょうか。

 霧島神社の論社4社の、霧島神宮と霧島岑神社の主神はホノニニギ。
 東霧島神社(宮崎県都城市/もとは北諸県郡)の祭神はイザナギ。霧島東神社(宮崎県西諸県郡)の祭神はイザナギとイザナミ。
 本来の祭神は霧島連山(高千穂峰)を神体とした山神と考えられます。
 のちに修験道で大きく変わります。霧島神社の論社4社は霧島連山の修験道の道場となり、中心は霧島岑神社となります。しかし島津氏の意向で霧島神宮(鹿児島県霧島市)が中心となります。一説に霧島神宮は霧島岑神社の分祀といわれます。つまり2社の祭神はホノニニギ。
 しかしイザナギとイザナミは瀬戸内海の海人族の祀る神。イザナギが禊いだ地の諸県に関わりますが、山神。
 じつは山神は海神の神格もあります。海に聳える島も山で、ゆえに海も山神オオヤマツミの統治下。山神オオヤマツミは、古事記でイザナギとイザナミが産み、日本書紀でイザナギに斬り殺されたカガヒコの屍に生じます。つまりイザナギとイザナミは山神の親神となります。

 日本の国土の約70%の山、約6850の島で成ります。1柱の海神よりも多い山神。
 という事で続きます。



 おまけの神社。
 潮嶽神社(宮崎県日南市)は、海のサチヒコ(火闌降命)を祀ります。社伝で、海のサチヒコは当地に住んでたと伝えます。当社は、山幸海幸の神話に因み、縫い針の貸借はタブー、初宮詣時は額に犬の字を書く習慣があります。
 弟の山のサチヒコと争い、負ける海のサチヒコ。虐められ、苦しむ姿をまねたのが隼人舞。隼人舞以外に吠声があります。現在の神社神道の警蹕(けいひつ)の原始といわれます。日本書紀の一書で、天皇の傍を離れず吠える狗(犬)とあります。強制移住の理由に、悪霊や怨霊を祓うハヤトの霊威を求められました。
 神社の開扉閉扉時に、神事の降神昇神時に大声を上げる警蹕。天皇の行幸時に畏まらせるため、隼人が大声を上げます。ミサキバライ。御先(天皇の前)で祓う、吠える狗。

 また、海のサチヒコが山のサチヒコ(火遠理命)に服従を誓った誓いの森があります。あまり笑えません。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み